【番外編】ロキの願い(後編)
「お初にお目にかかります、ミーナ様。ロキと申します」
それから数日後、ようやく俺はミーナ様と会うことができた。
柔らかな茶色の髪に、紫色の瞳が美しい、まだあどけなさの残る少女。いつも主から話を聞いていたせいか、どうも初めて会った気がしない。側にいるだけで自然と親近感が湧くし、一緒にいると心地いい。
明るくひたむきで、けれどものすごく負けず嫌いで。主が夢中になるのがよくわかる。ミーナ様が笑うだけで、心が温かくなるような気がした。
「一応釘を刺しておくけど、ミーナを好きになったらいけないよ? 俺の大事な妃だからね」
ある日のこと、主はそう言って意地悪に微笑んだ。
(どうせなら本人に直接お伝えすればいいのに)
そんなことを思ったものの、ミーナ様もミーナ様だ。
傍から見れば、ミーナ様が主を恋い慕っているのは一目瞭然だった。けれど、ミーナ様も直接想いを伝えることはできずにいるらしい。
平民出身の偽りの妃だから――少なくともミーナ様はそう思っているから――劣等感を抱いてしまうのはよくわかる。
(まったく、おかしな話だ。主はこんなにもミーナ様を想っているのに)
夫婦そろって意地っ張り。どちらかが折れればそれで終わる話だろうに、どちらにもそんな様子は見受けられない。
恋をすれば人は憶病になるというけれど、こんなにもわかりやすく愛し合っている癖に、一体なにを怖がる必要があるのだろう?
(早く素直になればいいのに)
傍から見ていてものすごくもどかしい。
お二人が仲睦まじく過ごしている姿を早く見たい――そんなことを思った俺は、少々煽ってみることにした。
「どうせなら『会いに来て』と――そうお書きになった方が、主は喜ぶと思います」
主からの贈り物であるドレスを届けた日のこと。俺はミーナ様にそんなことを耳打ちした。
主の迷惑になりたくない――契約妃であるミーナ様はいつも、主との関係に対して線を引いている。会いたいと口にすることもなければ、聞きたいことがあっても尋ねられず、物を欲しがることだってしない。
けれど、ドレスを贈られた今なら、主がどれ程ミーナ様を想っているのか少しは感じられるだろう。何と言っても、多忙の中、主が自らドレスを選んだのだから。
(よかった。俺の意図はちゃんと伝わったらしい)
ミーナ様は頬を染め、躊躇いがちに小さく頷く。
その日の夜の主は、信じられない程ご満悦だった。
「ミーナが『俺に会いたい』って手紙を書いてくれたんだ」
幸せそうな表情。主がミーナ様からの手紙を胸に抱いて笑っている。
(知ってますよ)
微笑みながら、まるで悪戯が成功した子供のような、大きくて奇妙な達成感に打ち震えた。
お二人を焚きつけたのは他ならぬ俺。
そうして、主もミーナ様も、それぞれ幸せそうに微笑んでいる。
俺はもう、以前のようには主の側にいることができない。
だけど、俺にもまだ、主のためにできることが存在する。そう思えることが、あまりにも嬉しかった。
***
その後も、二人は順調に愛を育んでいかれた。
「なあ、ロキ。おまえ、わざとやっただろう?」
「……何のことです?」
ある日のこと。主は不機嫌そうに眉を寄せ、俺のことをじっと見つめた。
「とぼけるなよ。夜会でのこと。お前までミーナと踊る必要なかったじゃないか。俺を焚きつけるためにわざとそうしたんだろう?」
「――バレていましたか」
その瞬間、俺は思わず口の端を綻ばせた。
「当たり前だ。一体何年の付き合いだと思っている?」
主はそう言ってため息をついた。
少しばかり幼さの残る表情に態度。けれど、主がこういう素の部分をお見せになるのは、俺とミーナ様の前だけだ。
普段は皇帝として、威厳に満ちた振る舞いをなさっているのを知っているだけに、些細な違いがとても嬉しい。俺は静かに頭を下げた。
「差し出がましいことをして、申し訳ございません」
「別に、怒っているわけじゃない。ミーナと踊るお前を見て、嫉妬心に駆られただけだ」
(当然です。そうなるように仕向けたのですから)
言葉にはせずとも、主には俺の気持ちがバレバレらしい。ピンと額を弾かれた。
「まったく……ロキが俺を裏切ることはないとわかっている。だが、お前にその気がないとしても、ミーナの方は分からないだろう? もしもこの先ミーナがお前を選んだりしたら、俺は一生お前を恨むぞ」
「――そう思うのなら、ミーナ様にきちんと気持ちをお伝えください。妃としての生活にも既に慣れたご様子ですし、これ以上、先延ばしにする必要もないでしょう?」
死に戻った当初ならまだしも、今のミーナ様が主から逃げることはないだろう。『わたしに妃なんて務まらない』と謙遜したところで、既にミーナ様は主の妃なのだ。もちろん、そういう結論が出せるように主はミーナ様に『契約妃』という役割をお与えになったのだけど。
「わかってるよ。次に会ったときには、ミーナに俺の気持ちを伝えるつもりだ。名実ともに俺の妃になってほしい。ミーナだけを愛しているって」
主はそう言って、愛し気に目を細める。
目を瞑ると、この場にミーナ様がいるかのような心地がした。
***
「どうしたの、ロキ?」
ミーナ様の言葉にハッとする。
いつの間にか思い出に浸ってしまっていたようだ。まだ、完全に平和が訪れたとも限らないのに――そう思うけれど、今があまりにも幸せで。ついつい気が緩んでしまう。
あれから色んなことがあった。
ミーナ様が毒に倒れ、主を亡き者にせんとする陰謀を暴き、ようやく訪れた平穏な日々。
俺は主の側近へと返り咲くことができた。
誰よりも主の側近くにいられること。主のために働けることがこの上なく嬉しく、心から光栄に思っている。
「失礼しました。少しだけ、以前のことを思い出していたのです」
ミーナ様からの問いかけにこたえながら、俺はそっと微笑んだ。
今俺は、ミーナ様を貴石宮へとお連れしている。忙しい合間を縫ってでもミーナ様に会いたいという、主の希望を叶えるためだ。
「少し前――って、どうせアーネスト様のことでしょう? ロキはアーネスト様のことばかりだもの」
そう言ってミーナ様はクスクス笑う。俺は静かに目を細めた。
(ミーナ様は知らないのだろう)
俺にとってミーナ様は、主と同じかそれ以上に大事な存在になっていることを。
主の想いは俺の想い。同調してしまうのはある意味仕方のないことだ。
「お腹――随分大きくなられましたね?」
「うん。この中に二人も赤ちゃんがいるなんて、未だに信じられないんだけど」
ミーナ様はそう言って、愛し気にお腹を撫でる。
事件から数か月後、ミーナ様は主の子を身籠られた。医師の見立てでは、子は一人ではなく二人いるらしく、皆が誕生を心待ちにしている。
もちろん、俺もその内の一人だ。
妊婦というのはじっとしていればいいというものではないらしく、こうして貴石宮へ日参することも、出産に向けた大切な準備だ。
もちろん、お二人が互いに会いたがっているというのが理由の大半なのだけど。
「まだ一度も動いたことがないのよ? そろそろ胎動を感じる頃だって聞いたんだけど。ロキも触ってみる?」
「いいのですか?」
促されるまま、恐る恐る手を伸ばしてみる。すると、ミーナ様のお腹に手を当てたその瞬間
「「!」」
ポコッと、泡が弾けるような感覚がした。
「動いた! 今、動いたよね?」
ミーナ様が瞳を輝かせる。俺は大きく頷いた。
「すごいわ! 赤ちゃんはきっと、ロキのことが好きなのよ。やっぱり親子って似るものなのね」
無邪気な笑顔。あまりにも愛らしく、思わず抱き締めたくなるような衝動に駆られる。
「――楽しそうだね?」
けれどそのとき、背後から主の声が聞こえてきて、俺は反射的にその場に跪いた。
「アーネスト様! 実は今、赤ちゃんが動いたんです!」
俺の頭上でミーナ様が笑う。
「よかったね、ミーナ」
主はそう口にし、俺へとそっと目配せをする。困ったような、呆れたような、そんな表情だ。
(わかっていますよ)
心の中で呟きながら、俺は真っ直ぐに主を見上げる。
かつての俺にとっては、主がこの世のすべてだった。けれど、大切なものは少しずつ、少しずつ増えていく。
ミーナ様が笑えば主は笑う。主が笑えばミーナ様も笑う。
お二人が仲睦まじくあればあるほど、幸せはどんどん増えていく。そのことが、俺はたまらなく嬉しくて。幸せで。
そんな穏やかな日々が一生続いてほしい――そのためなら、俺はなんでもするつもりだ。
抱きしめ合い、微笑み合う二人を前に、俺は満面の笑みを浮かべるのだった。
番外編をお読みいただき、ありがとうございました!
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またいつか、このお話の番外編を書きたいなぁと思っております。
改めまして、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!




