【番外編】ロキの願い(前編)
番外編です!思いのほか長くなったので、前後編(予定)に分けています。よろしくお願いいたします。
「ロキ、聞いてくれ。ミーナが見つかったんだ!」
それは主が皇帝に即位する前日のこと。俺は主から執務室へと呼び出されていた。
「それは――! よかった。本当によかったです! 一体どこにいらっしゃったのですか?」
父親と兄君を一度に亡くし、主が皇帝になることが決まって以降、俺はミーナ様を探すために奔走していた。
幼い頃に主がミーナ様と共に過ごせたのはほんの数日。離れ離れになって以降、ミーナ様は離宮で宮女の仕事を与えられたと聞いていた。
けれど、俺が迎えに行った離宮にミーナ様はいなかった。別の宮殿に移ったと言われたものの、詳細を知る者は一人もいなかったのだ。
平常時なら人探しも容易いが、今は皇帝代替わり準備の真っただ中。皇宮内はどこもかしこもバタついている。それでも、密かに人を遣って調査を急がせていたのだが。
「灯台下暗しっていうだろう? ミーナは金剛宮にいたんだよ」
主はそう言って懐かしそうに目を細める。
幾度も幾度も聞かされた、幼い頃のミーナ様との思い出話。金剛宮で一緒に遊んだこと。将来の約束をしたこと――まさか、そんな思い出の金剛宮で二人が再会を果たしていたとは思わなかった。
「本当におめでとうございます。それで、ミーナ様は主の妃になられるのですよね?」
「ああ。無理やり金剛宮の妃に捩じ込んだから、ギデオンには苦言を呈されたよ。準備が間に合わないって。絶対になんとかするようにと伝えたけどね」
そう言って主は小さく笑う。
本来なら、入内にはかなりの準備が必要だ。それを即位前日に捩じ込んでしまうあたり、主のミーナ様への執着っぷりは半端ない。
もちろん、ミーナ様を見つけた段階で妃にすると、俺は聞いていたけれども。
「それで、ロキに頼みがあるんだ」
「もちろん、なんなりとお申し付けください」
今日を最後に、俺は側近の任を解かれる。『皇子の主』の側にいることはできても、『皇帝である主』の側にはいられないからだ。
それでも、なんとか貴石宮の警護は任せてもらえることになったのだが、どうやったって寂しさは募る。
どんな些細なことでもいい。主の役に立ちたい。それこそが、俺の願いだった。
「今から一年後、俺は死んでしまうかもしれない」
「……え?」
主の言葉に息を呑む。心臓がドクンと大きく跳ね、苦しくてたまらなくなった。
(主が死ぬ?)
そんなの無理だ。受け入れられない。受け入れられる筈がない。
しかし――
「一体どうしてそんなことを言うんですか?」
「俺はね、何者かに殺されてしまうんだ。金剛宮で、食事に毒を盛られた。血を吐きながら苦しみ、死んだ――その筈だった」
「……?」
一年後の未来の話をしている筈なのに、まるで主はその光景を見てきたかのように言葉を紡ぐ。目を閉じながら、情景を思い浮かべているかのように俺には見えた。
「あの日――俺はようやくミーナを見つけたんだ。一年も探し続けて、ようやく会えた。それなのに、言葉も碌にかわせないまま俺の人生は終わってしまった。俺の傍らでミーナは泣いてた。せっかく再会できたのに――」
そう言って主は顔を歪める。
主がどれ程ミーナ様に会いたがっていたのか、俺は知っている。どれ程ミーナ様を想ってきたのかも。
だからこそ、俺はミーナ様の捜索を急いでいたのだから。
「ロキに信じてもらえるかはわからない。だが、俺は確かに一度死んだんだ。
だけど、俺の時間は巻き戻った。皇帝に即位する前日。今日この日に」
主はそう言って真っ直ぐに俺を見つめている。
確かに、俄かには信じがたい話だ。
「俺は主を信じます」
けれど、俺にとっては主が全てだ。主の言うことを全面的に信じる。疑いなど抱きようがない。
「よかった。ロキならそう言ってくれると思ったんだ」
主が笑ってくれるのが嬉しくて、誇らしくて、俺の瞳に少しだけ涙が滲んだ。
「それでね、ロキ。俺は死に、時間が巻き戻って、それからもう一度ミーナを見つけたんだ。ミーナにも一度目の人生の記憶があった。今から一年後に俺が死んでしまうという記憶が」
「嫌です! 主が死ぬなんて、絶対に受け入れられません。俺が犯人を探し出します。主を殺させはしません」
この世に不可避な未来などない。俺が未来を変えてみせる。
ずいと身を乗り出せば、主は穏やかに目を細めた。
「ありがとう。俺も同じ気持ちだよ。
だけど、ロキには一番大事な仕事を頼みたいんだ」
「一番大事な仕事?」
主は大きく頷くと、俺の肩をそっと叩いた。
「ミーナのことを守ってほしいんだ」
あまりにも真剣な眼差しに、俺は小さく息を呑む。
「しかし、それでは……」
「お前が俺を優先したいことはわかっている。だけど、俺にとってはミーナがなによりも大切なんだ。
どうか俺と一緒にミーナのことを守ってほしい」
長年お仕えしているが、こんなにも必死な主の姿は見たことがない。
俺にとって、主の願いは絶対だった。
「承知しました。全力で、ミーナ様をお守りします」
そうこたえたら、主はとても嬉しそうに目を細めた。
***
とはいえ、しばらくの間、ミーナ様へのお目通りは叶わなかった。代替わりに伴う仕事が山程あるからだ。
肝心の主も、ようやくミーナ様と再会できたというのに、貴石宮にこもって日夜仕事に明け暮れていた。
「ミーナに会いたい」
俺以外の人間が側にいないとき、主はそんな風に本音を零した。
主には今、睡眠を犠牲にしなければならないような急ぎの仕事は存在しない。
けれど、それでもミーナ様に会うことは叶わなかった。ギデオン様に『金剛宮にばかり通い過ぎだ』と苦言を呈されてしまったからだ。
「そろそろお休みになってはいかがですか?」
「……今休んだら、蒼玉宮や紅玉宮に行くように勧められるだろう?」
そう言って主はため息をつく。
皇帝が忙しいのは間違いない。けれど、ミーナ様の元に通うことができない時期の忙しさは、主自身の手によって作り上げられたものだった。
他の妃の元に通わなくて済むようにと――主にミーナ様以外の女性を愛するつもりは一切ないのだ。
そもそも、主は元々、ミーナ様を唯一の妻にと望んでいた。
けれど、皇族が主一人だけという非常事態の中、平民の少女一人を妻にしたいという希望がまかり通る筈もない。また、ミーナ様の入内自体をよく思わない重鎮も多かった。
だから、後宮に四人の妃を置くことで、主はミーナ様への負担を最小限に留めようとしている。いずれは後宮を解体したいと望んでいらっしゃるが、果たしてどうなることやら――――
「ミーナに会いたい」
先程とまったく同じ言葉を主が呟く。
切なげな声音。ミーナ様にも聞かせてやりたいと心から思う。
「ミーナも俺に会いたいと思ってくれているだろうか?」
なんでも主は、ミーナ様に直接想いを告げたわけではないらしい。ミーナ様の想いを尋ねたわけでもないらしい。
死に戻りの混乱の中、ミーナ様に余計な負担を掛けたくなかった――というより、ミーナ様が絶対に逃げられない状況を作りたかったらしい。
その結果、ミーナ様は主の『契約妃』となった。
おかげで、十年越しの想いが叶ってようやく夫婦になったというのに、主は片思いをしているのと同じような状況が続いている。主自身は、そんな状況すらも楽しんでいるし、なにより幸せそうではあるのだけれど。
結局、主のミーナ様断ちは長くは続かなかった。
なんやかやと理由を付けて、頻繁にミーナ様に会いに行っている。
普段は凛々しく聡明な皇帝であっても、ミーナ様の前では完全に恋するただの男だった。
「見てくれ、ロキ。ミーナに貰った手紙なんだ」
これまで見たことのないような嬉しそうな主の笑み。俺まで胸が温かくなる。
「よかったですね。一体、どんなことが書いてあるんですか?」
「ミーナには、その日あった出来事やミーナ自身のことを書いてほしいと伝えたんだ。書き取りの練習になるからと理由を付けて」
「……意地がお悪いですね。本当はミーナ様からの手紙がほしいだけなのでしょう?」
返事はかえってこないものの、主の幸せそうな表情がそのこたえを物語っている。
とはいえ、主のことだ。しっかりと本音も伝えているに違いない。
「主は本当に、ミーナ様のことがお好きなのですね」
思わずそう呟いたら、主は至極穏やかに目を細める。
「もちろん」
見ているだけで胸焼けのしそうな甘ったるい笑み。こんなにも主に愛されるミーナ様を、俺は羨ましく思うようになっていた。




