29.見送り
それからまた、数日が過ぎた。
(うわぁ……!)
心の中で叫び声を上げつつ、興奮で胸が高鳴る。
ここはアーネスト様が日中殆どの時間を過ごす内廷。わたしが滅多に足を踏み入れることのない場所だった。
本当はキョロキョロと見回したいけど、妃らしくない振る舞いだから自重する。だけど、正直言って興味津々だ。
(当たり前だけど、男の人がたくさんいるなぁ)
後宮にも男性はいるけど、その数はものすごく少ない。
以前、エスメラルダ様が仰っていたように、妃や侍女たちが皇帝――アーネスト様以外の男性と通じないためだ。
後宮とは対照的に、ここ内廷には女性の姿が殆どない。以前カミラが『我が国は典型的な男性社会だ』って教えてくれたけど、それにしたって少ない。文官や騎士たちから注がれる好奇の眼差しに気づかないふりをしながら、わたしは使者の後に続いた。
目的の部屋に到着すると、使者はわたし後ろにそっと下がる。ありがとうをお礼を言ってから、わたしは部屋の中に入った。
「ミーナ様、わざわざご足労いただき、申し訳ございません。何分急な話だったもので」
中でわたしを待っていたのはロキだった。騎士装束を身に纏ったロキは、跪いて頭を下げる。
「ううん、気にしないで。おかげで内廷に来れたし、後宮の外に出るのは久々だもの。新鮮な気分だし、なんだかとても嬉しかったわ」
「それはよかった」
互いに微笑み合いつつ、案内されたソファへと腰掛ける。
「それにしても、本当に急な話ね。『視察に行く』って手紙に書いてあったけど」
「はい。セザーリン地方に。ミーナ様へのご挨拶が済み次第、すぐに出発いたします。俺が不在の間は別の者が警護を務めますので、ご安心を」
ロキが後方をチラリと見遣る。すると、その場に控えていた数人の騎士が、わたしに向かって恭しく頭を下げた。見知らぬ顔ばかりだけど、ロキやアーネスト様が選んだ人なら間違いない。「よろしくね」と口にして、わたしは微笑んだ。
「それにしても、わざわざロキを派遣するんだもの。余程大事な用事なんでしょう?」
ロキが動くのは、アーネスト様が絡む案件だけ。今回の視察は間違いなく勅命だろう。
「さあ、どうでしょう……そこら辺の事情は主から口止めされていますから」
人差し指をそっと立て、ロキは悪戯っぽい笑みを浮かべる。すると、傍らに控えていた侍女たちが数人、悩まし気なため息をついた。少し離れたわたしにまで、その熱気が伝わってくる。
(罪作りな男だなぁ)
ロキ本人にその自覚がないのが、より厄介な点だろう。だって、アーネスト様のあれは確信犯だもん。
無差別か狙い撃ちかの違いはあれど、つくづく嫌な主従だと思う。
「カミラ殿」
そんなことを考えていたら、ロキが徐にカミラを呼んだ。
「……は、はい。なんでしょう?」
いつも卒のないカミラにしては珍しく、歯切れの悪い反応だ。頬をポッと染めて口元を恥ずかし気に隠した彼女は、なんだかとても可愛らしい。普段キビキビしている分だけ、余計にギャップが目立った。
「俺がいない間、ミーナ様をよろしくお願いいたします」
「まぁ、ロキ様……! もちろん、しっかり務めさせていただきますわ」
カミラは誇らし気に瞳を輝かせ、ドンと大きく胸を叩く。ロキは穏やかに目を細めた。
「ありがとうございます。ミーナ様は俺にとって、もう一人の主ですから。命に代えてもお守りしなければなりません」
そんなことを口にして、ロキはわたしをそっと見上げた。その表情はまるで従順な子犬のよう。不覚にも少しときめいてしまった。
(いけない、いけない)
契約妃とはいえ、わたしはアーネスト様の妃だ。今のは断じて恋愛感情ではないけど、他の男性にドキドキしたり、心を預けてはいけない。
「って……ん? もう一人の主?」
「はい。俺が今ここにいるのは、ミーナ様のおかげですから」
そう言ってロキは微笑むけど、わたしにはまったく身に覚えがない。ゆっくり首を傾げると、ロキはクスクスと笑い声をあげた。
「理由はいつか、主に聞いてください。――では、俺はこれで失礼いたします」
恭しく頭を下げ、ロキはわたしの手の甲に触れるだけのキスをする。
「行ってらっしゃい、ロキ」
待ってるね、と口にして、わたしはロキを見送った。




