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21.お渡り【前編】

「こ、これは……」



 ついに――ついにこの日が来てしまった。今しがた受け取ったばかりの手紙を手に、わたしは一人打ち震える。


 海外から取り寄せたという綺麗な色麻紙に並んだ、繊細かつ力強い文字。顔をほんの少し近づけるだけで書き手の香水が香って、わたしの心臓が大きく跳ねる。



(どうしよう。一体どうしたら……)



 半ばパニックに陥りつつ、部屋の中をグルグルと歩き回る。けれど、そんなことをしたところで、いい案は一つも浮かんでくれない。



「ミーナ様? 一体如何したので……あぁ、ようやく陛下がお渡りになられるのですね!」



 挙動不審のわたしの表情と、手紙とを交互に見遣り、カミラは大きく手を叩いた。



(すごい……エスパー?)



 彼女の言うとおり、アーネスト様からの手紙には『今夜金剛宮に行く』と書かれていた。



「本当にお久しぶりですこと! 気合を入れて準備をせねばですね」



 そう言ってカミラは、他の侍女たちにテキパキと指示を飛ばしていく。侍女にとって、金剛宮にアーネスト様をお迎えすること――アーネスト様がわたしの元に通うことは、すごく喜ばしいことらしい。カミラの表情は久々に活き活きとしていた。


 一方、わたしの気分は浮かばない。



(こんなこと、一ヶ月半前までならなにも思わなかったのになぁ)



 以前なら、どれだけ会っていない期間が長くても、アーネスト様が金剛宮に来ることは当たり前だった。先触れがないこともしょっちゅうだったし、必要以上に身構えることも、怖いと思うこともなかった。それなのに――。



(本当にどうしよう……一体どんな顔をしてアーネスト様にお会いしたらいいの?)



 手紙では平常心を装えても、顔を見たらそうはいかない。感情が駄々洩れになった情けない表情を晒す羽目になりそうで、想像するだけで眩暈がする。

 というか、もしもアーネスト様にあの夜と同じことを尋ねられたら、いよいよ耐えられる気がしない。



(なんて、アーネスト様は全っ然平気なのかもしれないけど)



 もしかしたらアーネスト様は、エスメラルダ様や他の妃にもあんな風に『好き』って言わせてるのかもしれない――そう思うと、ほんの少しだけ頭の中が冷めていく。代わりにモヤモヤが胸を占拠して、わたしは首を横に振った。



(――特別なことはなにもなかった)



 侍女たちに準備をしてもらいつつ、何度も深呼吸を繰り返す。鏡に映ったわたしはひどく心許ない。



(それじゃ、ダメだ)



 鏡の前に座ったまま、何回も、何十回も同じ自問自答を繰り返し、夜が来るのをじっと待つ。

 それから数時間後、アーネスト様が金剛宮へとやってきた。



「久しぶりだね、ミーナ」



 部屋に着くなり、アーネスト様はそう口にした。宮殿で出迎えの挨拶をしたときにも同じやり取りをしたというのに、さっきよりも親しみがこもっている。側にカミラしかいない気安さからかな? なんだかむず痒い気持ちになってしまう。



「はい、お久しぶりです」



 そう言ってわたしは微笑んだ。


 よかった。これまでのやり取りで、わたしは自分でも意外な程に平常心を保てていた。そりゃあ、アーネスト様と一緒にいるだけで胸がドキドキするけど、少なくとも挙動不審になるのは免れている――いや、そう思いたい。



「ありがとう、カミラ。あとはわたしがやるから」


「はい、ミーナ様。ごゆっくりお過ごしください」



 いつものようにお茶の準備をカミラから引き継いでから、わたしはホッと息をつく。

 けれどその瞬間、なにかがわたしの身体をふわりと包み込んだ。アーネスト様の香を強く感じる。これまでと違った展開に体を震わせつつ、わたしはそっと後を振り返った。



「アッ、アーネスト様……」


「ん?」


(ん? じゃありません!)



 そう叫びたくなるのを必死に堪えつつ、わたしはそっと頬を染める。

 背中越しに感じる体温と、アーネスト様の逞しい腕。わたしの肩口に顔を埋められていて、アーネスト様の吐息が首元へと吹き掛かる。ゾクリと肌が粟立ち、汗が噴き出た。



「このままじゃ、お茶の準備が出来ません」



 声が情けないほど震えている。折角いい感じに取り繕えていたのに、一瞬で台無しになってしまった。そのことがものすごく悔しい。



「そんなの後でいいから」



 そう言ってアーネスト様は、さっきよりも強くわたしのことを抱き締めた。



(あぁもう! お願いだから勘違いさせないで)



 抱き締められることなんて、別にはじめてじゃない。ソファでお休みになるときとか、一緒に眠るときとか、アーネスト様は多分『温もり』を欲しているときにわたしを抱きしめていた。だから、これまでは戸惑い半分、嬉しさ半分で受け入れてきた。



(だけどダメ! もう無理!)



 これまでとなにが違うって、わたしの気持ちが違うだけなんだけど、これ以上は心も体ももちそうにない。


 今度からスキンシップは別の妃にしてください――そうお願いしようとしたその時、温かくて柔らかいなにかが首筋に触れた。



「ふっ……えぇ!?」



 アーネスト様の唇が、わたしの肌を甘く吸う。その途端、心臓が大きく跳ね、体がハチャメチャに熱くなった。



「アッ、アーネスト様⁉」


「……なに?」


「唇が当たってます」


「当てているからね」



 サラリととんでもないことを言われ、わたしはギュっと目を閉じる。



「ミーナが『全然平気』って顔をしていたから」


「……へ?」



 アーネスト様はそう言って、ようやくわたしを解放してくれた。かわりに、茹蛸みたいに真っ赤になったわたしの顔を、上からまじまじと観察しはじめる。



「俺はちっとも平気じゃなかったのに」



 切なげに細められた瞳。アーネスト様はわたしの頭をポンと撫でた。



『アーネスト様はズルい!』



 反射的に、そんな言葉を叫びそうになる。

 散々わたしに『好きだ』と言わせておいて、自分は思わせぶりなことばかりする。一方的な片想いだって思えたなら、わたしだって分不相応にアーネスト様を求めたりしないのに。



(お願いだから、これ以上惑わせないで)



 わたしのなにを差し出しても構わない。見返りなんてなにもいらない。だけど、どうかわたしに求めさせないでって、そう強く思う。



「――お茶をお持ちします。そちらでおかけになってお待ちください」



 湧き上がってくる感情と言葉を全部呑み込みながら、わたしは必死でそう伝える。



「わかった。待ってる」



 そう言ってアーネスト様は穏やかに微笑んだ。

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