19.愛を乞う
アーネスト様に連れられて、わたしはいつの間にか夜会会場を後にしていた。騎士たちが数人、慌てた様子でわたしたちの後を追ってくる。けれど彼等はアーネスト様を止めるでも、距離を詰めるでもない。少し離れたところにいて、わたしたちを護衛してくれている。
「アーネスト様?」
訳がわからないまま、わたしはアーネスト様を呼んだ。アーネスト様はこちらを振り返らないまま、真っ直ぐ前へと進んでいく。
やがて中庭まで辿り着くと、アーネスト様はようやく足を止めた。アーネスト様が騎士たちへ目配せをする。彼等は何も言わずに、わたしたちの視界からはけていった。
「……アーネスト様?」
躊躇いつつ、わたしはもう一度アーネスト様の名前を呼ぶ。
今夜は三日月だ。月明かりが、アーネスト様の表情を仄かに照らす。その瞬間、わたしは密かに息を呑んだ。それは皇帝としての凛々しい顔つきとも、エスメラルダ様に向けていた笑顔とも違う。苦し気で、どこか切羽詰まった表情だった。
「ミーナ」
名前を呼ばれ、思わず一歩後ずさる。アーネスト様はそれに構わず、わたしに向かって手を伸ばした。
アーネスト様の大きな手のひらがわたしの頬を撫でる。まるで心臓に直接触れられたかのように、ぶるりと体が震えた。
「ミーナは俺のことが好きだよね?」
「…………へ?」
質問の意味が、意図が理解できない。わたしはアーネスト様を呆然と見上げる。
「あの、アーネスト様?」
「好きだよね?」
俄かには信じがたいけど、聞き間違いではなかったらしい。アーネスト様はわたしの両手をギュッと握ってきた。心臓が変な音を立てて鳴り響く。
(好きですよ……! そりゃあもう、悲しくなるぐらい好きだけど)
素直にそう伝えるのは難しい。恥ずかしいし、叶わぬ想いに切なくなるし。
大体からしてわたしは、アーネスト様に好意を伝えていいような人間じゃない。――だってわたしは、ただの契約妃だもの。
「――心からお慕いしています」
「それは主君として、って意味だろう? 俺が言ってるのはそういうことじゃない」
やっとの思いで捻り出したわたしの答えを、アーネスト様は一瞬で否定した。
(だったら一体、どういうことなんですか⁉)
そんな風に尋ねたくなるけど、アーネスト様の口からハッキリ答えを聞いてしまうのも怖い。
アーネスト様は今も、真剣な表情でわたしのことを見つめていた。体が熱くて、心が震える。今すぐこの場から逃げ出したかった。はじめて目にするアーネスト様の表情が怖くて、それから愛しい。自分でもチグハグだって思うけど、そんな奇妙な感覚だった。
(本当に伝えてもいいの?)
こんな機会、きっともう二度と来ない。だったら、たった一度だけでもいい。許すと――許されるというのなら、アーネスト様にわたしの気持ちを伝えたい。そんな欲が沸々と湧き上がる。
「――好きです」
二人きりの中庭にわたしの声が小さく響いた。何度も口を開け閉めして、ようやく口にできたその言葉は、ひどく震えて聞き取りづらい。だけど、ありったけの想いを込めた愛の告白だった。
アーネスト様は眉間に皺を寄せ、わたしのことを見つめ続けている。
「アーネスト様が好きです」
この想いが本当の意味で叶うことはない。だけど、こうして想いを伝えられたことがとても嬉しい。本当に、心からそう思う。
「もう一回」
「……え?」
「もう一度言って」
アーネスト様はそう言ってわたしを抱き締めた。喉の奥が熱く、燃えるように疼く。
「……アーネスト様が好きです」
「もっと」
「――好きです」
「俺の名前を呼んで」
「――――アーネスト様が好きです」
恥ずかしさに身悶えつつ、許されなかったはずの『好き』を何度も言葉にする。胸いっぱいにアーネスト様の香りを吸い込み、頭が段々クラクラしてくる。
「ロキよりも?」
その時、ぼそりと、まるで独り言のようにアーネスト様が口にした。
「……え?」
「俺が一番だって思っていい?」
(どうしてそんなことを聞くんだろう?)
答えなんてはじめから決まっているのに。こんな風に尋ねられたら、まるで一番であることを望まれているみたいじゃない?
そりゃあ、アーネスト様は皇帝で。何でも一番で然るべき人で。普通に考えたら当たり前のことなのかもしれないけど。
それでも、こんな風に愛を乞われたら――アーネスト様もわたしに愛情を抱いているって、勘違いしてしまいそうになる。
「こたえて、ミーナ?」
「……アーネスト様が、一番です」
けれど結局、わたしに抗うことなんてできない。
「うん」
そう言ってアーネスト様はわたしの髪に顔を埋めた。
「アーネスト様」
「うん?」
「戻らなくていいんですか?」
主催者が会場を不在にしていいのか、その辺の事情はよくわからない。だけど、海外からのお客様もいるのだし、あまりよろしくない状況だってことはなんとなくわかる。
「うん……戻らなきゃだね」
けれどアーネスト様は、言葉とは裏腹に、先程よりも強くわたしのことを抱き締めた。
「あの……」
「もう少しだけ。ミーナも俺を抱き締めて」
心臓がギュッと収縮する。そんな風に言われて、拒めるはずがない。
おずおずとアーネスト様の背に手を伸ばせば、アーネスト様は大きく深呼吸をした。
「ミーナ」
アーネスト様が何度も何度もわたしの名前を呼ぶ。月が雲に隠れ、辺りが仄暗くなる。
わたしたちを見ていたのは月だけじゃない――このときのわたしは、そのことにちっとも気づいていなかった。




