プロローグ
僕は月だ。太陽じゃない。
だから、目立たなくていいんだ。目立つ事なんか...とうの昔に諦めてしまった。
美人で評判の女性社員が、営業成績の書かれたホワイトボードを指しながら、
「今月の営業成績で・す・が! 新人の平野君がTOPになりました!」
と報告する。
歓声に包まれるオフィス。周りに囲まれながらもにこやかにかつ的確に応対する平野は、
丁寧さ。そして顔立ちの良さから、とても恵まれた環境で育ってきたことがよく分かる。
先輩からも慕われ、今日は昼休憩で軽い祝賀会といったところだ。
その先輩たちが、いろいろ用意してくれているはずだったのだが...
「あれ、お菓子と飲み物ってどこにある?」
「え、お前が買ってくるんじゃなかったの?」
「いや、俺午前中外回りあるって言ったぞ?」
オフィス内の空気が固まる。そんな中、平野が口を開く。
「皆さんが、こうして祝いの言葉を掛けてくれただけでも、明日からまた頑張れます!来週は大手企業へのプレゼンもあるので頑張りましょう!」
社内は再び活気に溢れた。
「やっぱ、期待のエースは言うことがちがうぜ。」
皆が改めて平野を称える中、女性社員が机の隅に置いてあるビニル袋を見つけた。
「あれ、これお菓子とジュース!やっぱ買ってきてくれてたんじゃないですか!!」
「え、そうだっけ?買った覚えないけど...。」
「僕が買っておきました。」
話しかけるが聞こえていないようだ。というか存在に気がついていない。
「まぁ、いいじゃん!買ってくれた気が利く誰か。ありがとう!みんなー!お菓子と飲み物あったよー!」
「あの、これ経費で...はぁ。」とため息をつく。
これが、空野 月の日常だ。元々影が薄く目立たない。
学歴もあまり良い方ではなく、卒業したのは高校まで。
小学校時代の両親の離婚が原因だ。父親に引き取られるも、再婚後に新しい月の母親と失踪。
元の母親も既に新しい家庭を持っていて、月を引き取る気はないという。
父母の親戚を行ったり来たりして、厄介物扱いされる中で、だんだんと影が薄くなっていった。
成績はそこそこ優秀だったが、部活にも行けず、常にトップでもなかったため推薦が取れず、
卒業後に小さな商社に派遣社員として就職した。
営業成績は良かったが、派遣は正規とは別枠で誰も成績を見ていない。
月の影の薄さもあって誰も、彼に気づけないでいた。
「淀〜。淀〜。淀駅です。この電車、台宮行きの最終電車です。」
深夜、最寄駅に到着して月は一息つく。
今月の給与明細を見て二息目をついた。
「今年も上がらないな...。」
辛い。
そこそこ成績も残していて、仕事をこなしているのに誰からも評価されないのが辛かった。
一生、この給料のまま生きていくのか。そう思うと心のどこかがキュッと締まる音がした。
とぼとぼと歩き出し、駅から片道25分の小さなアパートまで歩き出す。
ふと、焦げ臭い匂いがした。
世渡りから覚えた節約家な性格と、先ほどの給与明細が頭に浮かびイライラする。
「なんだこの匂い。何を焦がして...は?」
燃えているのは、月の住んでいるアパートだった。