カウンセラー2
「晃さん、おはようございます」
何事もなかったように美玲さんが部屋へ入って来る。
昨日はボロボロ泣いて恥ずかしい姿を見られたので、なんとなく美玲さんの顔を正面から見るのが照れくさい。
だがそんなそぶりを見せればきっと、この人は俺をからかおうとするに決まっている。そこが美鈴さんと美玲さんの明らかに違うところだ。何故俺がそんなことに気付かないと思うのだろうか。不思議だ。
俺は弱みを見せないように、必死に平静を装った。
「今日からまたリハビリを始めますよ」
そう言いながら朝食の支度をしてくれている。
「その前に、朝食の後にはドクター永益の診断があります。ドクターのOKが出れば午前中はリハビリで、午後からは山野さんのカウンセリングです」
「はい」
昨夜から、俺は少し真面目に今の状況を整理している。
何しろ、暇なのだ。
病室には娯楽と言えるものが一切ない。それでも困らないのは、ひたすら眠っているからだ。
長い仮死状態から醒めたばかりの体は好調だが、精神の方は非常に疲れやすい。
食事の後はすぐに眠くなるし、少し誰かと話をしただけで疲れて頭の中に霧がかかったようになる。おかげでたぶん1日の3分の2は眠っているのではなかろうか。
だから暇つぶしに今の状況を頭の中で整理しているうちに、昨夜も早々と眠りについてしまった。そして今、その続きを考えている。
先ず、俺自身について。
東京で交通事故にあったのが昨日のようにはっきり思い出せるわけではない。感覚的には1年前くらいのように感じる薄ぼんやりとした記憶だ。
だがそれは過去から連続する明確な記憶で、全ては俺が富岡清十郎本人であることを示している。
次に、この肉体だ。これは明らかに、俺の体ではない。だが、不思議と何の違和感もなく自分の体と認識して馴染んでいる。明らかに、他人の体とは呼べない特別な感情がある。
これが転生というものなのだろうか。何らかの理由で大島晃の意識が消えたところへ富岡清十郎の意識が入り込んだにしても、馴染み過ぎている。
リハビリで体を動かしていても、ずっと以前からこの体で暮らしていたような気がするし、逆に野球をやっていたころのもう少し小柄な体を思い出す方が難しい。実に奇妙な感覚だ。
どうやら本当にここは2050年で、怪獣が出現する未来都市だ。
こういうのは、知識としては知っている。俺が暮らしていたのとは別の、もう一つの地球。並行世界、パラレルワールド?
アニメや小説では当たり前のように存在した別世界。そして異世界転生。
でも俺は相当に頭が固いのか、それを簡単に受け入れられない。
そうこうしていると、やはり眠くなる。だがまだ朝食前だ。
「肉体的には極めて順調、何の問題もなく活動可能な状態だ」
ドクターのお墨付きをもらって、午前中はリハビリに精を出した。
問題は午後に来るあの人だ。
「やたらと神経が疲れて眠くてしょうがないんですけど、もしかしてこれは一服盛られているんですか?」
俺はカウンセラーの山野さんに、正直に話してみた。
山野さんは相変わらずの美少女中学生の顔を少しほころばせて、軽い口調で答えた。
「うーん、確かにトミーにも最初は鎮静効果のある薬剤を使ったよ。けど昨日からは何もその手の薬を使っていないんだよねぇ。たぶんそれは君の体の防衛反応のひとつだと思うんだ。今の状況を心が受け入れて落ち着いてくれば、もっと神経の緊張も解けると思うんだけど」
俺は、そんなに緊張していたのか。
「緊張をほぐすような薬もあるけどさ、それを使うと余計に眠くなるよ」
それは困る。
「まあ、50年も眠っていた脳がいきなり活動を始めたんだぞ。慣れるまでは多少疲れやすいのは当たり前のことさ。だから焦らなくていい。ゆっくりやろう」
そういうものなのかな?
「でもそれでは、50年も眠っていた肉体が今普通に動いていることが異常ということ?」
どう考えても、俺の体がまともに動かせることの方がおかしいように思える。
「ああ、それはドクター永益マジック、というやつだね。あの人は異常な天才だから」
「天才?」
「ああ、あの人も確か15年くらいの間怪獣の胃袋で眠っていた人なんだ。で、目覚めた時は今の君と同じような年齢だった。それから猛勉強して医者になり、君たちのように長期間仮死状態になっていた人を救う研究を長年続けて来たんだ」
天才とナントカは紙一重というやつか。
「その過程で様々な発明品を生んで、今では世界一の発明家と呼ばれている。ほら、世界中の誰でもが着ているこの万能スーツ、正式な名前をDNスーツと言う。つまり、ドクター永益スーツさ」
山野さんは白衣の下に着ている薄水色の体にぴったりした服を見せる。
「そういえば、ドクター永益もその恥ずかしい服を着ていましたね」
「恥ずかしいと言うな。今はこれが常識だぞ。こいつは怪獣の組織研究から生まれた新素材で、通称永久スーツ(Permanent suit)とも言われている」
でもやっぱりこれは恥ずかしい。
「外部からの付加エネルギーなしで人間の生体反応だけを利用して強力なプロテクション効果と耐寒耐熱効果を維持する優れもので、一度着ると脱げなくなるのでその名がある。街では単にPSとも呼ばれているから、覚えておけ」
「その恥ずかしいレオタードをドクターが開発したと……」
「ああ。この優れた服の素材開発から製品化まで、全て彼の業績だ」
まさかあのインチキ臭いドクターがそんなにスゴイ人だとは。
「さて、もしまだ疲れていないならば、もう少しこの世界と君の関わりを話しておきたい。それ以上の細かいことは、暮らしているうちに知ることになるだろう。いいかな?」
「ぜひお願いします!」
「よし、では始めよう」
そうして、山野先生は静かに話を始めた。
人類を襲った怪獣は、実は全く手に負えないほど無茶苦茶に強くもなかったんだ。
頑張れば何とか倒せるレベルで、最初のころは結構善戦していた。
だけど、その前に都市は破壊されてろくな武器はなく、何しろ怪獣は数が多かった。結局次々と人は丸呑みされて、その胃袋へ送られた。
多くの怪獣は、倒される前に何人もの人を呑み込んでいて、体内に君のような未消化の人間を保存したままビルの谷間に埋もれていた。
ここには、そういった怪獣を探して生存者を掘り出すための専門部隊もいる。
胃袋の中から救助された人は、胃液から出て空気に触れたとたんに意識を取り戻す。
昔は様子を見ることもなくすぐに胃の中から出して救助をしていた。
今では君がいたあのカプセルの人工保存液に浸されて、先にフィジカルチェックを受けることになっている。ちなみに、あのカプセルもドクターの発明品だぞ。
あれができるまでは怪獣の胃袋を移動し、そこに入れたまま保存されていたんだ。
君の場合も肉体の損傷が大きすぎたので、治療法が確立されるまでそのまま長い間胃袋の中で保存されていた。胃袋から出て空気に触れれば長くは生きていられないほどの損傷だったと聞いている。その後ドクターの発明したカプセルへ移動されたようだ。
まあ、それが運が良かったと思うのか悪かったと思うのかは、今後の君の生き方次第だが。
さて、胃袋からの生還者はフィジカルに問題がなければ覚醒処理に入るのだけれど、その場合も鎮静剤が投与されて、徐々に様子を見ながら慎重に意識を回復させることになる。
なぜそんな面倒なことを、と思うだろ。
でもな、君の場合はすっかり記憶を失くしていたからまだいい。けれど、普通胃袋から覚醒する者は、ほんの一瞬前まで恐ろしい怪獣に襲われ、死の恐怖を味わった人々なんだ。
それが突然目覚めたら未来の世界でした、と言われて簡単に納得できる問題じゃないのは君なら理解できるだろ?
ドクターも、きっと目覚めた時に同じ思いをしたんだろう。
だから、私たちカウンセラーが心のケアをするために、目を覚ましたサバイバーと最初に言葉を交わす役目を担っているのさ。
君の場合は色々イレギュラーなことが重なり先に目覚めてしまい、しかも怪獣を怖がるどころかベッドを抜け出して屋上まで見物に行ってしまうくらいだから、カウンセラーは必要がないのかとも思ったものさ。
でもその後の君の混乱ぶりを見ると、そんな単純なものではないよな。まあ、50年という時間経過は心のケアを担当する私たちにとっても最大のギャップだしね。
だから、もう少しの間、私が毎日来ることになる。改めて、よろしくね、トミー。
「だから、トミーと呼ばないでください」