潜伏
『で、俺たちはどこへ向かっているんだ?』
エルザさんの研究室を出た俺たちは、再びバックヤードの迷宮を苦労しながら進んでいる。
何のためかはわからぬが、先頭を行く美玲さんが行く先々で様々な小細工をしながら動き回っている。
単にドクターたちと合流する場所を目指しているだけでないことは、確かだ。
『美鈴とドクター夫妻の潜伏先は、最下層のプラント区画内のようです』
ゴンの回答に合わせて俺はマップを見るが、その場所はまたまだ遠い。
『今後の保険のために、美玲にはちょっとした細工をお願いしているので、セイジュウロウも少しお手伝いをお願いします』
そう言われれば、嫌とも言えない。
時折ゴンの指示で立ち止まり、壁面の制御盤を開けたり天井の配管の保温材や被服を剝いたりと忙しい。
そうこうするうちに階層を次々に下り、遂に目的の部屋まで来た。
そこは食糧プラントに隣接する古い倉庫で、積み上げてあるガラクタの間を抜けると奥に隠し扉があった。
錆びたスチール棚の一部に美玲さんが触れると棚ごと壁が横にスライドして、薄暗い通路が現れた。
三人が中に入ると壁は元に戻り、反対側から見ればただの行き止まりの壁になる。
ぼんやり明るい通路は、三人が横に並んで歩ける広さがある。
そのまま進むとこれまた古く錆びた鉄の扉があり、美玲さんがその前に立つと横にスライドして勝手に開いた。
中はちょっとした居間のような居住空間で、ドクター夫妻と美鈴さんがソファーに並んでこちらを見上げていた。
「ようこそ、私の秘密基地へ」
ドクターが大袈裟な身振りで言うが、思わず俺は吹き出してしまう。
「トミー、ここは笑うところじゃないだろ!」
ドクターが憤慨する。
「はいはい、皆さん無事でよかったわ。こっちへ来て休んで頂戴」
エルザさんが立ち上がり、バカな夫のフォローを始めた。
俺は立ったまま室内を見回した。
ここはドクターが昔から使っている違法な研究施設で、生命倫理に反する非人道的な極秘研究が日夜行われている。
一体ここで、無垢な命が幾つ奪われたのだろうか。
壁に残る禍々しい血痕からは、怨嗟と呪いが黒い負のエネルギーとなって染み出ているのを感じる。
『単なる古くて汚い隠し部屋の一つで、そんな怪しい場所ではありませんが……』
ゴンが、妄想する厨二病のバカをフォローしてくれた。
『そうか。なら安心だな』
すぐに美鈴さんとエルザさんが熱い紅茶とサンドウィッチなどの軽食を用意してくれた。
ずっと暗い場所を歩いて来て時間の感覚がなくなっているが、もう明け方近い時間だ。
「では、食べながらでいいから、ここまでの情報のすり合わせをしよう」
ドクターが切り出した。
『では、ワタシも参加しますので、脳内通話範囲を拡大します』
ゴンが突然割り込んだので、エルザさんとドクターは困惑している。
『こら、もっと丁寧に説明しないと分からないだろ!』
一瞬の沈黙があり、ゴンが二人だけに説明をしたようだった。
「えっと、では始めますよ。時系列的に言うと、私たちが小山田村へ出発したところからね」
澪さんが補足し、時間の経過を追ってそれぞれの身に起きたことを繋いて行く。
俺たち三人がトンネルの罠にはまった部分までは、上野に変化はなかったようだ。
ドクターと美玲さんが拘束されたのは、俺たち三人と観測者との対話が決裂したころであった。
だが、二人が拘束された理由は、俺たちが支部長から聞かされたものとは違う。
罪状は、ドクター永益の生命倫理学違反によるものだ。
ドクターによる、大島晃に対する人体実験の倫理規定違反及び、試作型アンドロイドに対するAI規正法違反。
AIに対する倫理規定の詳細について俺はよく知らないのだが、言われてみればドクターの一連の行為は倫理に反する疑いが非常に高く、今まで野放しだった方がおかしい。
俺もしくは大島晃に対する人権侵害も明らかだし、それは今もって継続中だ。
だから、ドクターは解放しないでそのまま拘束しておくべきだったと俺は個人的に思う。
ただ、これまでゴンが行ってきた様々な悪事を思うと、共犯者となる俺には強く言えない。
トータルで考えればゴンの積み重ねた罪状の方がより重く、そうなれば俺自身が投獄されて当然となる。
とにかく、これら多くの罪状でドクターは軟禁され、実験対象となった試作001号及び002号アンドロイドには隔離・停止の命令が出された。
だがこれは、俺たちが拘束された理由である怪獣素材に関する件とは、全く別物である。
確かに、ドクターの罪状で俺を拘束するには理由が弱いし、俺たちの部屋から怪獣素材が出たというまやかしは、ドクターの拘束以降に確認された話である。
「私たちがUSM本部で接触した支部長以下の人間は、嘘を言っていない。私の眼からは、本気でドクターと美玲も私たちと同じ疑いで拘束されていると信じていたわ」
澪さんの眼をごまかすことが出来ないのは、支部長自身が一番よく知っているのだろう。
「私と美玲は支部長たちとは話していないぞ。逮捕しに来たのも、管理部門の警備隊の連中だった」
支部長以下USM幹部はドクターが拘束された事実は知っていたが、その理由については正しい報告を受けていなかったのか?
幾らいい加減な組織とはいえ、この小さな組織内でそんなことが可能なのだろうか?
タイミングを考えると、俺たちが飛鳥山で出会った観測者を名乗る者の一味が関わっている可能性が高い。
「俺たちが飛鳥山から帰還することになったので、慌てて敵は適当な罪状でドクターと美玲さんを押さえた。しかしその罪状では、俺と澪さんを正式に拘束するには弱い」
「わたしが怪獣の肉を所持していることを知った観測者が、急遽別の罪状を作り緊急逮捕に踏み切ったってことね」
「今ごろ裏では辻褄合わせに奔走しているかもしれないな……意外と頭の悪い奴が主犯なのか?」
エルザさんについては簡単な事情聴取があったが、特に何のお咎めもなかったらしい。
ただ、常に監視はされていたようだ。
その他討伐隊、特に第ゼロ小隊に関しても、動きはないそうだ。
さて次は、澪さんの脱出についてだが、俺以外は概ね知っているようだ。
慌ててゴンが俺に補足し始めた。
『澪の肉体は単なる身体強化だけでなく、電子的な処理能力も備えています。最初にナノマシンに強化を指示した部位が、ドクターの神経回路が埋め込まれている頸椎でしたので……』
『で、その強化回路とDNスーツの電子戦能力により警報をカットして牢獄の電子ロックを解除したと?』
『はい。その上監視カメラにまで干渉し、偽の映像を流していたようです』
『まるでお前がやるようなインチキを平然と……』
『ビックリですね』
『澪さんが一人では無理だよな。何か良からぬツールセットを用意してあったんだろ?』
『まあ、そんなところです』
『だからお前はのんびり寝て待てとか言ってたのか……』
脱出したドクターが用意した俺たちのダミーについても聞いた。
ドクターの研究室に数えきれないほど並んでいる、実験中の第二世代アンドロイドの素体を流用したものだという。
というより、以前からネタとして俺たちに似せたアンドロイドを作っていた気配が濃厚だ。
この変態オヤジめ。
問題は、USM内部にいる敵の存在だ。
ここまで澪さんと美玲さんに気付かれなかったということは、少人数かつ直近の出来事と考えられる。
恐らく、あの雛祭り侵攻以後の仕込みだろう。
これは拡大しないうちに、早急に最優先で突き止め、阻止せねばならない。




