パワードスーツ
『あんた、誰なんだ?』
俺は、澪さんの金色の瞳を見つめた。
短い会話の中でも俺の心の中ズバリを言い当てた魔眼の能力については、疑いの余地はない。
しかし、ずっしりと重い俺のダミーを軽々と抱え、暗闇の狭い通路をここまで駆け抜けて来た体力は、並の人間とは思えない。
ひょっとすると、彼女自身も身代わりの人形なのか。
あるいは、これもかつてゴンが語っていた、ドクターがDNスーツに付加した新機能。
いわゆる、パワードスーツの力によるものだろうか?
『馬鹿なこと考えていないで、コーヒー飲んだらすぐに出発するわよ』
俺の思考を見透かして、澪さんが指で俺の額を弾く。
『え、もう行くんですか? そもそも、どうしてここへ寄ったんです?』
『ん、ちょっとエルザさんに頼まれて忘れ物を取りに来たただけ~』
はあ。やはりどう見ても、この人は澪さんそのものである。
『ほら、行くわよ』
美玲さんに肩を叩かれて、俺は我に返る。
残ったコーヒーを一息に呑み干し、俺はバイオプラのカップをゴミ箱へ投げ捨て腰を上げた。
俺たちは再び非常用のハッチを潜り、メンテナンス用の梯子を上り下りしながら、太い配管やダクトの隙間を縫い、暗い通路を突き進んだ。
『おい、ゴン。お前まだ何か隠しているだろ!』
『そういうことは直接澪に聞けばいいじゃないですか』
『今はそういう雰囲気じゃないだろ。いいから吐けよ!』
『仕方がありませんネ』
『それは一か月前、雷獣との戦いまで遡ります』
『あの、キャラバンと共闘した時か』
『そうです。セイジュウロウが澪を背負って闘った際の出来事です』
『ああ、澪さんが失禁した時な』
『そうです。澪が失神し、危うく死にかけた時の話ですヨ』
『……』
俺が澪さんを背負って夜明けの森で雷獣と戦ったのは、もう一か月前のことになる。
あの日の激闘で俺は澪さんを背負ったまま、敵の攻撃を回避して走り回った。
途中から澪さんの存在は希薄になり、というかそれどころではない厳しい攻防の中で、完全に忘れていた。
結果、最後には数メートルの跳躍と回転、そして着地の衝撃と、完全に人間の限界を超える動きを続けてしまった。
結果、澪さんは耐えきれず、気を失い失禁した。
いや、少しだけちびってから失神したのだったか。
『そのくだりはもうイイです』
『ハイ』
澪さんには本当に悪いことをしたと思っているのだが、素直に謝ることのできなかった自分が情けない。
『あの時、最後の大ジャンプに至る前に、澪の肉体は限界近くに達していました』
『そうだったのか』
『澪が着用していたプロテクター類は外部からの衝撃には有効ですが、急激な加減速や体全体に加わる内部への衝撃を緩和する手段は脆弱でした』
確かに、その結果耐えきれずに気を失ったのだ。
『ワタシも事前にDNスーツを強化して脊椎から脳や内臓を保護するよう、可能な限りの手当をしていました。それでも澪の肉体に加わる衝撃は限界を超え、生命の危険を感じました』
そんなに危険な状態であったとは、知らなかった。
『そこでワタシは唯一可能な緊急措置として、澪の体内に存在するワタシのナノマシンを利用し、頸椎周辺を中心にした一時的な組織強化を実行しました』
『ちょっと待て。お前、美鈴さんの体内に隔離保存されていたナノマシンは、人体には無害と言っていたよな』
『はい、その通りです。人の体内では数日のうちに分解され、無害化します。ただ、何故かあの日はフレッシュなナノマシンが澪の体内に大量に存在していたので、事なきを得ました』
あの花見に出発する前日、俺は新しい手足の面倒な機能検査が終わり、久しぶりに自室へ戻っていた……
その夜ナニがあったのかは、言わなくてもわかるだろう。
俺は暗闇を走りながら、赤面した。
『セイジュウロウ、大丈夫ですか。心拍数が急激に上昇していますが』
『うるさい、黙れ!』
しかしそれはそれとして、今回の話にこれがどう繋がるのだろうか?
『黙れと言われても、まだ説明が終了していませんが』
『そうだな』
『実は先日セイジュウロウが寝静まった深夜、澪から秘匿回路経由で相談を受けました』
『何があった?』
『どうも最近全身の力が有り余っていておかしいと……』
『まさか……』
『はい。そのまさかです。実はあの後セイジュウロウが再び右腕を切り飛ばされ、全身の組織も亜空間との過度な干渉により傷んで、ドクターと何日も議論を続けました』
『ああ、俺の肉体の修復方針を巡って揉めていたと聞いたが……』
『おかげで、澪の体内で活性化したナノマシンに対する強化指示を解除する機会をすっかり忘れていました。その間、ワタシと同じで勤勉なナノマシンは順調に全身へと勢力を拡大し、指示通りというよりも、必要以上に体内組織を強化し続けていたのデス!』
そんな阿呆なことがあるか?
『お前はナノマシンにどういう指示を出したんだよ!』
『取り急ぎ、保護強化をする優先順位を設定しました。脊椎を中心に、一番が頸椎周辺の組織と神経、次いで脳と周辺の血管、あとは可能なら脊髄及び内蔵、といった感じです』
うーん、たぶん間違っちゃいないんだろう。
『実は今回フライングバイクに澪が搭乗できたのも、ドクターによるバイクやスーツの改善などではなく、単に澪自身の身体強化の賜物でした……』
パワードスーツではなく、澪さん自身の身体強化とは。
『で、今はどうなっているんだ?』
『ナノマシンによる身体強化は思いの外に効果が絶大で、特にこれといった副作用も認められません』
『それって、俺と同じように強化された肉体ってこと?』
『いえ、セイジュウロウのように何年もかけて行った桁違いの強化とは次元が違いますが、一般的な人間の域は軽く超えているとしか……』
『で、澪さんはどう言ってたんだ?』
『普通に喜んでいましたが』
『あの人、何も考えてないのかな?』
『美鈴が強くなったので、きっと澪も羨ましかったのでしょう』
『そんなアホな……』
『平常時は能力を抑えていますが、今はリミットを切っています。頼りになるでしょ?』
『魔女のレベルアップか。物騒な話だ』
『それをセイジュウロウが言いますか?』
それにしても、フレッシュなナノマシンねぇ……
まあ、そんな理由だから、澪さんは言葉を濁して逃げたのかもしれない。
そういう可愛いところもあるのだ。
『こら!』
何故かすぐ目の前に来ていた澪さんが振り向いて、照れ笑いを浮かべながら拳を突き出した。
軽く振った拳の風切り音に、俺は肝を冷やされる。
この女ヤバイでしょ……もう人類の最終兵器的な奴じゃね?




