70 Your Malice Can't Sleep
ケイシーは下のフロアにいる。
エレベーターに乗ることができるフロアから、ジェシカはエレベーターで1階に向かう。そこからは速かった。が、ケイシーの状態についてはジェシカにもわからない。
――地下に向かっていないといいけれど。
落下の衝撃で命を落としたかもしれない。そこまではいかなくとも、大怪我を負っているかもしれない。ジェシカは希望的観測を並べるが、そうしたところで未来は変わらない。
やがて、エレベーターが1階に着いた。
ドアが開くなり、ジェシカは走って外に出る。エレベーターの外の様子を見る前に、血の臭いが鼻をついた。
まず目に入ったのは血だまり、血塗れのフロア。ロビーを出てすぐのところにはフィルがいる。そして、ジェシカはあるイデア使いの気配を感じた。それは疑いようもなく彼、ケイシー。
ジェシカは気配の方向へと足を進めた。レッグホルスターに差した拳銃に手をかけ、いつでも撃てるように備える。
廊下に曲がったとき――ジェシカはたった今決着がついたと思われる光景を見た。
「相手が悪かったな。誰の仕業か知らないが、俺は能力を交換したんだよ」
ケイシーは倒れた零に向かってそう言っていた。言い終わらないうちに、ジェシカの存在にも気づいていた。
ジェシカは拳銃を抜き、ケイシーに向かって発砲する。
「説明途中に攻撃か。汚いものだよ」
銃弾はケイシーの展開していた手の骸骨に弾かれた。
「正義の味方でもない私にそんなことを求めないで」
そう言って、再び発砲。やはり銃弾は弾かれたが、ケイシーは膝から崩れ落ちる。ジェシカのかけた重力は効いている。ジェシカは拳銃から剣に持ち換え、ケイシーの至近距離に迫る。
「さようなら、父さんを殺した人。別に私を許さなくていい」
ジェシカの振るった剣はケイシーの首を切断した。はずだった。
「夢だ、そんなことは」
ケイシーの首は落とされていない。ジェシカはケイシーからある程度離れ、剣は鞘に納められている。
今、何が起きたのか。ジェシカも、辛うじて意識を保っていた零も、わからなかった。2人の理解を超越した出来事が起きたのだ。すべてが白昼夢か何かのようだった。
「え……こんなことって……?」
ジェシカは声をこぼす。
「交換した結果だ。試しに俺の首を落としてみなよ」
ケイシーはあっけらかんとした様子でそう言った。殺しても死なない力を持った彼は圧倒的な余裕を見せている。ジェシカはあえて彼の挑発に乗る。そのときに彼のイデアを注視すればいい。
「……乗ってやる、お前の誘いに。何を考えているかわからないけど」
と、ジェシカ。
今の彼女が選んだのは拳銃。ホルスターから抜くと、ケイシーの眉間に狙いをつけて発砲した。
銃声が響く。銃弾がケイシーの眉間に命中する。が、そこでジェシカとケイシーだけが時間を戻される。ジェシカは拳銃をホルスターに納め、ケイシーの額に穴はない。
「お前の攻撃で俺は死なない。死も、なかったことになるんだよ。わかるかい?」
ケイシーは言った。
ここでジェシカに絶望を植え付けて、ケイシーを殺す意志を削ぐ。ケイシーはそのつもりでいたのだろう。だが、ジェシカはケイシーが動けなる程度の重力をかけた。
「それはわかった。だから、お前が死に戻りのようなことをできるとわかって、実験することにした」
「……へえ」
ケイシーは声を漏らした。
相変わらずイデアは展開されている。だが、そのイデアはやや不安定なようにも見えた。
果たしていつまで持つのだろう? 今のところ、紅く染まった腕の骸骨のビジョンが動く様子はない。それどころか展開するだけで力を使っているようにも見える。
「こうやってお前を不利な状況に追い込むこと。殺すに至らない傷を与え続けること。どこまでが適用範囲? それとも、あんたの意志でどうこうできる?」
そう言ってさらに重力を強める。
――襲撃のときにわかったけど、ケイシーに重力をかけ続ければイデアを封じることができた。意識を失わせることだってできた。それでわかれば攻略方法もわかるはず。見るのではなく、観るんだ。
ジェシカはこの後に起こることを覚えておこうと辺りを観察していた。ケイシーの動き。周りの介入の有無。能力の発動前と後での変化の有無。そこからわかることがあるのかもしれない。
「お前の行動……果たして……どこまでの意味があるのかな?」
重力に押しつぶされ意識を失う直前のケイシー。
狙っていたのか、意識を失うことがトリガーとなるのかを悟らせないまま――ケイシーとジェシカの時間が戻る。それは行動や身体の状態にはとどまらない。思考までも戻したのだ。
「え……」
思考と記憶の一部は抹消された。
戸惑うジェシカに重力から解放されたケイシー。軽くなった自身の身体の感覚をかみしめ――ケイシーはサバイバルナイフを抜いてジェシカに肉薄した。
「そうだよな、お前は思い出そうとしている。そんな記憶なんてないんだよ。なかったことにされたんだよ、俺の力で。いいか、ジェシカ・モス。俺はどちらの力でも絶対だ」
斬撃。
ジェシカはその一撃を左腕で受け止める。剣を抜くのが間に合わなかったのだ。ケイシーの振るう凶刃はライダースジャケットの袖を突き破り、ジェシカの手に傷を入れた。
それでもケイシーは攻撃の手を緩めない。今度こそジェシカの首を狙ってサバイバルナイフを振るうのだ。
「お前が3人目だ」




