68 Gravity
ケイシーの気配はジェシカが思うほど近くはなかった。そもそもケイシーはこの部屋には来ていない。半殺しになったイーサンが転がり、近くには脱力した様子のシェリルがいる。そして、彼女を守るようにしてライオネルが立っている。
ジェシカは「動くなら今だ」と考えた。
「行こう。チャンスは今しかない」
と、ジェシカ。
「そうですね。手っ取り早く光に当てるためにあちらから出ましょうか」
ユーグは言った。
「おい、待てよ。ケイシーはこっちから来る。根拠が曖昧だけど俺は見た気がする」
ライオネルが口を挟んだ。
彼が言いたかったのは、混濁した意識と記憶の中で『見た』ようなもの。それが何なのかは知らないが、正確な記憶のようにはっきりとしていたのだ。
「なら、なおさら都合がいい。私にとってはね。ケイシーをこの手で殺せるんだから」
と、ジェシカは言った。
「……そうかよ。ま、かりにお前が真っ先に殺されるとしても文句言うんじゃねえぞ」
「私が殺されてもシェリルと恵梨がいる。あんたたちだっているじゃない。それに、殺されたとしても私は呪ってでもケイシーを殺す。それだけ」
ジェシカは決意を固めていた。どれだけ言っても変わらないことはライオネルとユーグにもわかる。
「彼女もそう言っています。ひとまずこれはライオネルに預けますので、必ず破壊してください。私は、追っ手を処理します。ライオネル、それを日光に当ててください」
ユーグはそう言うと、ライオネルに『ジョシュアの腕』を手渡し、来た方向に向かっていった。確かにそちら側にもイデア使いの気配はある。
「……ユーグが顔向けできねえかなんだか知らねえが、行くか」
2人はこの暗い部屋を出る。
「待ってて、シェリル。すぐに終わらせるから」
気配は確実に迫っていた。
ジェシカにはそれがケイシーのものだとすぐにわかった。だから、イデアを展開して待ち構える。
「ライオネルは窓を開けられるところに行って。お願い」
「おう」
ライオネルが先行しようとしたときだった。廊下の曲がり角から現れたケイシー。彼はまずライオネルに目をやり、状況を理解した。
「裏切ったうえ、セーブポイントまで持ち出すとは。相当死にたいと見た。なあ、ライオネル」
ケイシーは言った。
彼がそう言ったときから戦闘――いや、殺害は始まっている。そんなケイシーを目の前に、ライオネルは不敵な表情を浮かべた。このままケイシーをジェシカに任せ、ライオネルは『ジョシュアの腕』を破壊する。それだけを考えていた。
「逃げるのか? なあ、俺から逃げるのか?」
「はっ、黙れよ。だったら、殺せるもんなら殺してみろ。てめえの命取りに来てるのは俺だけじゃねえ」
ライオネルは言う。
彼の言いたかったことはケイシーにもよくわかっていた。事実、ケイシーの後ろに迫るジェシカがいる。彼女はイデアを展開し、ケイシーの首を狙っていた。
「だろうな。俺が恨まれる人間だというのは死ぬほどわかっている」
ケイシーがそう言った時、すでに彼の周りにはイデアが展開されていた。そこから殺戮兵器――1対の巨大な腕の骸骨が振るわれるまでに1秒たりともかからなかった。
ジェシカが剣を振るうと、それを受け止める。さらにもう片方はライオネルを殺そうと振るわれていた。
難なく振り払うジェシカだが、そのときに彼女はある音を耳にした。血液のような液体が床に飛び散る音。そして、悶絶するライオネルの声。状況が状況なだけに、ジェシカは見捨てざるをえない。
「くそ……これだけは……」
ライオネルは呟いた。
今のライオネルはかぎづめでの攻撃を受けて腹部を抉られ、左脚を失っている。ふらついて地面をはうようにして前へすすもうとしていた。
「これだけは何だ? 俺から奪っておいてよくそれを言えるな」
「……野郎。てめえがどれだけ人からものを奪ってんのか自覚しろや、クソが」
ライオネルがそう言ったのと同時に、展開されていたイデアが狼の姿をとった。それがケイシーに突撃する。その間にライオネルは、イデアの残りで失った左脚を見繕う。
突撃する狼に対し、ケイシーはあえてイデアを操ることはしない。その程度、イデアで攻撃するまでもない、と示そうとしていた。太腿のベルトに挿していたサバイバルナイフ2振りを抜き、狼たちと対峙する。
「人聞きの悪いことを。奪ったんじゃない、正したんだ」
そう言って、サバイバルナイフを振るうと2頭の狼の首が飛ぶ。残った狼がケイシーに突撃しても、やはりサバイバルナイフの一撃で消されてしまう。だが、今の状況は2対1。狼を一撃で消したケイシーの背後にはジェシカがいた。ジェシカは隙を見計らってケイシーに重力をかけた。
「な――」
かけた重力は一点だけ。ケイシーのいるところにだけ、莫大な重力がかかったのだ。
そのままケイシーは床を突き破って下へと落ちてゆく。
「……ライオネル。それを貸して。『ジョシュアの腕』を」
と、ジェシカは言った。
「ぶっ壊すのか? ま、ケイシーがいない間なら確実だろうな。俺の代わりに確実にぶっ壊せよ」
「わかってる。あんたも、死なないで。早く手当してもらった方がいい。イデアでどうにかできているにしたってね」
「ああ……」
左脚を失ったライオネル。欠損した部分を見繕ってはいるものの、傷口からは未だに血がにじみ出ている。
「うまくやれよ」
ライオネルはそう言ってジェシカを見送った。




