5 Memory
「ごめんね、拘束時間が長くなっちゃって。新しく寮に入るにしても、何も準備できていないし」
ルナティカは言う。
「大丈夫。一応、あの家があるんだし、綺麗に掃除されていたし。もしかして、やってくれたのは支部長?」
「私もそうだけどだいたいはフィルとライオネルかな。あの2人は町のコミュニティにうまく溶け込めていたし。いいなあ……」
ルナティカはため息をついていた。彼女もどうにか住人たちと上手くやっていきたいようだった。
「私にできることがあればやるから。でも、その前にあの家に一回戻るね」
ジェシカはそう言ってルナティカの部屋を出た。部屋の外で恵梨を待たせていることもあり、ジェシカは急いでいた。そんな彼女を見守るルナティカは少しだけだったが元気づけられていた。
「あの家には家具くらいしかなかったし、あとで買い物にでも行こうよ」
「そうだね! この町のことはあんまり知らないけど!」
外から聞こえるジェシカと恵梨の声を聞きながら、ルナティカは微笑んでいた。
ダウンタウンで食料品や日用品を買い込む2人。ジェシカは変わり果てたダウンタウンに戸惑いながらも買い物を続けていた。恵梨もジェシカについていくのだが、この人込み。恵梨はジェシカとはぐれてしまっていた。
どうにか人込みを抜けたものの、ジェシカの姿はない。少し離れた場所でジェシカに電話でもかけてみようかと考えた恵梨だったが――彼女に迫る不穏な気配。それは突き刺すような冷たい気配だった。
「嬢ちゃん。こんな町を1人で歩くのは危険だろうに……可愛いんだから悪い男も放っておけないだろう……」
その声は低く、艶やかだった。恵梨は自身にかけられた声の方を向く。そこにいたのは黒髪碧眼の男。着ているものは黒いコート。黒い髪は毛先が赤く染められている。髪の長さは肩甲骨くらいだ。
「危険だとわかって日没後に出歩くなら何かしら事情でもあるのだろう。親御さんとの喧嘩だとか、ね」
「いや、特に深い事情はないしそういう事情があってもあんたに言いたくないんだけど」
と、恵梨。彼女もその気になれば戦える。それこそ、本来危険だといわれる理由――暴漢などと戦うことくらいは恵梨にとってたやすいことだ。
「連れない娘だ。嬢ちゃんのような娘は嫌いじゃない。ルナティカを思い出すよ」
男――イーサン・シールズは言った。恵梨はルナティカの名前を聞いて、今のタリスマンの支部長の顔を思い出す。
この男もルナティカのことを知っているとでもいうのだろうか――
ここで、恵梨の端末から着信音が響く。それに気づいたイーサンは踵を返し。
「元気なのはいいことだが、せいぜい気を付けることだよ。嬢ちゃん」
そう言って髪をなびかせながら雑踏の中に消えてゆく。彼を目で追うこともなく、恵梨は電話に出た。彼女の耳に届いたのはジェシカの声。ジェシカは電話越しに恵梨を探しているということを伝える。
「少し人込みからは離れたよ。今は薬局の前にいるから」
恵梨は言う。
『わかった。待ってて。すぐにそっちに行くから』
それだけを言ってジェシカは電話を切った。直後、恵梨はイーサンが消えた方を見た。もちろん彼の姿などない。半ば悪態をついたような恵梨だったが、なぜか印象に残る様子のイーサンを気にせずにはいられなかった。
そして。
「ごめんね、恵梨。タリスマンのこともあまりわからないで1人にしてしまうなんて。本当にごめん。何もなかった?」
「いや、平気。別に何かされたわけでもなかったし」
恵梨は言った。
「なら良かった! タリスマンは治安がいいとも言えないから早く戻ろっか」
「うん。さすがに今日は疲れたよね。春月を出てからずっと放浪していたわけなんだしさあ」
「そうだったね……ここは私にとって慣れ親しんだ場所でも、恵梨にとっては初めてだからね」
と、ジェシカ。そんな彼女だったが、近くからただならぬ気配を感じていた。それは恵梨も同じ。一般人ではない何者かがここに潜んでいる。
2人は警戒しながら足を急がせて、家に戻るのだった。
「似ている……」
闇に潜んでいたイーサンは呟いた。彼はそれだけを言うと、2人を深追いすることもなくアトランティスロードの方へ歩いて行った。
黄色の壁の家は生活感がないほどに掃除されていたが、家具はまったく使えないわけでもなかった。
ジェシカと恵梨はダウンタウンで買い込んできたものを机の上に置く。クラブハウスサンドや缶詰。ボトル入りの飲み物や酒などが机の上に並べられた。
「疲れたけど、今日は飲んじゃう?」
ジェシカはベッドに座りながら言った。
「いいね! これから何があるかわからないんだし、飲めるうちに飲んどこう!」
そう言った恵梨はボトル入りのウイスキーを手に取り、蓋を開ける。ジェシカも見ているだけでは申し訳ない、と食器棚からグラスを持ち出すのだった。
「人が死んだとはいえ、綺麗にしてるんだね。血とかがかかったわけではないかもしれないけど、支部長には感謝しないと。支部長が酷い人じゃなくてよかった」
ジェシカは言う。その直後、テーブルに置かれるグラス。それらはかつて、ジャレッドが身よりのない者をここに泊めていたときに使っていたものだった。だが、もうその目的で使われることはないのだろう。ジェシカは過去をできるだけ思い出さないようにした。
――大切なのは今。今日くらいは、思い出さないでいさせて。