58 Unprecedented
フロアを歩いていた恵梨とシェリル。階段の場所は今いるフロアから変わるので、上へと続く階段を探していた。が、見つからない。あるのは足跡のようにどこかから続いていた赤い粘液だけ。
「どこから来たんだろう、これは」
シェリルは呟いた。
この赤い粘液が化け物由来であることはすぐにわかった。が、それをたどって果たして階段にたどり着くことができるのか。
「シェリル。やっぱりエレベーター使った方が良くない?」
今度は恵梨が言う。
「いやいや、見たでしょ。あのエレベーター、カードキーがないと使えないわけだし……」
「そうだけど、紅葉が持ってたかもしれないから奪えないかなって」
恵梨はそう言って、悪戯っぽい笑みを見せた。確かにシェリルもそれを考えたが、死体が回収されていたときのことも考えていた。何より――
「引き返すのは得策じゃないと思う。そりゃ、私たち強いけどイザベラって人と鉢合わせになったらまずいと思う」
「なるほど……!」
恵梨が納得したかどうかは、シェリルの知ったことではない。が、2人は引き返さずに赤い粘液をたどる。
暫く歩いていると、そこには開けられたドアとずらされた痕跡のある本棚があった。ビルにあったこれまでのフロアとは一線を画すような光景がドアのむこうに広がっているのだ。
これを見たシェリルと恵梨は思わず息をのんだ。
「階段が見つかると思ったらこれか……」
と、恵梨は呟いた。彼女の足はガクガクと震えている。戦うようなことはあっても、先の見えない禍々しい空間に立ち入ったことはないのだろう。
「階段じゃなかったけど……物凄いものを引き当てちゃったね」
今度はシェリルが言う。
「上から来たと思ったけど、こんな隠し部屋みたいなところからなんだ。納得」
「うん。恵梨はどうする? ここから先はやばい気配がする。私はライオネルと合流しなきゃだから入るけど……」
シェリルは恵梨の方を見た。
恵梨がこの先の空間を怖がっていることを察していた。シェリルとしても恵梨の選択を尊重したかった。が、シェリルにも約束がある。
「あたしは……カードキーを探して先に上に行ってるね。あくまでもあたしは『ルナティカ・キール』としてここで振舞わなきゃいけないから」
恵梨は言った。
「わかったよ。恵梨、仮に正体がばれても死なないでね」
「大丈夫! 見破ってきたやつは返り討ちにしてやるから!」
2人はここで約束を交わして別れた。
恵梨はエレベーターのカードキーを探すために下のフロアへ。シェリルはライオネルと合流するために暗い隠し部屋へ。2人は互いの無事を祈っていた。
「さて……ライオネルは大丈夫かな。相手側にも内通者がいるとは聞いたけど……」
シェリルは隠し部屋に足を踏み入れた。その瞬間、彼女の鼻腔に黴の臭いが満ちる。ここに何があったのかはまだわからない。が、隠されていただけあってまともなことに使われていたとは考え難い。
ドアの近くに置かれていたのはコントロールパネルだ。これで隠し部屋の仕掛けなどを操作してるのだろう。コントロールパネルの存在を意識し、シェリルは部屋の中を見て回る。
そんな中で、シェリルは知っている気配を上のフロアから感じ取っていた。上からの気配は敵意のようにも感じられるが、それはシェリルには向けられていない。これは――
シェリルはバールを片手に辺りを見回した。
暗い部屋そのものに人の気配はない。待っていればライオネルたちも来るはずだ。
「ライオネル……あのときは何やってるんだと思ったけど。やっぱり本当にあったわけだ」
部屋の中を進んでゆく。そこにあったのはまず、檻。すべての扉と鍵が開けられており、少し前まで中に誰かいたような形跡がある。何やら得体の知れない、食べかけの肉が転がっていたのだ。何の肉かもわからないが――シェリルの中で何かがつながったようだった。
「要するに、ここにさっきの化け物がいたということ。それと、化け物はここに転がっている肉を食べていた……うーん、汚い」
と、シェリルは呟いた。
ここにある肉塊もいずれ腐って腐臭を放つようになるだろう。シェリルは肉塊から目を背け、先に進む。
さらに進んだところには扉があった。鍵があるようだが、シェリルは鍵を探すような面倒なことをしない。バールを握りしめ、イデアを展開して、殴る。扉が壊れるまで殴り続けるのだ。開けられなければ壊せばいい、そう考えているから。
室内に扉を殴る音が響く。いつばれるのかは時間の問題だったが、シェリルにはそのようなことなど関係ない。
――たとえ今やっていることがばれたとしても、返り討ちにしてやればいい。だって、私は強い。ジェシカとか恵梨、ひょっとすると零よりも。
シェリルには自信があった。
やがて、扉は破壊される。その先にも相変わらず暗い空間があったが――その先には先客がいた。
「……監視カメラ、見ていたよ。君は確か私が半身を頂いたはずなのだが」
暗闇の中で紅い瞳がシェリルを睨んでいる。その瞳でわかることは――
「へへ……気付かれちゃいましたかー。遅かれ早かればれると思いましたが……そうだ。ルナティカが襲撃されたから迎えに行ってあげたらどうですか?」
シェリルは言った。
彼女は立ちふさがる者の正体に気づいていた。その正体が吸血鬼だったから、戦いを避けたかった。
「君がそんなことを言うか。知っているよ、あの女がルナティカではないことくらい。よく僕に嘘をつけるね……? そもそも、よくばれないと思ったよ」
吸血鬼――イーサンは言った。口調そのものは優しいが、彼の放つ雰囲気から怒りが感じられる。だが、シェリルはひるまない。
「作戦の立案者もそこまで想定してるんじゃないですかねえ」
口と同時に手が出ていた。
シェリルの急襲に動揺したイーサン。彼の隙をついて、シェリルは電撃を放った。




