53 Transcendence
ライオネル。彼はいつの間にかジェシカの後ろにいた。殺気を放っているでも、イデアを展開しているでもなく、ただユーグに用事があるように。だが、ケイシーに関係のありそうな人物と敵対していないライオネルにも疑いが向いた。
「ライオネル……あんた、もしかしてやっぱりケイシー側の人だったってこと?」
ジェシカは言った。
「違う。つーか、俺があの襲撃の日に抜け出せたのもこいつのおかげだ。感謝しろよ、ジェシカ。こいつは敵じゃねえ、味方というには胡散臭いが。ま、敵の敵とでも思ってろ」
と、ライオネルは言う。
「そう。まだ気になるところはいろいろあるけど、私に言えることは全部話して。イデアドーピング剤ってことは少なからずギャリーにも関係あるんでしょ?」
「よくわかりましたね。その目で見たということはやはり強みとなりますね」
ユーグは言った。
いつの間にか彼からは殺気が消えている。化け物と戦っていたときのような恐ろしさは感じられない。が、代わりに胡散臭さを醸し出していた。
――この赤髪の男は裏切者の顔をしている。
ジェシカはプレッシャーに押しつぶされながらユーグを観察していた。
見たところ、執事のよう。現れたときには拳銃を持っており、実験室から銃声が聞こえたことから、恐らくは拳銃使い。さらにその素振りは――
「では、単刀直入に話しましょう。見るにここでイデアドーピング剤が調合または研究されていたようです。正確に言えば、この実験室の奥にあるスペースでしょうか。不自然なんですよ、間取りが。目的もわからない謎の空間がこのフロア近くにあったんですよ。これが私の知る情報のすべてです」
と、ユーグは続けた。
「要は俺らがこの目で見なきゃならねえってことだ。行くぜ」
ライオネルは言った。
敵なのか味方なのかもはっきりしない2人を信用できないながらも、ジェシカは2人についていくしかない。そのまま実験室に入り、件の入り口に近づいた。
入り口は引き戸になっている。隠すのに都合がよかったのか、平面的なデザインだ。鍵穴もシンプルなもののようだ。
「はあ、マジか。こんなところに隠し扉があったなんてな。よく見つけたな」
と、ライオネルは言った。
彼もこの隠し扉については知らなかったらしい。潜入していただけでわからないことだってあるのだろう。
「間取りを見なければ気づきませんでしたよ。さて、調べましょう」
ユーグがそう言うと、ライオネルはイデアを展開。ゾウのような生物を作り出してドアを破壊した。
隠されたドアと壁で隔てられた隠し部屋。中は薄暗かったが、緑色の照明が辺りを照らしており、完全に真っ暗ではない。3人はその部屋の入口付近を見て回る。
特徴的だったのはコンテナ。地図上でゲートを指し示す記号が印字されていて、それ関係であることをにおわせる。さらにコンテナは1つではないうえ、どれも南京錠がかっていた。極めつけは中に何かを入れることができる配膳口らしきもの。
「中に何かいるんじゃねえか?」
ライオネルが呟いた。
「それにしては声とかも聞こえない。そういう作りならそれまでだけど、配膳口から声とか音がしてもおかしくないよね。特に人間じゃないのなら」
さらにジェシカも言った。
「ま、後々わかるだろ。決定的なことがつかめたらな。この先に何かあるみたいだぜ」
3人はライオネルが指さす方に歩いてゆく。
そこにあったのは透明な棚。ここだけは青白い光で照らされており、何かの薬が保管されていた。が、それが何だったのかはラベルを見ればすぐにわかる。
「トランセンデンス。こちらは中和剤ですか。こちらの薬ならわかりますよ。イーサンが買収した病院に卸していたものです」
平然と言うユーグ。
その一方でジェシカとライオネルは顔色を変える。まさか――と脳裏によぎったことは「ユーリーのいた病院が買収されていたのではないか」ということ。
「どこまでも汚いことをするんだ、ケイシーたちは。会長からは生きたまま連行できるならそうしてほしいって言われたけどやっぱり殺すしかないじゃない」
ジェシカは言った。
その瞬間、ユーグの眉がぴくりと動く。言ってはいけないことを口にしてしまった、とジェシカは後悔したが。
「外部の人間だろうがそう思われますか。やはりケイシー様の馬鹿っぷりは死ななければ治らないのかもしれませんね」
と、ユーグ。
ジェシカにとっては予想外の言葉だった。
このユーグという執事とケイシーには主従関係とは別の、何か拗れた関係でもあるのだろう。
「様をつけているのに馬鹿って……何かしらの事情があることは察した。だって、ケイシー様って言っているんだから相応の立場のはず。なのにライオネルと関係があったってことは」
「聞きたいですか?」
と、ユーグはジェシカの好奇心に気づいたかのように言った。
するとジェシカは何かを知りたがるような目線をユーグに向ける。
「ケイシー様に失望したことについてですよ。5歳のころから彼と一緒にいましたからそういったことも多々あったんですよ。最初の方は更生することに期待していたのですがねえ」
「教えて。バックグラウンドを知れば、私のあいつへの殺意が消えて、連行だけで済むかもしれないから。私が慈悲を持っていられるかもしれないから」
ジェシカは言った。
「わかりました。私から見たケイシー様を主観的に話しますので、どうか鵜呑みにはなさらないでください。ですが、出来事そのものはすべて事実です」




