45 The Fake 3
目眩がする中で、恵梨は強引に顔を上げた。次にすることはといえば。
「……しないと」
と、恵梨は呟く。その時の恵梨の手に握られていたものは薙刀。どうにかこの状況を打開すべく、イデアを展開していた。
「何ばするとね。頭打って無理に動いたら死ぬやろ、脳震盪で」
紅葉は恵梨を見下ろしながら言った。相変わらず紅葉は煙のイデアを展開している。少しでも動きを見せれば、その煙で恵梨を殺しにかかろうとしている。襲撃のときとは違って紅葉が隙を見せることもない。煙の動きも予知した限りでは変化がない。
「別に。ここに突入するのがあたしだけだと思わないことだ。ここに私を引きずり出したことは正直どうかと思ったけど」
恵梨はそう言った。
どうにかして紅葉の精神を揺さぶれないかと考えての発言だった。
「それくらい予想しとおよ。じゃなきゃ、正面にあの数ば配備せんよ」
と、紅葉は答えた。
「数でどうにかしようっていうんだ? じゃあ、あの数をもしあたしの強い仲間が突破してきたとしたら? 正面以外から突入する人がいたら?」
「……そう、やね。この辺りを一番把握できるとは」
と言いながら、紅葉は懐から携帯端末を出す。一見隙に見えるその行為をしても、彼女の煙に隙などない。少しでも動けばその煙は恵梨を殺しにかかるだろう。たとえ予知ができたとしても、フロア全体に煙が漂う状態ではどうにもできない。
「イーサン様。このビルの侵入者の確認を。私たちが襲撃したときと同じことをしている可能性だってあります」
紅葉は電話越しにイーサンと話をしていた。
『それも気になるところだ。ところで、外の3人はどうだ? 彼らが足止めすればここに入ってくる者』
「私の知ったことじゃありません。突入してくるのは正面玄関だけじゃないでしょうに」
『そうだった。では、僕から各フロアの人間にしらみつぶしに聞いていこうか』
電話から声が漏れている。
恵梨はどうにか立ち上がりながら、2人の話を聞いていた。ここでの行動次第では恵梨の命どころか、ともに突入しようとしている仲間の命まで危険にさらすこととなる。下手には動けない。だとすれば――
「恵梨。逃げようとしても無駄やけんね」
紅葉は恵梨にするどい視線を向けた。
「わかってる……あとね、いいこと教えてあげる。屋上だよ。屋上に降下してよからぬことを企んでいる連中がいる。ケイシーやイーサンの命を狙っているのかもね……?」
と、恵梨は言った。
これが恵梨にできる精一杯のあがきだった。行動できなければ、どうにかして紅葉自らこの場を去らせようと――
「嘘言っとらんね?」
紅葉は聞き返す。そのとき、彼女の近くの煙は周囲に比べて密度が高くなっているように見えた。
「わかるでしょ、上空の気配があの人ね、ケイシーをひどく嫌ってる。規則に従って処分しようにもできなくて、挙句ハイリロ支部を名乗られてね。いやあ、隙あらば殺そうっていうのはわかるでしょ。それに、彼が来たのは吸血鬼を狩るっていう理由もあるんだよね」
と言って、恵梨は笑みを浮かべる。
「……その人は誰なん」
焦りを見せた紅葉。彼女は先ほどとは違った、落ち着きを失ったような口調で言った。
「シオン・ランバート。行ってみなよ。そうすれば、ケイシーもイーサンも守れる。行きなよ」
「断る」
紅葉は焦る気持ちを抑え、ばっさりと紅葉の要求を切り捨てた。直後、煙が実体を持って恵梨に襲い掛かる。周囲から来るのは刃。逃げ場など、ない。
一歩も動かない紅葉はそのまま恵梨を切り刻めると思っていた。だが――恵梨は薙刀を振るい、煙の刃をかき消した。
「斬れるとでも思った?」
と、恵梨は紅葉を挑発した。
少しずつではあるが、恵梨も彼女自身のペースを取り戻しているようだった。四方八方から襲い来る煙を見切り、躱し。今度の狙いは紅葉本人。
紅葉も黙って恵梨に斬られるようなことはしない。近くに漂う煙から楯を作り出し、恵梨の薙刀を完全に防いだ。そこから、恵梨の後ろの煙を操り、彼女の身体を貫こうとした。
「んんっ!」
恵梨は声を上げながら槍を避けた。これで恵梨には少しの余裕ができる。さらに恵梨はあることに気づいていた。
紅葉が攻撃するとき、彼女の近くの煙は薄れる。攻撃が苛烈であれば、苛烈であるほど。そうであれば、恵梨はすることを決めてしまえた。それは。
「せからしかね……」
ぼそりと紅葉は呟いた。攻撃で乱れた煙は再び紅葉の近くへと集まってゆく。
「ふふ……いいこと教えてあげるよ。あんたの弟、トウヤはあたしが殺した。いやあ、首って案外簡単に取れるものだね――」
「……私の弟ば殺したとはお前やったっちゃね。ふ……探す手間省けてよかった」
口調は静かだったが、紅葉の顔には怒りがにじみ出ていた。かといって彼女自身が動くことはない。代わりに煙が恵梨の近くに集中し、「絶対に殺す」と言わんばかりの攻撃を加える。
四方八方から襲い掛かる刃。それを避けきれたと思えば上から押しつぶしにかかる戦鎚。これをしのげば、恵梨を拘束しようとして煙の手が迫る。
「挑発に乗ってくれてありがとう」
恵梨は紅葉に聞こえないように呟いた。
そんなときでも刃の猛攻が恵梨を襲う。が、それも恵梨が見切っていた。そして。
――今がチャンスかな。私の攻撃に煙のリソースを割いて、紅葉の守りが手薄になっている。
正面から迫る煙の刃の猛攻。その先にいるのはほぼ無防備な状態の紅葉。
刃の軌道を完全に予知した紅葉にとって、受け流すことは難しいことではない。かすり傷を受けながらも恵梨は紅葉に迫る。
――ここだ。
振るわれた薙刀。
その一撃で首を落とすことには至らなかったが、紅葉の頸動脈が大きく切り裂かれた。傷口からは大量の血が噴き出している。
「透哉……」
紅葉の意識は薄れゆく。そんな中で、紅葉はかすれた声を絞り出す。その言葉は怨嗟でも何でもなく、彼女の弟の名前。
霧雨透哉。またの名をトウヤ・インコグニート。
彼は恵梨に殺されてなどいない。恵梨がタリスマンにやって来る前に彼女とは別の人物に殺された。
透哉を殺した本当の人物を知ることなく、紅葉は殺されるのだった。
血と意識を失った紅葉は、ばたりとその場に崩れ落ちた。もはや彼女が声を発することはない。霧雨紅葉は死んだのだから。




