44 The Fake 2
少し時系列をさかのぼります。恵梨が突入した直後なのでコーディ戦やミケーレ戦より前です。
「お待ちしておりました」
ビルの中で待っていたのは眼鏡をかけた赤髪の執事だった。彼の放つ気配を前に、恵梨は身構えた。すると、執事はそれに気づいていたようで――
「ご心配なく。私がルナティカ様をケイシー様の元までお連れいたします。例えどのようなイレギュラーが生じても。襲撃者が正面以外から侵入しようとも」
と、執事は言った。
彼の発した言葉に、恵梨はほんの少し恐怖を覚えた。が、今は恐怖しているときではない。
「えらく胡散臭いこと言うね。奇策で戦ってきたこのルナティカがイレギュラーに動揺するとでも?」
「貴女はそうおっしゃるのですか。いえ、行きましょうか、中層までのエレベーターへ」
執事は恵梨を正面のエレベーターへ案内する。
恵梨はこのときに執事に攻撃をしたかったのだが、手を出すことはなかった。ただ、黙って執事についていくだけ。
「ああ、申し遅れました。私はユーグ・ディドロという者です」
エレベーターの前でユーグは言った。
恵梨はユーグの名前を聞いて何とも言えない顔をした。というのも、ディドロという名は少し前にグランツから聞かされたもの。
「どうなさいましたか? 私が何かしたでしょうか?」
ユーグは恵梨の考えを見透かしたかのように言った。
「別に、何もないから。そんなことよりユーリーは無事?」
「少なくとも、怪我などはしていませんよ。もともとの能力を失ってはいますがね」
「そう……」
「最上階で会えばわかりますよ。彼は無事です」
エレベーターが1階に到着すると、ユーグに案内されるままエレベーターに乗る。『その時』が来るまで大人しくしていなければならない恵梨だが、この時点で暴れてしまいたくもなっていた。
密室でユーグと二人きりになれば。
「ルナティカ様。これはケイシー様から申し付けられてのことですが」
と言って、ユーグは恵梨を見た。その表情は先程と変わらず真剣だった。
「我がハイリロ支部に来て、やりたいことなどはございますか? 私のできることでしたら、何でも致しましょう」
そう言われた恵梨の心臓が高鳴る。
目の前にいるユーグは恵梨にとって予想外のことをした。もし、ここにいるのがルナティカならば。
「あるなら。あるなら監視カメラを破壊して」
と、恵梨。
ルナティカならばこう言うだろう、と確信しつつユーグの目を睨み付けた。
「残念ながらできかねます。私もケイシー様からは絶対に外すなと言われておりましてね。ケイシー様もイーサンも人を多く敵に回しておりまして。殴り込みや暗殺を企てる者はいくらでも現れます」
ユーグはそう答えた。
やはりケイシーの忠実な部下であるユーグにはできないことだろう。こうなっている以上、エレベーターで暴れるわけにもいかない。歯痒い思いをかみしめながら恵梨はユーグから目をそらした。
――今はまだ耐えるしかない。耐えて、このビルの中で大暴れしてやる。後でジェシカも来るんだし。とにかく今はルナティカのふりをするしかない。
「そう。鮮血の夜明団がそうじゃなかったらいいんだけど」
と、恵梨。
「まさか、そんなことは。あったとしても前のタリスマン支部の支部長くらいです。彼も途中まではケイシー様を信じていたようですが。私から見ても低能だとしか思えません」
今のユーグもどこかあきれているようだった。
上へと上がってゆくエレベーターが止まる。最上階でもユーグが目的としていた階でもないようで、どうやら外から止められたようだった。
エレベーターのドアが開く。閉じようとすれば、そこから入り込むのは煙。恵梨はその煙に見覚えがあった。が、それに気づいたときにはもう遅い。恵梨の身体を煙の手が包み込む。
「……何だ?」
と、ユーグ。だが、すぐに何が起きたのかを理解した。
そこにいたのは和風のメイド服を身に纏った紅葉。ユーグが彼女の顔を見たとき、すでに彼女は恵梨を連れ去ろうとしていた。
「みせかけの忠誠心だけの執事とかいらんけんね。ケイシーが気づかんでも私は気づいとおよ」
煙の手で恵梨を拘束し、エレベーターの外に引きずり出す。
ユーグはエレベーターから飛び出そうとしたが、今度は煙に押し戻される。そして――非情にもエレベーターの扉が閉まる。
「ルナティカ!」
ユーグは叫ぶ。すると。
「気づいとらんやろうけど、こいつはルナティカじゃなかよ」
紅葉はそう吐き捨てた。
「ねえ、恵梨。そげな格好ばしてビルに殴り込むとね。確かに背格好は近そうやけどね、私の目は欺けんよ」
と言いながら、紅葉は恵梨の被っていたウィッグをはぎ取った。その下から現れるのは恵梨の茶色い髪。紅葉はウィッグを投げ捨て、恵梨の前髪を掴んだ。
「なんで気づいたの? 完璧な作戦のはずだったのに……」
「偶然。とりあえず、ケイシーには黙ってカマかけようとしとったら釣れた。タリスマンでルナティカと背格好が近い人なんてお前しかおらんやろ」
紅葉はそう言って恵梨の頭を床に叩きつけた。
恵梨の頭に衝撃が伝わる。床は柔らかいが、それでも衝撃は十分だ。
イデアを展開することも忘れて、ただ紅葉に好きなようにされる。
「良かったやん。硬い床じゃなくて。そうやったらお前、死んどおやろ」
感情を込めていない紅葉の声が恵梨の脳内に入ってくる。
――どうして。なんでこんなことに。




