38 Drug Addiction
まさかギャリーが後ろから忍び寄っているとは考えることすらできなかった。ジェシカがイザベラに挑発されたとき、ギャリーはクリフォードと戦っていたはずだ――いや、クリフォードに勝利した後だ。服や短剣にはギャリー自身のものとは別に、クリフォードのものとみられる血がすでに付着していた。
次はジェシカだ――
ジェシカはその身を翻し、間一髪のところで攻撃を躱す。狂戦士のようにギャリーは無言でジェシカを追撃するギャリー。彼の攻撃を避けているだけではどうにもできない。それをわかっていたジェシカは高く跳びあがる。
――この銃弾を撃ち込む勇気が、私にある?
拳銃を持つ手は震えている。これをギャリーの脳天に撃ち込めば戦いを終わらせることができる。が、もちろんジェシカにその覚悟はない。
迷いを抱いたまま浮遊するジェシカ。そんな彼女をギャリーは地上から見上げていた。上空からでもわかるほど、ギャリーは身体に負荷をかけられているようだった。
「早くやれよねぇ。私が死んじゃうじゃなぁい?」
戦闘において、傍観者という立ち位置を決め込むイザベラ。彼女自身から手を出してくる様子はないようだが、少しでも近づけば何をされるかも予想できない。事実、イザベラはモーニングスターを手にしている。
「……ああ」
荒い息の混じった返事。
ギャリーは血を滴らせながら石を拾うと、力任せにジェシカに向かって投げつけた。
石は弾丸のようにまっすぐに飛んだかと思えば、ジェシカの展開していたイデアをかき消した。
――あ……まずい。張り直さないと。
浮遊させていた力を一瞬でも奪われたジェシカが元のように浮遊することは厳しい。その一瞬で答えを導き出さなければ、待っているのは死のみだ。
ジェシカは自分自身にイデアの能力をかけた。浮遊しているときと同じように。だが、今度は落ちてもダメージを受けない程度に体を軽くする。ジェシカはゆっくりと落ちてゆく――
落下して怪我をしなかったにしても、地上にはギャリーとイザベラがいる。話の通じない2人を相手取らねばならない時点で、助かったはずもない。
と、そのときだった――
銃声が響く。これは最近のジェシカも聞きなれたもの。クリフォードが撃ったときと同じだった。
銃声は1発だけではない。何発か連射され、どの弾丸もギャリーを貫いた。が、不思議なことにギャリーの傷は増えていない。これを見たジェシカも何が起きたのか理解できていなかった。だが、ギャリーの注意が別の方に向いたことがチャンスとなる。
着地したジェシカは銃を置いて剣を手に取った。
「しぶといヤツだ……てめえ、胸を刺して生きてるとかどれだけ頑丈だ……」
吐き捨てるように言うギャリー。彼の視線の先、植え込みで何かが動いたと思えば、胸から血を流すクリフォードの姿があった。驚くべきことに、痛みを我慢した様子も大量出血で意識が朦朧とする様子もない。
「へへっ、死線を潜り抜けた俺が死んでたまるかよ」
「あっ……あっ……てめえ何しやがった……ぁはへははははあぁ……」
ギャリーの呂律が回っていない。傍観を決め込んでいたイザベラも穏やかではない様子だ。
「おう、解毒だ。イデアを無理に強化する薬とか聞こえてたんで撃ち込んでみたんだよ。どうだ? 晴れやかになっていくだろう?」
「ふざけるなよ――」
今度はイザベラがクリフォードの言葉を遮るように言った。それと同時に、ジェシカはイザベラに重力をかける。
「おそらく、ギャリーに投与された薬は全部抜けるだろうな。向き合うことはできるはずだ」
さらにクリフォードが続けた。
一方、ギャリーは震えながら頭を押さえて膝から崩れ落ちる。イデアは解除されて、顔面は蒼白、明らかに異常ともいえる状態だった。
ジェシカは思わずギャリーに駆け寄った。
「明らかにおかしい……言葉もうまく話せていなかったし、顔色も悪い。気づいてないかもしれないけど、あんたのイデア……展開できてない」
と、ジェシカ。
「……そうか」
弱々しい声でギャリーは言う。彼自身は肉体の異常にも気づいていた。何によるものかはわかっていなくとも、自身の身体はもう持たないということも。
「ごめんな、ジェシカ……」
ギャリーはぽろりと口に出した。意識がはっきりしているうちにギャリーは何かを伝えようとしている。
「お前……幸せに生きろよ……」
それだけを口にして、ギャリーは意識を失った。彼がこのまま生きていられるかどうかはジェシカの知ったところではないが――彼はジェシカに火をつけた。
近くに置いていた拳銃を手に取り、動けないイザベラに向けて引き金を引いた1発とはいかない、2発、3発。無言で引き金を引く。ジェシカの腕には銃の反動が伝わってくる。
――これが、殺す感覚。剣とは違うけど、殺したときの感触は多分忘れない。
ジェシカは弾切れを確認すると、銃を地面に置いてイザベラを解放した。行動不能な状態で銃弾を撃ち込んだのだ。これで死んだのだろう、と考えていた。
だが――イザベラは地面を這うようにして動く、立ち上がる。銃創からは血がボタボタと滴り落ちている。頭を貫通した銃創もあるというのに。
「はぁ……はぁ……」
イデアを傷に展開しているようだった。やはり、イザベラは銃では倒せない。ジェシカはどうにか剣を取ろうとする。
「……ふふ……捕まってたまるか。私、まだユーリーとぉ……」
ぶつぶつと呟きながら、その場を去る。遠くから銃弾を撃ち込もうとしても意味などなかった。
彼女の姿はまるで血濡れの獣のようだった。
イザベラを逃して、ジェシカは再びギャリーに目をやった。
安らかな顔で眠っている。これまでジェシカたちに敵意を向けていたときとは全く違う。
ジェシカはギャリーの口元に手をやった。
「……息がない。脈も。イデアの反応も完全に消失してる……。私を遺して逝ったんだね、ギャリー」
そう言うと、ジェシカはクリフォードの方を見た。クリフォードは何かを察したようで。
「俺を恨むか?」
「ライオネルに事情を聞く前だったら。けど、少しそっとしてて。ごめん」




