30 Every Thing Will Be Right Place
恵梨が紅葉と戦っているのと同刻。
執務室へと走るジェシカ。恵梨は宿舎近くにおいてきた。とにかく早く、と半ば焦りにも近い感情を抱いている――
早くしなければルナティカが危ない。ルナティカに限ったものではないだろう。下手すればこのタリスマンに所属する誰もが――
走っていたジェシカの視界に入ったのは、前にも見た黒髪のあの男。ギャリー・ゴルボーン。ジェシカは困惑し、思わず立ち止まった。
「……え」
「またお前か……」
同時に声を漏らしたジェシカとギャリー。2人が敵対して顔を合わせたのは3回目。しかし、今回ばかりは事情が違うようだった。
ギャリーは目が血走っている。それだけではない。異様な雰囲気を彼自身が醸し出している。何によるものかはジェシカの知るところではないが――ジェシカは本能的にギャリーの危険性を感じ取る。
「そんなに俺が哀れだと思うか!? どうせお人好しのお前だからなァ! こうまでなって可哀想だとか思ってんだろ! ちげえよ! くははは……お前を好き勝手出来るのが嬉しくて仕方ねえ……」
ギャリーは言った。
「狂ってる……」
ジェシカは剣を握った。が、まだ抜かない。抜けばギャリーを殺すことになるから。
敵対してもなお、以前の面影を残すギャリーに対して迷いを抱いていた。
「どうとでも言えや……」
と、ギャリーは吐き捨ててジェシカに突撃する。両手に持ったのはよく研がれたナイフ。これでジェシカの喉元を掻き斬るつもりか。ジェシカは歯を食いしばり――ギャリーに向かって強い重力をかけた。
あまり知られていないこの力。突如重力をかけられたギャリーはその血走った目をジェシカに向けた。が、重力に耐えることもなくギャリーは地面に倒れ込んだ。
「てめえ……いつの間にこんな力を……」
と、ギャリー。
このときギャリーは殺されることを覚悟していた。かかっている重力はもはやギャリーが動くことを許さない。どれだけ力を入れようと、どれだけ身体能力を強化しようとも。
「言えない。けど、ここであなたの命までは取らない。せめてここでおとなしくしてて……」
それだけを言い残してジェシカはその場を去る。そのときの彼女のまなざしはどこかギャリーを憐れんでいるようにも見えた。――それがギャリーの癪に障る。
「なんでジェシカ……てめえは俺に情けをかける……ふざけるな……ふざけるなよ」
ギャリーは地面に這いつくばったまま、そう言ったのだ。
ジェシカが向かったのは執務室。
辺りに誰もいないことを確認してドアを開ける。中にいたのはルナティカただ1人。そんな彼女は手りゅう弾を手にして緊張した様子だった。
そして――
「……なんだジェシカか。てっきり襲撃者かと思った」
ルナティカは手りゅう弾を投げようとした手を止めていた。どうやらジェシカを敵だと勘違いしていたらしい。
「襲撃者……確かにいるよ。この支部にもすでに何人かいる。私が確認したのは煙使いとギャリー。でもまだだれかいるはず」
と、ジェシカは言った。
「だろうね。襲撃者の顔ぶれから、ケイシーがここまで来てもおかしくない状況だとは思うんだけど……」
「私もそう思う。もしケイシーがここに来たなら……容赦なくぶっ潰すし、支部長の命も守るから。私が死んでも」
そう言ったジェシカ。
ルナティカはジェシカの中にある種の危うさを見ていた。確かにジェシカは新しい能力も得たのだし、急速に強くもなっているようだった。だが、それ以上にジェシカの精神は不安定だ。バーでのこともある。なにより、襲撃者の中にギャリーがいることについて、ルナティカは特に難しそうな顔をしていた。
――ジェシカ。あんたは何かを犠牲に下強さを得たようだけど、本当はどうなの。私はあんたの感情まではわからないよ……?
「大丈夫。私がケイシーを巻き込んで死ぬことがあれば、運命は繰り返される。あいつはそういう能力を持ってんの」
と、ルナティカは言った。
「運命を繰り返す……?」
「そ。どの地点まで巻き戻すかはわからないけど、私はあいつが能力を発動する瞬間を見たんだよ。道連れにしてやろうと思ったら、あいつは死ぬのを嫌がって巻き戻したってわけ。おそらく襲撃前に」
ジェシカに聞き返されたルナティカはこれまでの経緯を話した。
それはイデアを、あるいはケイシーを知らない人間が聞けば単なる戯言だと考えるだろう。が、ジェシカはその根拠もなしにルナティカの話を信じたのだった。そして。
「だったらケイシーを迎え撃ったとしても、都合のいいように巻き戻されてしまう! せっかく支部長を死なせずにケイシーを討っても……」
「死なせずに退却させればいいの。何度ここを攻めても無駄だってわからせてやればいい。それで、今はあいつらにどれだけ損害を与えられてる?」
ルナティカは言った。
ジェシカは誰一人として生きて返さないことばかりを考えていた。だが、ここから撤退させても勝利であることには変わりない。ルナティカの言葉でそう気づかされたのだった。
「1人は撤退させた。誰がやったかわからないけど、吸血鬼が逃げていたくらい。あとは、恵梨が煙使いと戦っている。その結末次第かな……」
と、ジェシカは言う。
「なるほどね。どれだけ攻めてきているかわからないけど、撤退させることくらいは多分できる。信頼してるけど、無理はしないでね」
ルナティカは言った。
それは外から迫る気配を察知してのこと。この執務室に敵の脅威が迫っていたらしい。ジェシカも内部で待ち伏せる体勢に入った。




