29 太刀
恵梨が見下ろした所には紅葉の姿があった。
相変わらず陰気な姿。長く綺麗な濡烏の束ねた髪を振り乱し、煙を操る。彼女の左手にあるのは煙草。煙の出所はそこだ。
「降りてきても無駄たい。私の能力にはいくら恵梨でも太刀打ちできんやろ」
紅葉は恵梨の居場所をわかっていたのか、上を見上げてそう言った。
彼女が無駄だと言っているとおり、彼女の武器――煙は恵梨を待っている。早くその中に飲み込んでしまいたいようにも見える。
「それは試さなきゃわからないね。知らないでしょ、私の能力」
と、恵梨は言う。
恵梨が着地する場所には既に煙の刃が待ち構えている。それは10や20ではない。煙の範囲であれば、紅葉はほぼ無限に刃を生成できる。紅葉があらかじめ振りまいていた煙から生成される刃。恵梨に逃げ場なんてない。
それでも恵梨は動じない。彼女には策がある。恵梨が袖のなかに隠し持っていたものは……炸裂弾。対人用に改良された炸裂弾はイデアをも爆砕する。いや、主なターゲットはイデアだ。この炸裂弾はイデア使いと戦うためのものだ。
――炸裂弾で煙の刃を吹っ飛ばしてやる。
恵梨は空中から炸裂弾を放った。
そして――炸裂。イデアをターゲットとしているだけはある。展開されたイデアは消し飛び、今の紅葉は丸腰の状態だった。
煙が恵梨を包囲するまで、まだ時間はかかる。そんな今がチャンスだった。
恵梨は着地して薙刀を持ち直す。そこから紅葉に向かって突撃。
「……考えとうやん。せこかね、恵梨。そげな策まで練っとって」
「あたしを脳筋みたいに言わないでよね! ……否定できないけども」
今度は恵梨が薙刀を振るう。狙うは首だ。切断できなくとも、致命傷にはなるだろう。
対する紅葉は煙草をふかす。ふかした煙が実体化し、盾となる。当然ながら、薙刀ではその盾を破れない。恵梨の予知では次に刃を生成することくらい見えていた。だから、恵梨は煙の動きを見て後ろに下がる。
直後に、煙の刃が振るわれる。まだ1振りだけだが当たれば致命傷となること間違いなし。
「攻め方は脳筋やろ。こげな策に気付かんとか」
と、紅葉。
これは挑発ではない。予知では見抜けていたが、それで読むことができないことだってある。予知の範囲外からの攻撃に移っていた。
恵梨の能力に弱点があるとすれば、遠距離からの攻撃、あるいは範囲外からの包囲。
煙はまだ残っていた。炸裂弾で消しきれていなかった煙が刃となり、全方向から恵梨に迫る。それはまるで、刃の嵐のよう。
――やられた! 観察力ありすぎでしょ。対策はできていたはずなのに。
逃げられない。薙刀で迎え撃つにもあの物量には間に合わない。そうであれば、炸裂弾がある。残りはあと2発。恵梨は躊躇わずに炸裂弾を手に取り、刃に向かって放ったのだ。
先ほどと同じように炸裂弾の閃光がイデアを巻き込んでゆく。その閃光はイデアを消してゆく閃光。煙は吸血鬼の灰のように散ってゆく。もちろん、恵梨の展開したイデアだって消されてゆく。炸裂弾での攻撃は無差別だから。
閃光の中、恵梨は紅葉に詰め寄った。まだ両者ともにイデアでの攻撃はできない。だから恵梨は紅葉を直接攻撃することを選んだのだ。この状況を制するのは、イデアなしで戦える者。つまり――
動きであれば分かりきっていた。紅葉が現れる方に動き、回し蹴りを入れた。
「脳筋が勝つことだってあんの。ほら、イデアだけに頼らないで拳でやっちゃうってね」
地面に叩きつけられた紅葉を確認して恵梨は言った。
閃光が晴れた。それを見計らったかのように、恵梨は再び薙刀を手にした。これで決める、決められる。恵梨はそう確信していた。
薙刀の一撃。残った煙でどうにか受け止めた紅葉。恵梨は煙を振り払い、さらに紅葉への攻撃を続ける。
「くっ……あんたは、私の未来ば見とうとね……こすかよ……!」
紅葉の顔色は変わっていた。
これまでの余裕とは打って変わって、煙がかき消されることによる焦り。動きをすべて見切っている恵梨への苛立ち。それらによって紅葉のペースは完全に崩されていた。
煙の攻撃は間に合わない。終わった――紅葉は覚悟していた。が、対する恵梨にも不調が現れていた。
――イデアが残り少ない! ぶっ続けで使うのはやっぱりしんどい!?
ここで恵梨を襲う疲労感。この正体はよく知るものだ。
少しずつ限界を感じる恵梨。この限界を超えてしまえば恵梨は死ぬだろう。しかし、恵梨は攻撃をやめない。あと少し――あと少しで――
ここで紅葉は攻撃の手を止めた。消耗を押さえようとしていたがゆえに、見落としていたこと。それは紅葉の背中に煙の翼が生えていたこと。
「――え?」
離脱。それが紅葉の取った選択だった。
紅葉は飛び上がり、恵梨のリーチから離れる。そのままタリスマン支部から離れるようにしてこの場所から離脱していったのだ。
そして。恵梨は疲れから、膝を地面についた。
恵梨を襲うのは吐き気。イデアを限界近くまで使った副作用だった。
――この症状。わかってるよ。休まないと、でしょ。最低1日はかかるだろうし、あたしは今の襲撃で……
できたことはわからない。が、結果がどうであれ今の状態ならば恵梨は医務室で休むしかない。
限界に達した恵梨はふらつく体を引きずって医務室に向かった。




