20 The Antidote
――彼女が私を攻撃してきたことは想像すらできなかったこと。なんでそんなことができたのか、わからなかった。
バーの支払いも終えてタリスマン支部に戻る一行。そんな中で恵梨は呟いた。
「ライオネルは、ケイシーとグルだった……同じタリスマン支部で、こうやって町の見回りなんかもしていたのに」
いつも明るくふるまっている恵梨だったが、今は焦燥している。それほどにライオネルの裏切りが堪えたのだろう。そんな恵梨に対し、申し訳なさそうな表情を向けるルナティカ。彼女は恵梨にかけるべき言葉が見つからないようだった。
「これで、勢力がわかったのかもしれない。私が1回やられたときにギャリー以外にあと2人いた……そいつも含めて殺すしかないじゃない」
歩きながらジェシカは言った。
「ギャリーが夢をかなえられなかったことはどうしようもないけど、父さんを殺したこととギャリーを利用したこと。私は許すつもりもないよ。あの連中ができるだけ苦しんで死ねるように、殺す」
ジェシカの隣にいた恵梨はとんでもない威圧感と寒気を感じた。それを発しているのは零ではなく、ジェシカ。重苦しい空気を纏っていた彼女は無意識のうちにイデアをも展開していた。
まだジェシカも気づいていなかったが――歩いた後、踏んだ小石が考えられないほどの重量を持った。彼女の能力は、殺意によって成長していた。
「ジェシカ……」
恵梨はジェシカの異変に気付いていた。だが、起きたことは何もわからない。
「あんたは殺さないから。恵梨。私が殺すのはケイシーって決まったわけだから。別にね、恨みがない人も殺そうとは思っていないよ」
怒りを含んだ声だった。湧き上がる感情を抑え、ジェシカは呟いた。それは恵梨に言っているようにも聞こえるのだが、実際はジェシカが自身に言い聞かせているにすぎなかった。
そんなジェシカの様子に気づいていたクリフォード。後ろからジェシカの様子を見ていたが、彼女の姿はある人物に重なって見えた。
――俺はこうなった人を知っている。精神を病みかけて恨みでこうなっちまったやつをな。あいつは、その恨みでイデアを暴走させかけた。
慎重にジェシカを見守るクリフォード。ジェシカの能力を伝えられ、周囲に影響を与える心配をしていなかったのだが――暴走したイデアはどう成長するのかわからない。
クリフォードはあの日のことを思い出す。
――すべては、ユーリーの精神がおかしくなったことが始まりか。それがいつからかは俺も知らない。だが、ジェラルドとイザベラの手であそこまで追い込まれていた。少し安定してきたと思ったらイデアを暴走させたからな。
ふと、ジェシカにぶつかる人物がいた。やや大柄で、そこそこ筋肉のある男だ。
「おい、姉ちゃん。どこ見て歩いてんだァ?」
因縁をかけるようにして男は言う。彼の言葉を聞いたジェシカは顔を上げ、彼を睨みつける。その目に込められたのは怒り。
「少し黙って」
ジェシカがそう言った瞬間――男は何かに押しつぶされるようにして跪いた。彼の表情は不服そうにも見える。実際、男は彼自身の意志で跪いたのではない。
さらに男は何かに押しつぶされるようにして地面にうつぶせに倒れた。
「おい……お前……ふざけんなよ……!」
「やめて、そんなこと言うのは。そのまま動けなくなって死にたいの?」
ジェシカは言った。彼女の言葉には謎の重みがあった。誰かを従わせる、といったものではない。ただ、彼女の能力に説得力を持たせている。
そんなジェシカの様子を見たクリフォード。
「やれやれ、こういうことか。ジェシカをそのまま放置しておくとまずいぞ」
クリフォードは言った。それは彼なりの忠告だったが、その理由は誰もわからない。そのままクリフォードは拳銃を抜き、ジェシカに向ける。
「おい、何やってるんだ!」
零がそう言った瞬間――クリフォードは引き金を引いた。
ジェシカの頭に命中する弾丸。それを見た恵梨と零は動揺する。なぜジェシカを撃ったのか、と。
「何やったかわかってんの!? ジェシカを殺す気!? 新入りとして入ってきたふりしといて本当はライオネルみたいに裏切るんだよねえ!?」
そう言いながら恵梨はクリフォードに詰め寄った。顔には怒りの色が出ている。何の前触れもなく親友を撃たれることは恵梨にとっても堪えるようなことだろう。
すると、クリフォードは。
「違うんだ。いや、俺が言ったところでお前が信じるかは知らないが……ジェシカは死んでもいないし無傷なんだ」
「え……」
恵梨はおそるおそる後ろを見た。ジェシカは血など流していない。銃弾が撃ち込まれればたとえ吸血鬼であっても血を流すはずなのだが。今のジェシカに限ってはそうではない。
ジェシカは恵梨たちの方に向き直る。
「ごめんなさい。どうにもギャリーのことが……」
と、ジェシカは言った。
「だろうな。ギャリーは誰か知らねえが。とりあえず今したことを説明しておくと、俺の能力……まあ解毒剤みたいなもんだが。そいつでお前の能力の暴走を止めた。前に俺もそうやって能力が暴走するところを見ていたんでな」
クリフォードは言う。すると、今度は恵梨が口を開く。
「は? 解毒剤? イデアがガスとか薬とかと関係あるっていうのは知ってるけど、なんでここで解毒剤?」
「わかりにくいよな。俺も最初はわからなかったぞ。イデアは、脳内に金色のガスとかあの薬が入り込むことで覚醒する。最近わかったことなんだが、イデアが1段階成長するのは感情や知識なんかの、精神的なもの。たまに強い感情で成長することがあるんだが、それが危ないんだよ。下手すれば命にかかわる」
クリフォードはここで一息置いた。
「だから俺の解毒剤を撃ち込ませてもらった。安心してくれ、俺の解毒剤はあくまで暴走を止めるだけで能力を無くすことはできない」
「そういうことだったのか……」
零は納得した様子だった。
「さて、戻ろう」




