12 Time and tide wait for no man
薙刀が空を切る。いや、薙刀が切断したのは液体空気。その風圧で液体空気は吹き飛ばされたと思えば白い煙となって蒸発する。
「そこまでやれるんだな」
零は感心したように言う。
「今はね。頑張ったからここまでできるようになったんだし」
と、恵梨。彼女の傍らにいるフィルは少しふてくされている。恵梨の前に零と手合わせをしてほとんど歯が立たなかったのだ。尤も、相性の問題もあるのだが。
「あ、そうだ。もうすぐジェシカは退院できるんだよね?」
恵梨は続ける。
そう、ジェシカがイザベラから傷を負わされて2週間が経ったのだ。治療も順調に進んでいるとの連絡も受けている。
「らしいな。腐敗部分も取り除けたし、あとは再生だけだと」
フィルが口を挟んだ。
ジェシカを直接見たわけでなくとも、タリスマン支部のメンバーは彼女の事情を聞いている。彼女が不在の間は見回りや戦闘訓練をそれ以外のメンバーで回しているのだ。
「ジェシカが戻ってきたら見回りがてら、調査再開だね。あのときの調査は中断されちゃったけど、今度は……」
恵梨は言った。
時を同じくして、タリスマンの病院。無菌室を出たジェシカは車椅子でベンチの前まで来ていた。そのフロアの一角――ジェシカがいる場所にはガラスが張られており、タリスマンの町の様子がよく見える。
道路を隔てた向こう側はタリスマン支部がある方だ。何をしているのかどうかはさすがに見えないが――
「早く復帰しないとね」
ジェシカはそう呟いて携帯端末を取り出すと、とある人に電話をかけた。支部長であるルナティカでも、馴染みのある恵梨でもない。それ以前に知り合った、ジェシカが信頼していた人物である。
数回のコールの後、電話に出たのはとある中年男性だった。
「お久しぶりです、エヴァルドさん。生きていて何よりです」
ジェシカは言った。タリスマンで起きた出来事を知ってしまったからには、そういった言葉が意図せず出てしまうものだ。
『ジェシカちゃん……なのか。そういえば半年は連絡をもらっていなかったなあ』
「そうでしたね。そうそう、私今タリスマンに戻ってきているんですよ」
と、ジェシカ。すると、電話口のエヴァルドは驚いたような口調で答えるのだった。
『そうか……となると、タリスマンの惨状は見たのかな……? 去年の秋にタリスマンの住人がアンデッドにされる事件があってね。誰かわからないが、外の人たちが助けてくれたんだよ』
エヴァルドは説明する。外の人たちはルナティカや零のことだろう、とジェシカはすぐに見当がついた。そんな彼らが、秩序を失ったタリスマンの復興の手助けをしている。
「それは私も聞きましたよ。それで、今私がしているのは……父の死の真相を調べる事です」
と、ジェシカは言った。父ジャレッドは間違いなくあの戦いの最中に死んだという。だが、その真相には謎が多いと、タリスマンの支部長までも言っていたほどだ。
『……そうか。私が力になれる保証はないが、情報なら少しある。私の家に来てくれればその情報の共有ができるよ』
エヴァルドは言う。
それはジェシカにとって思いがけない進展だった。見回りのときにも邪魔が入り、満足に調査ができなかった。タリスマン支部にある情報も少ない。
「ぜひ行かせてください。今は無理ですが……」
『いつなら大丈夫かな?』
「4日後ならいけます」
『了解だ。待っているよ。私はいつも通り、子供たちに勉強を教えているからね』
と、エヴァルドは優しい口調で言った。
その口調に違わずエヴァルドは優しい心を持った人物だった。タリスマンの町の子供たちに教えられる範囲で勉強を教え、町のコミュニティの人々からも慕われている。ジェシカもかつて、彼から読み書きなどから勉強を教えてもらったことがある。
「ありがとうございます……」
『そうだ、ジェシカ。ギャリーのことを話してもいいかな?』
エヴァルドは付け加える。彼の言葉を聞き、ジェシカは心臓を針で刺されたような気分になった。ギャリーと聞いて浮かんだ姿はかつての彼の姿、そして先日顔を合わせたときの変わり果てた姿。ジェシカは無意識のうちにショックを受けていたのだった。
「いいですよ。あの、彼に何があったんですか?」
と、ジェシカは尋ねた。
『何があったのかといわれるとね。君が旅に出た後、ギャリーが組んでいたバンドは解散することになったんだよ。それも、ギャリー以外のメンバーが殺されたことが原因でね』
「そんなことが……」
ジェシカは言った。ギャリーがバンドを組んだところまではジェシカだって知っていた。が、その後については知らなかったのだった。この事実を知りたくないジェシカだったが、あのギャリーを見てしまえば信じざるをえなかった。
「それで、エヴァルドさん。ギャリーはそのあと……」
『ああ、薬物中毒だよ。そこそこ稼ぎのある家に住んでいたはずだったんだがね。家から金をぬきとっては薬物に溺れるばかりだったようだ』
「酷い……そういえば私、最近ギャリーに会ったんです。ええ、凄く変わっていました。昔みたいに夢を見ているギャリーじゃなかった……あの場所で変わり果てたギャリーを見て、ギャリーが怖かったんです」
ジェシカは言った。涙は流していなくとも、震える声はエヴァルドにも伝わっていた。
『辛かっただろうね。立ち直れないときは立ち止まってもいい。これは子供たちにも言ってきたくらいだ』
「はい。でも、今は大丈夫です。親友ともいえる友人がいるから……エヴァルドさん、ありがとうございます。またよろしくお願いします」
そう言ってジェシカは電話を切るのだった。
――しんみりしている暇なんてない。多分、ギャリーにもまた会うんだろうし、これから治療もある。前向きでいなければ。