第六話 トラウマ
俺の手もろとも、自分の手を高々と上げて、「わ~い、やったー!」と、ピョンピョン飛び跳ねるダ女神。その動きに合わせ、オパーイも嬉しそうに弾んでいる。わ~い、俺も混ざろ~っと♪
しかし、その動きが次第に遅くなり、やがて止まる。そして、ギギギっという音が聞こえてきそうなぎこちない動きで首を動かし、俺を見ると、
「行きたく、ない?」
「えぇ、僕は行かない」
すると、例の瞬間移動よろしく、俺の前に詰め寄ると、
「何でですかっ! 平さんの懸念を全て払拭しましたよねっ!? なのに何故ですか~!?」
そう言って、俺の肩を掴んで揺らすダ女神。俺よりも身長が低いから、お腹にオパーイが当たっている。
「確かに僕の懸念は全て払拭してもらいました」
「ならば何故ですっ!? 他に何か気になる点でもあったんですか~!?」
まるで、散々説明させて買う気満々に見せておいて、ネットで買うから良いやと店を後にする客みたいな俺の態度に、へなへなとその場で座り込んでしまうダ女神。
「ヒドイ! 弄ぶだけ弄んで、飽きたらポイっなのよ~」
男なんてこれだから!などと、人聞きの悪い事を言っている。心なしか、オパーイも若干垂れ気味である。
俺はその場でしゃがみ込むと、ダ女神の肩にそっと手を置いた。
「……平さん?」
「済みません、女神様。僕にはどうしても、異世界に行きたくない理由があるのです」
「行きたくない、理由?」
「はい」
「それは、一体なんですかっ?」
力強い瞳で俺を見つめるダ女神。その瞳に意思の強さを感じる。それほどまでに自分の世界の住人を守りたいのだろう。
「それは——」
「待って!」
そう言って、徐に胸の谷間に手を突っ込むと、一つの水晶玉を取り出す。アニメとかで、胸の谷間から物を取り出すシーンがあるけど、ほんとにそんな事出来るんだ。オパーイって多機能なんだなぁ~♪
アホな事を考えている間に、ダ女神が水晶玉に向かって何やら呟くと、水晶玉の表面が波紋の様に揺れ、やがて色が籠もる。
「——これを視てください」
俺の目の前にそっと、その水晶玉を見せてくる。
「——こ、これは!?」
その水晶玉には、ゲームやラノベで出てくる様なモンスター達が、森の木々を焼き払いながら、サラリとした金髪の人達を蹂躙していた。よく見ると、耳の先が長い。
「エルフ……」
「えぇ、そうよ。 今、こうしている間にも、大森林に居を構えていたエルフの里の一つが、魔王軍に襲われているのよ……。視て」
水晶玉に別の場面が映る。そこはどこかの家の中だろうか。部屋の中央には他のエルフよりも可愛らしい、王冠を頭に乗せた女性エルフが、手を組んで跪き、目を瞑って必死に何かを呟いている。
その女性エルフの前に、まるで守るかの様に男のエルフが二人、ドアを凝視していた。
すると、ドアがいきなり破壊され、そこからのそっと何かが姿を現した。ブヨブヨとした醜いお腹。腰には申し訳程度のぼろ切れを身に付け、手には血に濡れた鉈の様なものを持った、豚頭のモンスター、——オークだ。
オークはギロリと部屋の中を見渡すと、口を大きく開く。水晶玉から音は聞こえてこないが、恐らく吼えているのだろう。
お姫様らしき女性エルフの護衛の二人は、キッと顔をこわばらせると、一人は手に持った細い剣を目の前にかざし、もう一人は持っていた弓の弦を大きく引き絞る。
二対一、戦いに於いて数は正義であり力だ。二人のエルフを見るに、連携も問題無いだろう。この状態ならば、エルフの勝利は固いと思われたが、
「——————っ!!」
再びオークが大きく吼えると、持っていた鉈を横に大きく薙ぐ。
ただそれだけで、細剣をオークに突き出し突進してきたエルフの体は上下に別れ、弓を放ったエルフの頭部は吹き飛んでいく。
「——っ!? ————っ!!」
それを見たエルフのお姫様は、二人に向かって何か——恐らくは名前だろう——を叫ぶ。
二人を瞬時に惨殺したオークは、その醜い腹に最後に弓使いのエルフが放った矢を受け、傷を負っていた。だが、それだけだ。
刺さった矢を気にする様子も無く、エルフのお姫様に近付いていくオーク。対するエルフのお姫様は腰が抜けたのだろう。その場にペタンと座り込み、全く動けないでいた。見ると床面には何かの液体だろう染みが広がっていく。
お姫様の傍まで来たオークは、鉈の持っていない方の手をゆっくりとエルフのお姫様に伸ばしていく。その間、目をギュッと瞑り、必死に何かを叫び続けるエルフのお姫様。
「馬鹿、何やってんだっ!! 早く逃げろっ!!」
意味は無いと解っている。それでも俺は水晶玉に向かって叫んでいた。この後に及んで、一体何を叫んでいるというのかっ! このままでは殺されてしまうというのにっ!
「……ぇ……のよ……」
するとポツリ、横に居るダ女神が息を漏らす。
「え!? 何だってっ!?」
今にも手の届きそうなオークの手、逃げずに叫ぶエルフのお姫様。変わらない状況に俺は苛立ち、思わずダ女神にタメ口をきいてしまった。
だが、それに気付いていないのか、それとも気にもしなかったのか、ダ女神はとても辛そうな顔をしながら、俺の手をギュッと握りしめ、
「——私に、助けを求めているの、よ……」
絞り出す様にそう口にする。
「……そんな……」
歯をギシリと噛み締め、悔しそうな、苦しそうな顔をするダ女神から視線を水晶玉に移す。
水晶玉の中では、オークに首を掴まれたエルフのお姫様が、苦し気に喘いでいた。自分の首を掴んでいる、腹と同じくぶよついたその腕を必死に掴み、自分の首に掛かる負担を少しでも軽くしようと必死だ。
「おい!どうにか出来ないのかよっ!」
水晶玉から視線を外さずに、隣のダ女神に向かって叫ぶ。
「……さっきも言ったでしょう……。ルールで何も出来ないって……」
「クソっ!!何がルールだ! 目の前で苦しんでいる奴が居るっていうのに、それすら守れないルールに縛られる必要なんてあんのかよっ!!」
捕まれていた手を振り解き、弾けた感情をダ女神にぶつけるが、ダ女神は目を瞑り、必死に何かを耐えているだけだ。
そして、
「————っ!!」
「………………」
オークが醜い嗤いを浮かべると、ビクンとエルフのお姫様の体が大きく震え、……そしてダランと力が抜ける。恐らくは……もう……。
それを見たオークはさらに醜い笑みを浮かべると、その亡骸を、まるで子供がぬいぐるみを振り回す様に、その場に何度も叩き付け始めた。そして水晶玉は何も映さなくなった。
「…………おい、女神様よぉ……」
恐らく、今まで生きて来た中で、一番冷たい声だったと思う口調で、俺はダ女神に問う。ビクンと体が揺れるダ女神。だが、そんなものを気にせず続ける。
「何でこれを僕に、俺に見せた?」
「…………」
だが、何も答えないダ女神。
「……おい、何か——」
「——これを視てもまだ、貴方は私の世界を、エルーテルを救っては下さらないのですか?」
金色の大きな目に涙を溜めながら、キッと俺を睨む。
「……貴方は彼らを、彼女らを助ける事が出来るのです! それが出来る力を与える事も御約束した筈!」
そこでグイっと涙を拭うダ女神。そして、俺の手を取り、
「お願いします、平さん! 私の世界では今もこうして、さきほどの様な魔王軍による暴虐が繰り広げられ、罪の無い人々が苦しんでいます。どうかお願いします! 平さんっ!」
ペコリと頭を下げるダ女神。その小さな体は小刻みに震え、オパーイも微かに揺れていた。
「……俺は」
そこで言葉を切り、顔を背け俯く。
「お願い、平さんっ!」
畳み掛ける様に懇願するダ女神。
「俺は……」
そこまで言って、掴まれていたダ女神の手を無理やり剥がすと、
「俺には、無理ですよっ!」
吐き棄てる。
「——どうしてです!? 平さんは怒っていました。さっきの水晶玉に映った光景に。あのオークに! そのオークを含む憎むべき魔物達を倒せる力を、平さん! 貴方は持っているのです。ならば、何故助けてあげると言ってくれないのです?! 何故ですかっ!?」
「それは……」
「教えてください、平さんっ! 私に出来る事ならば何でもしますっ! だからっ」
何でもするという、男子高校生ならば垂涎物の言葉を聞いても、俺のやる気は変わらなかった。
「無理なんです……俺には……」
「平さんっ!?」
「無理なんだよっ!」
「——平さん……?」
拒絶する様に怒鳴る。その声に、感情に、ビクリと体を震わすダ女神。
「……済みません。……俺には……、出来ません……」
「……平さん……」
それでやっと諦めたのか、ダ女神は肩の力を抜き、頭を軽く振る。
「……分かりました、平さん。諦めます」
「……済みません、我が儘言って」
「良いんですよ。ただ、最後に、理由を聞いても良いですか?」
「……はい……」
知らずに流れていた涙、それをグイっと拭うとダ女神に向き合う。
「……実は……」
「実は?」
「……実は……、——怖い、んです……」
「……はい?」
「怖いんです、俺。ああいうのが。駄目なんですよ……」
「平さん……」
「小さい頃に、夢に出て来たんです。ああいう魔物が。そして、襲われ何度も殺されたんです」
「……」
「最初はただの夢だって、そう思っていたんです。だけど毎晩出てきて、毎晩殺される……。その内、夢を見るのが怖くなってしまって。それ以来なんです。ああいった魔物が怖くなってしまったのは——」
「ちょっと待ってください。平さんはゲームやラノベがお好きなんですよね?」
「はい。それが?」
「おかしくないですか? ゲームやラノベにはそういった魔物やモンスターが多数出てきますよね? それらは問題無いのですか?」
たしかにダ女神の質問は的を射ている。僕の好きなラノベや、RPGの様なゲームに、そういった魔物やモンスターは欠かせないし、実際に何度も出てくる。
「確かに、女神様の仰る様に僕の読むラノベや、やるゲームに魔物やモンスターは出てきます。だけど問題有りません。いや、それどころか大好きです」
「何故ですか? とても矛盾していますよね?」
「それは簡単ですよ。そういった物語に出てくる主人公は、皆強いから。魔物やモンスターに襲われても、簡単に倒せる」
「だったら、私がご用意した武器や防具、スキルや仲間も強いですっ! それらの物語に出てくる人達と、ほとんど差が無い所か、圧倒的にこっちの条件の方が——」
「でも、こっちは現実だっ!」
「……」
「どんなに強くなっても、圧倒的に強くなったとしても、傷を負うかもしれない。最悪殺されてしまうかもしれない。……あの夢の様に……」
「平さん……」
「だから、僕には無理なんです。これが理由なんです。トラウマ、なんですよ」
はははと力無く笑ってしまった。
そう、俺は怖いのだ。臆病者なのだ。遠くで見ている分には何とでも言えるのに、実際に目の当たりにしてしまうと何も出来ない、ただの平凡な人間なのだ。
俯く俺に、そっと影が出来ると、頭にフヨンと柔らかい感触が伝わってくる。顔を上げなくても分かる。ダ女神が俺の頭を抱えたのだ。
「平さん、済みません。辛い事を思い返させてしまいましたね……」
そう言って、ヨシヨシと頭を撫でてくれるダ女神。いや、この優しい抱擁にダ女神なんてとても失礼だな。女神に昇格してあげよう。
「分かりました。今回は仕方ありません」
「はい。分かって頂いて有難う御座います」
そっと体を離すと、フワリと笑う女神。その顔に思わず見惚れてしまった。ちゃんと見れば、この女神はとんでもなく美しかった。
「さて、それじゃあ平さんを元の世界に戻しますか」
よいしょと立ち上がると、ドレスをパンパンと叩く女神。この空間にゴミなんか有るのか? だとしたら、有名なデブリ屋の名前を知っているぞ。
「はい、お願いします」
俺もよっと立ち上がり、女神に倣って制服のズボンを払う。
何も出来なくて、女神の願いに答えられなくて、とても心苦しいが、あのエルーテルの世界を救うのに、俺よりももっと適任の人は必ずいる筈だ。次に召喚する人がそういった人になれば良いなと切に願う。
「——それでは平さん、お別れですね」
「はい。少し心苦しいですが」
「うふふ。気にしないでください」
そう笑うと、何やら発する女神。全く聞き取れないが、恐らくは魔法の類だろうか。
音が収まると、女神の右手が光る。そこには、女神の背より、俺の背丈よりも大きな、金色に輝く一本の錫杖が現れる。
その大きな錫杖をシャランと鳴らすと、俺の目の前に光の環が生まれる。
「その輪を潜ると、貴方の元居た世界に戻れます」
「これを潜るんですね」
マンホール大位の光の環。それに恐るおそる手を入れると、消えた。引っ込めると、消えていた手は元に戻っている。
「おぉっ!」
「クスクス、まるで小さなお子様の様ですね」
女神にそう言われ、少し恥ずかしくなった俺は、少しだけバツの悪い顔をした後に、
「それでは、女神様。次に召喚する勇者が、とても強い人になる事を願っています」
「うふふ、はい。それでは。あ、それと」
「ん? 何ですか?」
「ここでの出来事何ですが、誰にも言わないでくださいね。一応、記憶の方は消させてもらいますが、万一という事もあるので……」
「はは。言っても誰も信じてはくれないと思いますが、誰にも言わないとお約束します」
「はい、お願いしますね♪」
それじゃあ、と輪を潜ろうとしてポツリと。ほんとにポツリと——俺はその時の自分を、人生の中で一番褒めてやりたいっ!——何気無しに呟いた一言、
「——じゃあ、あの本屋で、ラノベの続きでも読むかな」
「……え?」
「……ん?」
ピタリと止まる俺の足。左足のそのつま先は僅かに消えている。
「……何か?」
「……い、いえ。別に……」
様子がおかしい。と、いうより、俺の何気無い言葉を聞いたのだろう、顔中から汗が滴り落ちている。どう見ても何かを隠している。
俺はそのままクルリと体の向きを変えると、ダラダラと冷や汗を掻いている女神の元に、スタスタと近付いて行く。
「女神、様?」
「ヒッ!?」
女神の目の前に立ち、目だけに笑みを浮かべて顔を近付けると、分かりやすいにも程があるほどの分かりやすさで、動揺する女神。その動きに合わせ、シャランと鳴る錫杖。
「何か、俺に伝えていない事でもお有りなんじゃないですか?」
「ななな、何も、ナイデスヨ?」
ギギギっとぎこちなく首を逸らし、否定する女神。その首を掴み、無理やりこちらに向かせる。ゴキリと鈍い音が女神の首から聞こえてきたが、気にしない。
「何か、ありますね?」
「ナニモアリマセンヨ」
アホの様に同じ事を繰り返すオウムの様な口調で否定する女神。だが、その顔には、相変わらず滝の様な汗を流している。そしてまた、ギギギっと首を逸らそうとする女神。この野郎、そのオパーイでも揉んでやろうか?
「女神、様っ!」
「ヒッ!」
今度は両肩を掴んで、強制的に逃げられない様にしてから、その顔をおでこが触れる位の至近距離で睨み付ける。女神はビクつくが、両肩を掴まれている為に逃げられないと悟ったのか、俯くと聞き取れない声で、何やら呟いた。
「何ですって?」
「……だからぁ、……っ……」
「聞こえませんよ?」
「だから、続き……ぃ……かな」
「だから、聞こえませんよっ!」
もう本気で揉んでやろうと、肩からそのままオパーイに手を移動しようと動かした時、女神は叫んだ。
「続き、読めないって言ってるのよ~~~!」