第五話 だが断る!
天上界に、女神様の怒声が響く。
キーンとした耳を押さえながら見ると、吠えた女神は肩でゼイゼイと息をしている。キレイな顔が台無しである。
「はぁはぁ、ちょっとは私の、話を聞きなさい、よ!」
耳から手を離した俺に、女神様は自分の髪と同じ金色の目で睨みながら言った。
「いや~、こんなキレイな女神様に召喚されるなんて初めてなんで、ちょっと舞い上がってしまって」
「……あんた、録な死に方しないわよ。女神の私が言うのもなんだけど……」
最後にはぁ~と、大きく息を吐いた女神様は、それで切れた息が整ったのか、最初の頃に浮かべていた優しい顔に戻る。今さらその顔をされても、さっきまでのゼイゼイとしていた顔を見ているので、最初に受けた感動はもう無い。
「——さて、私が召喚した勇者よ。私から貴方にお願いがあるのです——」
いきなり仕切り直した女神様は、俺に向かってそう言うと、ニコッと笑った。
俺は後ろを振り返る。
「……今さらそういうのは要りません。貴方ですよ、平 凡太さん」
「!? どうして僕の名前を?」
その反応が予想の範囲内だったのか、とても嬉しそうに目を細めて、
「言ったでしょう? 私は女神。貴方の名前位判りますよ」
「……ストーカーで——」
「——違います!」
何か調子狂うわねぇ、とブツブツ言ったあと、気を取り直して、
「——さて、平凡太さん。さきほども言った様に、貴方には私の司っているエルーテルを救ってほしいのです」
「僕が、ですか?」
「はい。貴方にしか出来ない事なのです」
そう言って、目を潤ませて哀願してくる女神様。男はすべからく、美人の涙に弱いことを知っている仕草である。
「——質問、しても良いですか?」
だが俺は、そんな顔に騙される事無く、女神様に質問をする。
「はい、なんなりと」
「では、お言葉に甘えて。まずはそのエルーテル、でしたっけ? そこは一体何の危機に瀕しているのですか?」
その俺の質問に、「あぁっ!」と、大袈裟に倒れ伏すと手を目に当てて、
「よくぞ聞いてくれました。私の司るエルーテルは、実は——」
「まさか、魔王が復活とか、ですか」
「……」
「……あ、済みません。もうしませんから」
「ほんとよ? 次やったら、このまま宇宙空間に放り出すからね」
「はい、気を付けます」
それだけはマジで勘弁願いたい。
「コホン。——そうです!魔王グラン・クルーゼ率いる魔族の軍勢が、突如としてエルーテルにある国々に侵攻し、残虐非道の数々をっ!」
そこでまた、「うぅっ!」と顔を覆う。……何だろ、いちいちそういうのやらないとダメな女神様なのか?
「はぁ、何となく解りましたけど、では何故、女神エルニア様自らが、そのエルーテルに顕在して救わないんですか?」
「そう!そこなのです!」
よくぞ聞いてくれましたと、倒れ伏していたのが一変、いつの間にか僕の手を取っていた。え?瞬間移動?
「私の様な、一つ以上の世界を司っている神々のルールで、直接手を下してはいけない事になっているのです」
「……それって、司っているって言えるのか?」
「……何、か?」
「い、いえ! 何でも」
目だけ笑って俺を見る女神様に、何でもないと首を振る。
「そのルールでは直接手を下せないのですが、こういう世界の危機に対応する為のルールもキチンを用意されているのです!」
「……ルール改正して、自分達でさぁ……」
「……何、かっ?」
「いえ、何でもありません……」
「……ほんとにさぁ……」
俺の手を握りながらも俯き、何やらブツブツ言っている女神様。いや、もう様って付けなくても良いんじゃないか?
「……こいつ、ほんとに使えるのかしら……」
「あのう、女神、様?」
「——はっ! 私ったら、一体?」
「いえ、神々のルールがどうたらと」
「あ、そうですね。——その神々のルールによると、直接手を下せなくても、とある方法で世界を救う事が可能なのです。それが——」
「……勇者、召喚」
「そうです。他の世界から勇者を召喚して、自分の司る世界を救ってもらう」
「なるほど。それで僕が、女神様に召喚されたという事なんですね」
「はい。なので平さん、私の世界、エルーテルを救って頂けますか!?」
そこで握っていた僕の手を、豊かな自分の胸に押し付ける。……ン~、そういうの嫌いじゃないですねぇ~。
「お願いします、平さん。あなたの事だけが頼りなんですっ」
さらに胸に押し付けていく女神。柔らかい胸が形を変え、僕の手をスッポリと覆った。オパーイのほとんどは男の夢で出来ていると言っていた奴は正しかったな、うん。
だが、男の愛と夢がたっぷり詰まった楽園から、泣く泣く別れを告げる様に手を離す。
「? 平さん?」
女神はキョトンとした顔をしていた。まるで、そのオパーイで落ちない人間など居ないと言わんばかりに。
だが、俺は違った。唇から血が滴るほど強く噛み、オパーイの誘惑から逃れると、
「女神様、まだ質問があるのですが、良いですか?」
「え? えぇ、なんでしょう?」
そこで、俺はコホンと一つ咳払いをすると、
「そのエルーテルという世界に行って、帰って来れるのですか?」
俺は今の世界に満足して……はいないが、須原さんと会えなくなるのは嫌だ。このまま会えなくなってしまえば、須原さんとの最後は、あの学校でのこっ恥ずかしいやり取りになってしまう。
俺の質問を受け、女神はにこりと笑うと、
「えぇ。安心して。無事に魔王を倒せば、元に世界に戻れます」
「……万が一、魔王打倒がかなわずに死んでしまった時は?」
「それでも、元居た世界に戻れますよ」
私としては、魔王を倒して欲しいですけど、と付け加える。
「では、その魔王を倒す為に、何か用意してもらえるのですか? 例えば、勇者の剣とか、女神の鎧とか」
「はい、もちろんです。魔王を倒してもらうのですから、それ相応のご用意はしております。まずは——」
女神が右手を軽く上げると、そこには金色に光る、見るからにとても強そうな剣が浮かんでいる。
「こちらの、勇の者を庇護する剣、エルーテルソードを。そして——」
次に左手を上げると、銀色の、装飾がとても立派な堅そうな鎧が浮かぶ。
「こちらの、女神に保護された鎧、エルーテルの鎧を、それぞれ差し上げます。これは、エルーテルにおいては最上級の装備アイテム、【天上級】に属していて、とてもレアリティの高い装備になっています」
「それは凄いですね。その性能は?」
「はい。剣の方は装備者の攻撃力UPはもちろん、絶対切れ味、腐食無効、弱者敬遠などが付与されており、鎧の方は剣と同じく装備者の防御力UPはもちろん、疲労回復、軽量化、自動回復などが付与されております」
とっても凄いんですよ、と女神が胸を張る。プルンを自己出張するオパーイ。あの故郷に帰りたい……。
「こほん、それはとても素晴らしいですね。他には何かあるんですか?」
もっとくれと暗に示すと、「ふぅ、やれやれだわ」と肩を竦める女神。おいおい、自分の世界を救って欲しいのに、その態度は良いのか?
「——良いでしょう。特別にレベルが上がりやすくなる、特別なスキルをお付けしましょう」
「レベルのある世界なのですか?!」
「当然です。魔力も魔法もありますよ」
あなたの世界の様に、魔力も魔法も極端に少ない世界の方が少数派なのですよ?と、女神は補足した。
「そうですか。まるでゲームやラノベで出てくる、異世界みたいですね!」
ラノベはもちろんだが、ゲームももちろん大好きだ。有名なタイトルのRPGゲームは、そのほとんどが経験済みである。エルーテルとやらは、そんな男の子憧れの、剣と魔法の世界らしい。
「行ってもらった最初は初期レベルからですが、そこはレベルアップの醍醐味を味わって頂きたく。しかし、その初期ステータスは他の人と比べ大幅に高く、すぐさま大活躍出来る安心設定になっています」
手をパンと叩いて、嬉しそうに説明する女神は、すでに営業スマイルである。安心設定って言っちゃってるしな。
「なるほど。他には?」
女神がその態度なら、こっちもすでに電化製品でも買いに来た客の心境になる。それか、テレビショッピングのアシスタントか。
「もう!あなたも欲しがりねぇ」と腰に手を当てる女神。その後、口に指を当ててう~んと考えた後に、手をポンの叩き、
「そうだわ! 仲間をお付けしましょう!」
「仲間、ですか?」
「えぇ! ほんとなら、魔王討伐の旅を続ける中で、心許せる仲間を集っていくのだけど、今回は特別に最初から、あなたに最も適した仲間を付けてあげるわ!」
もう、欲しがり屋さんなんだからっ!と、俺を指差す女神。なんか、最初の時と雰囲気変わってないか?
「最初から仲間ですか……」
顎に手を当てて考えてしまう。俺はこう見えて、案外人見知りなのだ。女の子だけではなく、初対面の人に対しても苦手意識がとても出る。そんな俺だから仲間を作れる自信は無い。ならば、最初から、有名な某RPGゲームの酒場の様に、最初から仲間が居てくれた方が何かと心強い。
「最初から最適な仲間が居れば、仲間を集める事をしなくて済むし、魔王討伐も早まるわ。そうしたら、元居た世界に帰れるのも早くなるし、一石二鳥、いえ、三鳥位の価値はあるわね」
腕を組み、うんうん頷く女神。もう、商品を売りたくて仕方無い様だ。在庫処分でもしているのかもしれない。
「あ、そうだ。そこも聞きたかったんですよ。僕がそのエルーテルに行っている間、元の世界はどうなっているんです? まさか時間が停まっていたりとか?」
「……いえ、それは出来ません。あなたがエルーテルで過ごす時間と同じ様に、元の世界も時は進みます」
「……そんな……」
それはとても困る。無事にエルーテルとやらを救い出したとして、元の世界に戻ったとしても、すでに球也や鈴子、須原さんに会えないでは無いか。まさに浦島太郎状態だ。
「それじゃ、僕が居ない事が問題になりませんか? 友達はおろか、家族だってとても心配するでしょうし」
「いえ、その心配は有りません。貴方がエルーテルに行っている間、あちらの世界では貴方は最初から居ない存在となるからです」
そういう風に、あちらの世界の神と話し合って決めてありますからと、女神は言う。
「それでも、時間は進むんですよね? 残りの高校生活だって過ごしたかったのに、それでは……」
俯く。時間が停まっている間に、魔王を片付けてね♪なら、問題無いっていうのに……。
困る僕を見て、女神は「う~ん、しょうがないわね……」と呟いた後、
「——あ~、もしもし、聞こえる? 私よ。エルニアよ」
と、宙(といっても全て宙だが)に向かって、突然話し始めた。
「この前はありがとね~。お陰で助かっちゃった。うんうん」
どうやら誰かと話しているみたいである。話し相手の声が聞こえない為、一方的に目の前の女神が狂ってしまったのかと思ってしまった。
「そうなのよ~。それでね、貴女の世界の子を一人お借りしたんだけど、それがさぁ、聞いてよ。何かぁ、そっちの世界の時間を停めてくれないと行かないって駄々を捏ねるのよぉ……」
全く、困っちゃうわよね~、と愚痴る女神。駄々を捏ねたつもりは全くなく、当たり前の事を言っただけなのだが、目の前の女神にはそう聞こえたらしい。
受話器と本体を繋ぐ線など無いにも関わらず、女神は耳の横の何も無い空間を指で巻いていた。ってか、今時スマホかコードレスのこの時代、その仕草は無いと思う。
「んで~、ちょっと相談なんだけど。借りた子を返す時にさぁ、ちょっとだけ時間を戻してほしいんだよねぇ」
「……え?」
その会話の内容に唖然とする。まさか時間を戻せるのか?! さすがは女神、おそるべしである。
「いやいや、そんな長くじゃないの。ほんとに少しだけよ。どの位で魔王を倒せるか分からないけど、恐らく5年位かな?」
「おいおい、5年も掛かるのかよっ」
女神相手についつい地が出てしまった。だが、女神には聞こえていなかった様で、
「そう、その位なの。えっ、大丈夫? ほんと?! いや~、助かるわ~」
さすがは女神。5年がほんのちょっとで、しかもその位なら時間を戻してもオッケーとは……。
「じゃあ、伝えるわね。ほんとに有難うね。うん、今度ランチ行こうよ。良い店見つけたんだぁ~」
ついでと言わんばかりに電話の相手にランチの約束まで取り付けると、「じゃね~」と、虚空に手を振る女神。
「——さて、平さん。貴方に伝えたい事があります……」
「いや、全部聞こえていましたから。時間の件、何とか都合が付くんですよね?」
「え?うん、そうだけど……」
呆気に取られている女神。おいおい、あの声で聞こえてなかったとでも思っていたのかっ?しかも「盗み聞きなんてダメよぉ?」なんて抜かしてる。コイツはひょっとして、あの有名なダ女神ってやつか?
「聞いていたのなら、話は早いわ。平さん、貴方の懸念していた時間軸の件ですが、先程話し合いをした結果、どうにかなるそうです」
良かったですね、と嬉しそうに笑うダ女神。ってか、あれのどこが話合いだったのか。
「時間が戻るって言ってましたよね? ならば、僕がこの天上界に来たその日に、あの本屋に戻るって事ですか?」
「はい。そういう事になりますね」
「それはまた、凄いです、ね」
女神やら、魔法やら、ファンタジーだけかと思えば、時間逆行なんて、まるでSFだ。
(まさに何でも出来るんだな……)
「さて、平さん。他に質問はございますか?」
僕の質問という形の、不平不満に応えるのが楽しくなっているご様子のダ女神は、豊満な胸の前でその手を合わせると、愉しそうに笑う。
「他には……、特に無いですね」
とても豪華な初期装備に、レベルの上がりやすくなる特殊スキル。それに高いステータスに、俺に最適な仲間まで付いてきて、なおかつ時間を気にすることも無い。まさに至れり尽くせりだ。
ここまで付けたら、気になるのなんて、後はもう値段だけである。……テレビショッピングならば、だが。
俺の答えに嬉しそうに跳ねると、再び俺の手を取り、
「では、平さん。私の世界、エルーテルを救ってくださいますか?」
少し熱の籠もった、大きな目をウルウルとさせて、上目使いで問うてくる。
俺の答えなど、とっくに決まっていた。
「僕は……」
「はい……」
「——僕はエルーテルに、異世界に——」
「はいっ!」
「——異世界に、行きたくないっ!!」
「はいっ! 有難う御座いますっ!!」