第十一話
「キィエ!」
自分の腕の太さよりもさらに太いこん棒を持ち上げ、襲い掛かってきたゴブリン。その姿は、裸の上半身にぼろ布を腰に巻いただけの、ゲームなんかでお馴染みなスタンダードなゴブリンだった。強さの方も普通らしく、黄色い唾液を吐き散らしながら振り回すこん棒は、思いっきり遅い。まさにゲーム序盤のモンスターといった程度の強さだった。
「思ったほど強くは無かったな。これなら須原さん達も大丈夫だろう。でも、これだけ大きなこん棒を振り回せるだけの力があるのは、厄介だよな」
向かってくるこん棒を冷静に躱しながら、俺はそう判断する。その体に見合わない力があるっていうのも、ゴブリンの特徴と言えるだろう。
「俺達にはともかく、この村の人達には充分脅威だろうからな、やっぱ」
俺達のやる事、それはこの世界の住人を救う事だ。ならば、この村を襲っているこのゴブリンは、幾ら俺達の脅威にならないとはいえ、一匹残らず始末しなくてはならない。
「キョェエ!!」
相変わらず汚い唾を吐きながら、俺の顔に向けてこん棒を振り回すゴブリン。その度に、特徴的な緑色の突き出た腹がブルンと揺れる。正直、いつまでも見ていたいとは思えない。
(じゃあな)
俺の顔に向かってきたこん棒をスッと避ける、と同時に、ゴブリンの首にそっと、風華雪月を滑らせた。それだけで、首の骨があるというのにほとんど抵抗を感じないまま、風華雪月の刃がゴブリンの首から抜け出ると、コトリとゴブリンの首が落ちる。その後、切られた首元から紫色の血を大量に噴き出しながら、トスンと、首の無い胴体が静かに地面へと崩れた。
悲鳴も、絶叫も上げずに絶命したゴブリン。もしかすると、あまりに抵抗が無さ過ぎて、首を切り落とされたことすら気付いていないのかもしれない。
「ふう」
搔いてもいない汗を服の袖で拭いながら、辺りを見る。するとそこには、首の無いゴブリンの死体が全部で12体。そのすべてが、風華雪月の錆となったゴブリン達だ。
(いや、錆にすらなっていない、か)
俺は、持っていた抜き身の風華雪月の刀身を見る。村を焼く炎の明かりに照らされた刀身は、オレンジ色の光を浴びているにも関わらず、相も変わらず白い輝きを放っていて、ゴブリンの血の色である紫色は染み一つも付いていなかった。
俺の今のレベルは、あのキメラと戦った時と同じにしたが、ハッキリいってオーバーキル過ぎた。ゲームで言えば、物語中盤のキャラが最初の町近辺の敵と戦っている感じか。
それでも油断は出来ない。なにせ死んだら本当に死ぬのだ。油断して死んでしまったら、後悔すら出来ない。
「俺の腕が良いからかな?」と、ウンウン頷きながら、風華雪月を鞘へと納める。さっきの一匹を最後に、俺の見える範囲内には、ゴブリンの姿は見えなかった。
(全部で20匹居た内の12匹だから、残りは8匹、か)
風華雪月を納めた鞘を腰に差しながら、ステータス画面を開く。そこには、【マジックサーチ】で表示された赤や青の光点が、村と思しきマップの上を移動していた。
(……うん、残り6匹になってるな。……お、また一つ、赤の光点が減ったぞ)
ステータス画面上には、今まさに、須原さん達がゴブリンと戦っている所が表示されていて、今どういう戦況なのかが解る様になっていた。それを見る限り、須原さん達は、スピードは早くないとは言え、確実にゴブリンの数を減らしていっているのが解る。【マジックサーチ】で、こんな便利に表示されるとは思っていなかったが、これならとても解り易い。
(うん、大丈夫そうだな。ならば、俺はどうするか……)
ステータス画面を閉じた俺は、改めて周囲を確認する。
辺りはゴブリンの血臭なのか、人間の血の臭いとは全く異なる、どこか生臭い臭いが立ち込めていた。流石に12匹も殺せば、当然と言えるか。
そして、そのゴブリンの死体とは別に、地面に倒れ、血を流している者が居た。この村の住人だ。
すでに亡くなっている村の住人達の体は、標準的な人間に比べ明らかに小柄で、その全てがフワフワな大きな尻尾を生やしている。そして、人間の耳の位置と比べ、明らかに高い位置──頭の先に、毛むくじゃらな耳を生やしていた。
「獣人か」
そう、地面に横たわっている住人の遺体は、獣人だった。俺と同じ様な、いや、俺よりももっと質素でボロボロな服装の、男の人と女の人、そして子供……。
「チクショウ……」
俺達がこの村に着く前に襲われていたとはいえ、救えなかった住人達。その人達が、あの時オークに殺されたエルフのお姫様と重なり、俺の中にどうしようもない程の気持ち悪さと怒りが込み上がる。
だけど、どうする事も出来ない。今出来るのは、今も生きている村の人達を一人でも多く救うことだけだ。
「……ごめん、後で埋めて上げるからな」
一番近くに倒れていた子供の遺体に手を合わせた後、今も燃える村の奥へと進んで行く。鞘に入った風華雪月が、寂しく鳴った気がした。
☆
村の反対側から入った俺は、草が刈り取られて踏み締められた道だと思われる、獣道の様な通路を先へと進んでいた。進む途中で見られた家々は、燃えている家も有れば、無事な家もあった。ゴブリンは全ての家に火を放っているわけでは無さそうだ。
すると、俺が進んで行く方から、村の住人である獣人が一人、何かから逃げる様に後ろを振り向きながらこちらに走ってくる。そして、前を見た瞬間に俺を見て、一度ビクリと体を大きく震わした後、ヘナヘナとその場で、腰を抜かす様にへたり込んでしまった。
「も、もうお終いでキュル~」
「お、おい、大丈夫か?」
まさか、ゴブリンにやられて怪我でもしたのか!?と、その住人に近寄る俺。すると、その住人はさらに大きく体を震わせると、まるで土下座でもするかの様に頭を下げる。そして、ガタガタと震え出した。
「い、命だけはお助けを~!ぼ、僕を食べても美味しくないキュル~!」
「別にあなたを襲いませんから、頭を上げてください」
土下座状態の住人に近寄ってしゃがみ込み、ガタガタと震える背中にそっと触れる。するとまた、ビクリと大きく体を震わせた後、静かに頭を上げる。
「ゴ、ゴブリンじゃないキュル?」
「……おい、どう見たら、俺がゴブリンに見えるんだ? あんな、上半身裸のゴブリンと間違えるか? まず、身長が違うだろ」
ブスっと文句を言って立ち上がる。だが、顔を上げた住人は、腰が抜けているのか立ち上がれない様なので、手を差し出すと、住人はおずおずと差し出した手を掴んできた。
「ぼ、僕たち、夜はあまり見えないキュルよ」
俺に引っ張り上げられる様に立ち上がった住人は、服に付いた汚れをパンパンと払う。その身長は俺の胸位だ。かなり小さいけれど、一体何の獣人だろうか?
「驚かしたみたいで済みません。傷とかはありませんか?」
「大丈夫キュルよ。それに僕も勝手に勘違いして怖がったんだし、お互い様キュル」
「そうですか。そう言ってもらえると。それで、今、ゴブリンはどちらに?」
「あ、あっちに居るキュル!」
と、住人は村の奥、オレンジの明かりが強くなっている場所を指し示した。
「あっちにはまだ逃げ遅れたみんなが居るキュル! でも、ゴブリンが強過ぎて、助けられないキュルよ……」
「あっちか……」
意識下でステータス画面を開くと、数多くの青い光点が動き回っているのが確認出来た。目の前の住人の言う様に、まだ多くの人が、村を襲ったゴブリンと、迫る火の手から逃げ回っている様だ。
(ゴブリンは、須原さん達が相手にしているみたいだから問題無いけど、パニックになってそれに気付いていないんだろうな)
(火事もあるし)と、ステータス画面を確認していると、「キュル!?」と、住人が驚いた声を上げた。ん、なんだ?
「ど、どうしました?」
「お、お前、もしかして人族、キュル!?」
人族?あぁ、そういや前に、ミケもそんな事を言っていたっけ。そういや、あの生意気なピューマ族の女の子は、元気で居るだろうか?──と、今はそんな事を気にしている場合じゃないよな。
「人族、というか人間です。ですがまぁ、こっちでいえば人族なんですかね?」
と、首を捻りながら答えると、驚いていた住人がその表情を変えた。
「な、なんで人族ごときが、このシマリス族の村に、無断で入り込んでいるキュル!?」
「え?」
「え?じゃないキュル! あ! もしかすると、突然現れたゴブリンも、お前等人族のせいキュルか!?」
突然怒り始めた住人が、俺を睨む、というか、目の前の獣人はどうやらシマリス族らしい。リスって、キュルって鳴くのか? 良く分からん。
「黙って無いでなんとか言ったらどうなんキュル!? それとも図星だったキュルか!?」
考え事をしていた俺に、問い詰めるシマリス族の住人。どうやら、俺に後ろめたい事があって、黙ってしまったと勘違いしている様だ。
「い、いえ、図星というか、何を言っているのか分からないというか……」
「言葉は通じているキュルよ! ならば、僕が言っている事が解るはずキュル! それでも誤魔化すなんて、やっぱりお前が──」
「──スク~!!」
と、目の前のシマリス族の住人が俺に詰め寄ろうとした時、村の奥へと続く道からまた一人、シマリス族の獣人が息を切らせて走って来た。ロングスカートを穿いている所からすると、女性みたいだ。
「スク! 良かった、ここに居たのね!」
「ロル!? 良かった! 君も無事だったんだね!」
「えぇ、私は大丈夫! それよりも大変よ、スク! リースちゃんが!!」
「リース!? リースがどうしたって!?」
お互いの無事を喜んだのも束の間、ロルと呼ばれた女の子から、リースちゃんが大変だと告げられる。
「リースちゃん?」
「ひっ!? な、なに!? この人族!?」
「ロル、気を付けるキュル! この人族があのゴブリンをこの村に呼び込んだ犯人キュル!?」「え!?」
「いやいや、違うから!」
ロルと呼ばれた女性のシマリス族を、俺から守る様に背中で隠しながら俺を警戒する、男性のシマリス族──確かスクって呼ばれてたな。
そのスクから掛けられた冤罪を否定するのだが、警戒していているのか尻尾の毛を逆立て、話を聞こうとしない。ゴブリンに襲われたから疑心暗鬼になるのはしょうがないと思うが、少しはこっちの話を聞いて欲しいもんだ。ったく、しょうがない。
「それよりもリースちゃんが大変なんだろ!?」
「は!? そうだったキュル! ロル! リースがどうしたキュル!?」
「それが、私達と逃げようとした時、倒れてきた木に足を挟まれて動けなくなっちゃったの! このままだと、ゴブリンに殺されてしまうか、火で焼き死んじゃう!」
「な、何だって!?」
「こうしちゃいられないキュル! やい、人族! お前の事は取り合えず後回しキュル! だから、逃げるんじゃないキュルよ~!!」
そう言い残すと、最後まで俺の話を聞く事は無く、スクと呼ばれたシマリス族の男性は。村へと続く道を走って行ってしまった。