第七話
時折、金属同士がぶつかり合った様な、高い音が遠く響くエルニア様の部屋で、エルーテル救世の為の準備を終えた俺達は、エルニア様と多比良姫様の前に一列に並ぶ。
「……皆さん、準備が整いましたか? おトイレは済みましたか? 忘れ物はありませんか?」
「……なんか、遠足にでも行くみたいだな。俺達、これから一つの世界を救いに行くっていうのに、まるっきり緊張感が無い……」
まるで園児や小学生が、登園や登校する前の様な心配事を口にするエルニア様に、「はぁ……」と、溜息を吐いて呆れる。自分の世界が今にも滅びそうだっていうのに、暢気なものだ。
俺とエルニア様のやりとりを聞いていた須原さんと鈴子が、「やれやれ」と苦笑いを浮かべている中、
「そう言えば俺、親に出掛けるって伝えてないぞ?」
「あちゃ~」と頭を掻く球也。それに「あ!私も!」と反応する鈴子。須原さん声にこそ出さなかったが、口に手を当てている。おい、球也。出掛けるってほんとに遠足じゃないんだぞ?
「あ~、それなら──」と俺が説明しようとした時、スッと一歩前に踏み出す影。エルニア様だ。
「──凡太さん、私から説明させてください。……こほん、え~、その点ならご安心してください。皆さんの親御さんには何一つご心配をお掛けしていませんよ」
「あの~?」
「はい、何か?」
「俺達がエルーテルに行っている間、俺達は居なくなっているんですよね? そうしたら、親とかとても心配すると思うんですけど?」
さも当たり前の事を心配する球也。男である俺や球也ならまだともかく、女の子である鈴子や須原さんが居なくなれば、大騒ぎの警察沙汰になる事は明白だ。
だが、そんな心配を指摘する球也に、明らかに温度差がある空気を纏ったエルニア様は、にこやかに、
「それなら大丈夫♪ 皆さんがエルニア様の部屋に来たその瞬間から、あちらの世界では皆さんの存在は元から無かった事となっていますので」
「「「──え?」」」
何も知らない三人が言葉を失う。そりゃそうだ。自分は居なかった事になっているなんて言われれば。俺だって最初に聞かされた時は、何言ってんだ、このオパーイは?ってなったし。
ポカンとする三人の反応に、気分を良くしたのか調子に乗ったのか、はたまたその両方かは知らないが、エルニア様はさらに続けて──、
「ついでに言いますが、皆さんがエルーテルへと赴いている間、皆さんの世界では、皆さんが居ないまま、いつも通りに時が進んでいきます」
「「「──え?」」」
再び声を失う三人。当たり前だ。自分が居ないまま、時間だけ過ぎていきますよと言われ、「はい、そうですか」とはならない。まだ十数年しか生きていないとはいえ、俺達はあの世界に色々な想いがある。親、友達、部活に趣味、恋愛、青春……。そうしたものが、自分達が居ないまま、いつの間にか失っていってしまうと聞かされれば、そんな反応にだってなるだろう。
そんな重要な事をサラっと、トイレにでも流すかの様に言ってしまえるのは、そうした、時間の概念が無い女神様だからだ。そこら辺の機微に疎いのも仕方無いのかもしれない。そんな存在だからだろう、続けざまに重大な事を言えるのは。
それにしても三人とも、良い反応するなぁ。あの時の俺なんて、簡単に受け入れちまったぞ? いや、あれが普通なのかも知れないな。あの時の俺は、なんていうか、自分を取り巻く環境に少し嫌気が差していた時だったし。若気の自暴自棄ってやつかな。
そんな三人の反応を見て、「これよ、これ!」とばかりに嬉しそうな顔をするエルニア様。はいはい、どうせ俺は反応しませんでしたよ。
そうして満足したのか、エルニア様はその両峰をプルンと高々に突き出す様に胸を張り、
「──ですが皆さん、安心してください。皆さんが居ない間も時は流れて行きますが、皆さんが無事にエルーテルを救う事が出来た際には、皆さんが自分達の世界を離れたその瞬間にお戻しする事をお約束しますので」
そう言って、何故か俺を見て笑うエルニア様。その顔を見て、あの時の事を思い出す。そんなに時間が経った訳では無いのに、随分昔の事の様だ。
「時間を、戻す、ですか? 一体、どうやって?」
唖然呆然としていた三人の中で、一番早くその状態から回復した須原さんが、エルニア様に質問すると、エルニア様は一歩下がると、
「こちらの多比良ちゃ──、コホン、多比良姫様が皆さんの世界を統べる神様の一人という事はご存知ですね?」
「……はい」
(え?ご存知なの? いつの間に知ったの? もしかして、俺の居ない所で、自己紹介し合ったの?)
「その多比良姫様が、全てが終わった後、皆さんを元の場所、元の時間軸にお戻し致します」
「うむ! わらわがキチンとお主らを元に戻してやろう──」
「──あの時の話相手はお前かぁ!!」
「うわぁ!? な、なんじゃあ!?」
エルニア様の説明を補う為に一歩前に出るなり,絶壁を張りながら腰に手を当てて偉そうに宣う多比良姫様に、俺は噛みつく。
「ど、どうしたのじゃ凡太!? わらわがお主に何かしたのか!?」
「何かしたのか?じゃねぇ! あの時、俺を元に戻す際に色々と無駄話をしやがって! なにがランチのドリンク奢りだ! 俺の大切な時間をドリンク一つで片付けようとするんじゃねぇ!」
あの時の怒りが蘇った俺は、一気に捲し立てる。すると、「あ~、あの時の」と多比良姫様も思い出した様だ。その横では、「あちゃ~」と、どこか他人事で済まそうとしているエルニア様──もといダ女神。そんなスタンスで過ごそうとするのなら、お前も後で説教だぞ。
「それは済まなんだ、凡太よ。しかし、エルニアが悪いんじゃぞ? 早めに時間を戻せば、詰まらない事を言われんで済むと言うから──」
「──!? わー!? それ言っちゃ駄目ぇ、多比良ちゃん!」
「詰まらない話じゃねぇ! あの時は、俺の未来が掛かっていたんだぞ!」
──そうして暫く、一人と二柱があーだこーだと言い争うのを、須原さん達は黙って見守っていたとさ。めでたし、めでたし。
☆
「さて、色々ありましたが、皆さんご納得されたという事で宜しいですか、ね?」
俺にジト目で見られているせいか、どこか遠慮がちな口調で、俺達に確認するダ女神。
「はい、問題有りません」「うん、大丈夫です!」「要はさっさとエルーテルを救ってくれば良いんでしょ? 楽勝だって!」と三人がそれぞれ納得した事を告げる。おい、球也よ。それは思いっきりフラグだぞ!?
俺達の答えを受け、コクリと頷いたエルニア様が、シャランと大錫杖を振るう。すると、その目の前に小さな黒い点が浮かび上がったかと思うと、それが徐々に大きくなり、やがて、人が一人通れるほどの大きさへ広がった。
「──これは【空間移動門】。皆さんに解り易く言うのであれば、ワープホールと言えば分かりますかね」
「“ゲート”、ワープホールですか。何か、ピンクのドアだったら、もっと解り易かったかもしれませんね♪」
“ゲート”と呼ばれたワープホールを見て、鈴子が冗談を言うと、「あー、それな?」と球也が乗っかる。須原さんも笑い声は出さなかったが、面白かった様で、笑顔を浮かべている。だが、そんな和気あいあいの空気なのに、エルニア様の表情はどこか冴えない。そして、
「これを潜ればその先は我が世界、エルーテルに繋がっています。後戻りは出来ません。そして、もう一つ──」
「──?」
今まで見せた事の無い苦悶の表情。その顔を見て、これからエルニア様の口にする事が、ただ事では無いのだと伝わって来る。一体何を──?
「……万が一、エルーテルで命を落としてしまった場合、こちらへは戻れません……」
「──え?それって?」
「……本当に死んでしまうのです。エルーテルで死んでしまったら、皆さんは元の世界に戻れず、そのままエルーテルに残されてしまうのです。死者として……」
「……どういう事だよ?」
「……済みません、本来ならば真っ先にお伝えしなければならないのですが……」
「マジかよ……」「そんな……」「……」
あまりの衝撃的な事実に、俺も、球也も、鈴子も、須原さんでさえショックを隠す事は出来なかった。だってそうだろ。もしエルーテルで死んだら、生き返る事も出来ず、さらに元に世界にすら戻れないなんて! ……いや、待てよ?
(前はそんな事を言っていなかったじゃないか!?)
「ちょ、ちょっと待ってくれ! だって、前に死んだら元の世界に戻れるって──」
「──神威がな、足りないんじゃよ……」
「多比良姫様……」
以前、俺が勇者として召喚された際の、エルニア様の言葉を思い出し、その時との齟齬を指摘しようとしたら、エルニア様に変わって多比良姫様がその理由を明かしてくれた。その顔は、申し訳無さに染まっている。エルニア様に至っては、深く顔を伏せ、その表情を伺う事すら出来ない。
(マジかよ……)
改めて“ゲート”を見る。漆黒の中、もう一つの黒が波打つ様に内側へと波紋を立てている。あの中に入れば、もう後戻りは出来ない……。しかも死んだら、本当に死んでしまうなんて……。
ゲームでは無い“リアル”を突き付けられ、思わずゴクリと喉が鳴ったのは、果たして俺なのか、それとも違う誰かなのか……。
誰一人声を発せない。行くにしろ引くにしろ、一番最初に声を上げるのは、相当勇気が要る事なのだ。だからだろう。この場で一番の勇ある者が、最初に口を開いた。
「……わた、し……は、……私は、一度決めた事を無かった事にする気は有りません。それに、困っている人が居るのに、見過ごすなんて、私には出来ません」
「勇者さま……」
「そうだよ、困っているのなら、私達が助けに行かなくっちゃね! 凡ちゃんも居るし、きっと何とかなるよ!」
「そうだな! まぁ、何とかなるよ!」
「……みなさん……。本当に有難う御座います……」
「うむ! それでこそ、わらわの世界の住人じゃ! わらわはとても誇らしいぞ!」
須原さんの決意表明に続いて、鈴子と球也が同じく自分の想いを伝えると、エルニア様は深々と頭を下げ、多比良姫様はその絶壁を誇る様に胸を張った。皆、死んじゃうかも知れないっていうのに、一人も行かないって言わないんだから、多比良姫様じゃなくても、誇りたくなるってもんだ。まぁ、球也に限って言えば何も考えていないだけかも知れないけれど。俺? 俺はもちろん行きますよ!須原さんが行くのに、行かないって選択肢は無ぇっす!
「良し!んじゃ、さっさと行こうぜ!」と、何故か場を仕切る球也に、「球也君ってほんとにスゴイよね……」と呆れる鈴子。その二人を見ながらクスクスと笑う須原さん。和気あいあいとした空気。その中で俺は、絶対にこの三人を死なせないと心に誓う。
そうした中、深々と頭を下げていたエルニア様が顔を上げる。その目は赤く濡れていた。
「では、これを以て、皆さんにはエルーテル救世へと向かって──」
「──宜しいですか?」
エルニア様の言葉を遠慮がちに遮ったのは、須原さんの着替えを終えた後、エルニア様の傍に控えていた舞ちゃんだった。
「舞? どうしたの?」
「……ぁ、……ぅ」
気遣う様な眼差しを舞ちゃんへと向けたエルニア様。その視線を受けて、舞ちゃんは言おうか言わないか迷っている様で、視線を彷徨わせる。
「……舞?」
「……私も凡太さんと、皆さんと一緒に彼の地の救世へと赴いても宜しいでしょうか!?」
促された舞ちゃんは、絞り出す様に自分の願いを口にする。
「舞……」
「だって、凡太さん達は自分達の命を懸けてエルーテルを救おうと言ってくださったのです! ならば、私がその傍にお仕えして、お役に立ちたいのです! エルニア様、どうかお願いです! 私も凡太さん達とご一緒させてください!」
「舞ちゃん……」
一生懸命に自分の想いをエルニア様に伝える舞ちゃん。そこまでして俺たちの役に立ちたいのかと、エルーテルを想う強い気持ちに感動してしまう。だが、
「舞、それはなりません……」
「──!? 何故です!?」
抗議する舞ちゃんに対し、膝を折り、控えている舞ちゃんの肩に手を乗せたエルニア様は、まるで女神の様な(女神なんだけど)慈愛に満ちた声質でもって、そっと語り掛けた。
「あなたは神の使いとして、やるべき事が有るからです。ただでさえ困っている人達が多い中、彼らの力となれる者を、一か所にだけ注いでしまっては、他の住人を救う事が出来なくなってしまうでしょう。だから舞、ここはグッと堪えてちょうだい。ね?」
「……エルニア様……」
なおも食い下がろうとする舞ちゃんだったが、その顔は徐々に下がっていった。そして、
「……分かりました。エルニア様の御言葉に従います」
「舞、有難う……」
そう言って、エルニア様は最後にそっと舞ちゃんを抱く。「いえ、私こそ、申し訳ありませんでした」と謝る舞ちゃんは、そうして暫く抱き合うと、今度は、「マイマイ……」と潤んだ声で舞ちゃんを慰める様に声を掛けた鈴子と抱き合う。
「う~ん、塚井さんは来ないのか……」と見るからに激しく落ち込む球也。別にお別れって訳じゃないんだけど、なんかそんな空気になってしまった。その空気を変えようと、俺達を見つめていたエルニア様が「シャラン」と大錫杖を鳴らす。
「それでは皆さん、ご武運を! 私は信じております! 貴女たちが魔王を打ち滅ぼし、エルーテルに平和をもたらさん事を!」
「はい! 必ずや、エルーテルを救ってみせます! ここに居る仲間と共に!」
──そうして俺達は、各々挨拶を済ませると、須原さんを先頭に、エルーテルへと続くゲートを一人、また一人と潜って行く。最後に潜った俺が見たのは、心配そうに見つめる舞ちゃん。そして、その少し後ろで、悲し気に笑うエルニア様と、多比良姫様だった。
~ ~ ~ ~
「──結局、凡太さんに言ってしまったのね……」
「なんじゃ、聞いておったのかの?」
「当たり前よ。ここは誰の世界だと思っているの?」
「そうじゃったの……」
「……それより、凡太さんはどうでした?」
「特に変わらず、といった感じかの。まぁ実際の所は、凡太にしか分からずといったところじゃが」
「そう、ですか……」
「……なぁ、エルニアよ。本当にこれで良かったのか? なんなら、わらわから直々に──」
「──多比良ちゃん」
「……」
「良いの。決めた事だから。それに、これで……」
「……そう、か」