第九十七話 良い雰囲気のところ悪いがの
(久しぶり、だな)
俺を取り囲う様に輝く昴群。宇宙空間の様な場所。辺り一面360度、星々の煌めきの様な光の点が明滅している。ここに来たのは二回目だ。
コキュトラスに幽閉されていたエルニア様に連れられてやって来た、エルーテルの天界──エルニア様の部屋。その相変わらずの空間はやはり慣れず、急に怖くなった。高所恐怖症の俺には、やはりここは立ち入り禁止空間だな。
フワリフワリとした感覚に自分の腕をかき抱きながら、俺は目の前で繰り広げられている光景に目をやる。そこには、大きな金の錫杖を掲げ何やらブツブツ言っているエルニア様。その傍らには一緒にこの天界へと赴いた多比良姫様と、舞ちゃんが居る。
(一体、何をやっているんだろうな……)
遠目から見る限り、錫杖を掲げ何やらブツブツ言っているエルニア様は、はっきり言ってアブねぇ奴である。だが、そう思えないのは、その額や頬に汗を搔き、その表情に苦痛の色を浮かべているからだろう。
そうしてどの位の時間が経ったのだろうか。ここに来る前に居たコキュトラスに比べれば時間という概念を感じる事は出来るが、それでも普段の生活に比べればとても希薄だ。
そんな、長いとも短いとも思える時間の中で行われていたその行為が、唐突に終わりを告げた。エルニア様が掲げていた錫杖を下ろしたのだ。
シャランと鳴る錫杖。その音色からは良い事があったのか、それとも悪い事があったのかは見当が付かない。マジックビジョンで大きな金の錫杖を見るも、何の反応を示さない。
「──どうじゃ?」
多比良姫様がエルニア様に何かを伺うと、舞ちゃんに額の汗を拭ってもらいながら、俯かせたその顔を力無く横に振る。「……そうか」と、多比良姫様もその顔を暗くした。
そのやり取りだけでは一体何が行われたのか分からない俺は、そっと舞ちゃんに視線を向けるも、俺の視線に気付いた舞ちゃんはその頭を小さく横に振るだけだった。
(こりゃ、直接聞くしか無いな……)
相も変わらず慣れない浮遊感と絶対に負けられない戦いを繰り広げながら、俺はよろよろと二柱と一人の美少女へと近づいて行く。そんな俺に気付いた二柱と一人が視線を向けて来た。
「それで、一体何をしてたんですか?」
気になった事全てをオブラートが破れない程度に包みながら、率直に尋ねた。すると──
「どうする? わらわが答えるか?」
「……いえ、私から答えるわ」
(おいおい、そんな心の準備が必要な質問をした覚えは無いぞ!?)
思った以上の重たい空気にたじろぐと、エルニア様が一歩前に出た。そして、その小さく可愛らしい、それでいてどこか色っぽさを醸し出す口をモゴモゴと動かす。なにがあったのかは分からないが、何やら言い辛そうだ。
「……やはりわらわが──」
「いえ、大丈夫だから!」
多比良姫様のヘルプを断ったエルニア様は、ほんの小さな声で何やら呟く。それは俺に聞かせまいとする気遣いなのか、それともただ面倒なだけなのかは分からない。分からないが、魔力で強化されている俺の耳にはしっかりとその言葉は届いていた。
「──エルーテルが、滅、ぶ……?」
「──!?」
驚いたエルニア様がその目を大きく見開きながら、焦った様にその口に自分の手を添える。だが、もう遅い。
「ど、どういう事ですか!? エルーテルが滅ぶって!?」
「落ち着くのじゃ、凡太」
訳が分からないとエルニア様に詰め寄ろうとする俺に、自制を促す多比良姫様の声が飛ぶ。
「いや、落ち着いていられないでしょ!? エルーテルが滅ぶって言ってるんですよ!?」
「知っている」
「ならばどうして多比良姫様も落ち着いていられるんですか!? エルーテルが滅ぶって事は、エルーテルへと逃げ込んだ土手も死ぬって事ですよ!?」
「……それが?」
「……それがって……」
「凡太よ、お主は何か勘違いしておるな」
そう言って、俺に近付いて来る多比良姫様。
「わらわは別にあ奴の生死はどうでも良いのじゃ。あ奴が死しても、わらわ達の世界は元に戻るのじゃろう? ならば面倒臭くない分、むしろそっちの方が──」
「いや、そんな事は有りません!」
多比良姫様に最後まで言わせなかった。いや、最後まで言わせたくなかった。見た目が丸っきり幼女で愛くるしく、土手の起こした数々の混乱に対して、大変世話になった多比良姫様の口からその言葉の続きを聞いてしまえば、俺の中で何かが変わってしまうと確信したから。それに──
「……罪は罰を受けるから罪なんです……。罰を受けない、償わない罪なんか、ただの“悪”だ。俺はあいつをただの悪人にしたくはない……」
「凡太?」
俺はまだアイツを、土手を救いたいと思っていた。確かにアイツがした事はとてもじゃないが許されることじゃない。それでも、救えるのならば救ってやりたい。それはあの時ちゃんと救ってやれなかった事への償いなのかもしれないし、同じ学校で学ぶ仲間として助けたいのかもしれない。正直、良く分からない。でも、助けてやれるのなら、助けたいのだ。
「なぜ、そこまで?」
「分かりません。ただのお人好しなだけかもしれない……。もしかすると、アイツに俺自身を重ねているのかも知れない……」
「……どういう意味じゃ?」
「俺もあそこまで世界を変える力が有るってことですよ。そして、変えてしまった世界が、多比良姫様達にとって決して望ましく無い世界だったとしたら、俺も、同じ、様に──」
「凡太さんがそんな事をする訳ありません!!」
「舞ちゃん?」
無意識に見つめていた両手、その両手を自分の両手で包みこみ、胸元へと寄せる舞ちゃん。スッと顔を上げると、すぐ目の前に舞ちゃんの顔があった。
「凡太さんがそんな事をする訳無いじゃないですか! それにもし、少しでも道を誤ろうとしたら、その時は私が全力で止めて見せます!」
「舞ちゃん……」
その迫力に思わずコクリと首を折る俺は、「ははは……」と情けなく笑うと、ガバっと顔を上げ、
「そうだね、俺が間違えそうになったら、舞ちゃんがその間違いを正してくれるか」
「──はいっ!」
「……コホン」
手を繋ぎ、目をあわせ合った俺達に投げ掛けられた咳払い。それは多比良姫様だった。
「良い雰囲気のところ悪いがの、取り敢えず、事は刻一刻と迫っておるのじゃ。乳繰り合うのなら、全てが終わってからにせい」
「──!? 別にイチャイチャなんてしていませんっ!」
繋いでいた手をバッと離すと、アワアワと慌てる舞ちゃん。その舞ちゃんの肩に手を乗せ、「ありがとね、舞ちゃん」とお礼を伝え、
「──俺はあいつを助けたい。助けて、自分のした罪を認めさせて償わせたい」
「……ふむ。あ奴にとってそれは、ただ死なすよりも酷じゃろうな」
そう言うと、背中が冷たくなる程の冷たい笑みを浮かべる多比良姫様。だがこれで、土手を死なせるという選択肢は無くなった。その笑みにコクリと頷くと、ただ黙って状況を見ていたエルニア様と向き合う。
「……それで、エルーテルが滅ぶって、どういう事ですか?」
「……凡太さん。あなたには関係無い──」
「エルニアよ。それはあるまい。男である凡太が決意を示したのじゃ。女神とはいえ女子。良い女子ならば、決意した男を立てねばなるまい?」
「多比良ちゃん……」
まさか多比良姫様がそんな事を言うとは思わなかったのだろう。エルニア様は意外そうな顔を多比良姫様に向けた後、小さく溜息を吐き、「……分かりました」と頷いた。
「……勘違いしないで欲しいのですが、私は何も凡太さんに意地悪をしている訳では無いのですよ?」
「エルニア様?」
「私は心配しているのです、凡太さん。あなたは優しい。とても、ね。だから嫌なのです。今のエルーテルの現状はあの時よりももっと酷い……」
「あの時……?」
「私がお見せした水晶玉、そこに映った一人のエルフの王女を覚えていますか?」
「……はい」
忘れもしない。初めてここに来た時に、俺を説得しようとしたエルニア様が、水晶玉を使って視せてくれた映像。そこには、オークの魔物に惨殺されるエルフの女の子が映し出されていた。
「あの時、凡太さんは大変心を痛めてましたね。ですから心配だったのです。エルーテルが滅ぶと知った凡太さんが、どれほどその胸を痛めてしまうのか、と」
「エルニア様……」
「だから敢えて他人行儀に接して、決してこちらに気を使わせまいとしたというのに……。ほんと、凡太さんはお人好しなのですから」
そう言って見せたエルニア様は、泣き笑いの様な表情を浮かべていた。だが一変して、俯くと、震える声で、
「ですが、もう駄目……、エルーテルは滅んでしまう……」
「そんな!?何故です!?」
「……ひとつは神威、もうひとつは魔王……」
俺の質問に答えたのは意外にも多比良姫様だった。
「それはどうして!?」
「まずは神威じゃが……、コキュトラスを覚えておるな?」
「当たり前じゃないですか。さっきまで居たのですから」
「そうじゃな。ではそのコキュトラスでエルニアを解放する際、わらわが言った事は覚えておるか?」
「多比良姫様が仰った事?」
あの時、多比良姫様は何と言ったのか。多比良姫様の良いようだとそれは、全ての会話では無く、恐らくは神威に関してだろう。ならばそんなに多くは無い筈だ。
(え~と)と、口に手をやり思い出す。ふざけている場合では無いので、額に手をやらなかっただけ褒めて欲しい。
「……確か、神威は封じられる……?」
「うむ、正解じゃ」
俺の出した答えに満足気に頷くと、
「そう、あのコキュトラスでは神威は使えん。じゃが世界の理を守る為には、神威が必要なのじゃ。これだけで、頭の切れるおぬしならば解るだろう?」
「……理が、保てない……」
「うむ、その通りじゃ。そしてもう一つの魔王じゃが、こっちもある意味、神威に関係してると言えるのぅ」
「それはどういう──」
「それは私から説明します」
「エルニア様」
多比良姫様の肩に手を乗せると、「ありがと、多比良ちゃん」と悲し気に微笑む。気を使わせた事に対してのお礼と申し訳無さを合わせた言葉。
「……凡太さん、魔王は以前とは比べ物にならない程の強大な力を宿しています。その強大な力にエルーテルに住む人々は為す術無く日夜殺され、蹂躙されているのです」
「……」
「そうして、エルーテルから人々が少なくなっている……。今、エルーテルの住人は全部で、9万人といった所でしょうか」
「9万人……」
それが多いのか少ないのかイマイチ分からなかった俺に、多比良姫様が「おぬしの住む国、その中の市一つが大体10万人くらいじゃな」と教えてくれた。
「え!? それしか居ないんですか!?」
「……それほどまでに、魔王は残忍であり凶悪なのです……」
今まで言われるがままに、魔王は恐ろしいという見えない形でしか捉えていなかったその存在に、初めて意味というか、色というか、そういった物がイメージとして備わる。
だが、まだ何を言いたいのか分からない俺は、首を捻った。
「それで、その魔王と神威の関係性って?」
「神威というのは、凡太さんの世界でいう所の信仰心なの、私に対しての、ね。その信仰心をもたらす住人が、魔王の手の者によって次々と殺されているの。という事はどういう事か分かりますね?」
「神威の、枯渇……」
ゴクリと喉が鳴った。自分が言ったその言葉の意味に気付いたからだった。
「……エルーテルの存続の為には、一日でも早く魔王を滅ぼさなくてはいけないの!なのに、次の勇者召喚にはまだ一年は掛かるわ! それではエルーテルはもたない……。なのに私は、コキュトラスに幽閉され、残り少ない神威を送る事さえ出来なかった!エルーテルを──私の世界を救う事が出来なかった……」
「私は女神失格ね……」と、か細い肩を振るわせながらそう告白したエルニア様は、顔を手で覆い隠してしゃがみ込む。すると、その肩に今度は多比良姫様が手を乗せた。
「多比良、ちゃん……?」
「いや、問題あるまいよ」
そう言った多比良姫様と、それを聞いていた俺は頷きあった。