第九十三話 次元の封門
「なんだよ、今の?! どういう事だ!?」
突如として消えてしまった土手。訳が分からず、その状況に付いていけない俺は、傍らに立つ舞ちゃんに事情を聞こうとしたその時、
「凡太ぁ?!」
「何ですか、これ!?」
突如聞こえた、悲鳴じみた声!声を上げたのは、ミケとギルバードだ! 後ろから聞こえたその悲鳴に急いで振り返ると、土手を包んでいたのと同じ黒い靄で出来た膜が、ミケとギルバードも包み込み、その体を宙に浮かせていた! 「なっ!?」 近かったミケに慌てて近付く。
「ミケ! 大丈夫か!?」
「何にゃ、これぇ!?」
内側から膜を破ろうと、その短い両手両足をバタつかせてもがくミケ。だが、黒い膜はその形を柔軟に変えるだけで、割れる素振りを見せない。
「くっ!?」 奥に見えるギルバードも、ミケと同じ様に膜を破ろうと、腰に差していた翡翠の短剣の刃先を突き立てるが、膜が伸びるだけだった。
「クソ!? 何だよ、コレ! ミケとギルバードを出せ!」
土手の時で殴っても割れない事は分かっているので、今度は外から──ちょうどミケが中から押している箇所を引っ張ってみるが、駄目だった。どうやら、力づくじゃあ、駄目みたいだ!
(──ならば、魔法か?!)
「舞ちゃん! コレを破るにはどうしたら良い!? やっぱり魔法しか──」
この中で、一番魔法の知識に長けている舞ちゃんが頼りとばかりに声を掛けるが、その舞ちゃんは、俺の言葉が聞こえていない様で、ただ、ミケとギルバードを包み込む黒い霞膜を見つめていた。
「舞ちゃん?」
「……この膜は破れません……。魔法でも、物理的な力でも……」
フルフルと首を横に振る舞ちゃんに、俺は怪訝な目を向け、「それはどういう事!? 舞ちゃんはこれが何だか知っているの!?」と質問をすると、少し間を開けて、今度は首を縦に、一度だけ振った。
「──これは、【次元の封門】です」
「ディメンションゲート?」
「はい。私も見るのは初めてですが、あの方から聞かされた事があります。その世界の理から離れた異物を、強制的に排除する、世界を統べる神の様な戒律、それが次元の封門、です」
「そんなものが、いきなりどうして!?」
「おそらく、先程の彼が言っていた、智爵のクロが施したという魔法陣。それが次元の封門を抑える事を可能とする、魔道具の類だと思います。その世界の理を護る為の、云わば神の力ともいうべき次元の封門、それを制御出来るほど強力な魔道具を用意したのは、間違いなく魔王でしょう。それほど強力な魔道具を智爵のクロに渡し、この世界に遣わせたのです。目的は判りませんが」
「という事は、土手の言っていた事は本当だって事か! 待てよ? 今の話が本当なら、ミケとギルバードがその次元の封門に包まれたって事は、まさか!?」
「凡太さんの想像通りだと思います。……すでに、智爵のクロはこの世界から去ったものと思われます。それは恐らく、先程の彼がこの世界から居なくなったのと同時でしょう。智爵のクロが居なくなった事でその魔道具の効果が切れ、それによって、エルーテルの世界に関する者は、この世界に存在出来なくなり、強制的に向こうに送られるのだと思います」
「マジかよ!?」
「嫌にゃ! ミケはまだ凡太にフィッシュバーガーをお腹一杯ご馳走してもらってないにゃ!」
と、俺と舞ちゃんの会話が聞こえていたミケが、黒い霞膜をボコボコと殴り蹴る。凄まじいまでのフィッシュバーガーへの食い意地を見せるミケ。だが、フヨンフヨンと膜が揺れるだけだった。
「私も、多比良姫様の所蔵する、大吟醸なるお神酒を飲んではいません!」
と、こっちは多比良姫様の持つお酒への意地を見せるギルバードもまた、膜にナイフを何度も吐き立てるが、伸びるだけで、キズ一つ付いていない。
そうこうしている内に、二人を包む霞膜の色がさらに濃く──土手が消える時位に黒く染まる。相変わらず中で暴れているのだろう、膜が揺れているのは分かるが、中の様子は見えなくなっていた。すると、「……凡太、そこに居るにゃん?」と、心細そうなミケの声が聞こえてきた。
「あぁ、居るぞ! どうした!?」
「実は、凡太に伝えたかった事があるにゃあ」
「んだよ、改まって! 良いから、中から壊せ! 俺も外から壊してやるから!」
まるで、フラグの様な言い様に、思わず否定しては、再び膜を引っ張り始める。
「良いにゃんよ、凡太。神の使い様の言葉を聞いたにゃんが、ミケたちは死ぬ訳じゃあないにゃん。ただ元の世界──エルーテルに帰るだけにゃん。だから、大丈夫にゃん」
「大丈夫ってお前……」
諦めムードを全開に漂わせたミケの言葉に、膜を引っ張る手を止める。すると、膜がフヨンと柔らかく揺れた。
「……凡太、有難うにゃん。凡太に出会って、ミケはとても強くなれたにゃん!これなら、元に世界に戻っても、旗の魔物に怯えずに済むにゃん!」
「……ミケ……」
「……そうですね。私も凡太に伝えたい事がありまして、凡太、あなたのお陰で姉との事、踏ん切りが付きました。有難う御座いました」
「……んだよ、ギルバードまで。俺は何もしていない。何もな。ミケとギルバードが強くなれたのは、お前たちが自分達で乗り越えたからだ。だから、俺は──」
「そんな事は無いにゃん、そもそも凡太がミケ達を助けてくれなければ、強くなる所か生きていなかったにゃん」
「そうです。私なんて、記憶を取り戻す事無くこの世界の片隅で野垂れ死んでいましたね」
「お前ら……」
「だから、凡太には感謝にゃん。最後にフィッシュバーガーが食べれなかったのは残念だし、もっと凡太と一緒に居たかったにゃんが、しょうがないにゃん。ここでお別れにゃん」
「そうですね。取り合えず元の世界でも元気で生きていますから、凡太もお元気で」
「待て──」
──フッ……
掴もうと、行かせまいと手を伸ばす。だが、二人がそう言い終えるのを見計らっていたかの様に、ミケとギルバードを包んでいた霞膜は、その存在が最初から無かったかの様に、跡形も無く消えてしまった。
「……そんな、感謝をされる様なことはしていないよ。ミケ、ギルバード……」
伸ばした手をギュウっと閉じる。二人の残した言葉へ、二人に届かない返事をした。
その俺の肩に、誰かがそっと手を乗せて来た。舞ちゃんである。
「そんなに悲観する必要はありません。あの二人──ミケとギルバードは、元の世界、エルーテルに戻っただけなのですから」
「……でも、そのエルーテルは今、魔王に襲われて大変なんだろ? いつ魔物に殺されるか分からない世界なんだろ?」
「確かに、それは……」
「それに、もうあの二人に会えないって思うと、寂しいじゃないか……」
あれほど騒がしくて、たまにウザったらしく感じていたミケでさえ、居なくなった、もう会えないと思うとやはり寂しい。(母さんも寂しがるな、きっと……)と、ミケを気に入っていた母さんの顔が浮かぶ。
それに、舞ちゃんもミケの試合の後にはミケを褒め、ミケの言葉に涙ぐんでいた。舞ちゃんだってきっと、ギルバードはともかく、ミケに会えなくなるのは寂しいと思うだろう。そう思ったのだけど、舞ちゃんは自分の体を抱く様に両腕を組むと、
「私には……解りません。 あの二人はエルーテルの住人です。だから、元の世界に帰った方が二人の為になると、幸せだと思います。それに、二度と会えなくなる事なんて、ありふれた日常です。あの世界では……」
その顔は、あの世界の脅威である魔物に対する怒りと、そしてどこか、申し訳無さを感じた。あの世界を統べるエルニア様、その眷属たる舞ちゃん自身も、どこかでその責任を感じているのかもしれない。魔王の脅威に日々苛まれる、エルーテルの住人達に対して。
(そうだよ、舞ちゃんもミケやギルバードと同じ、エルニア様の世界の住人だもんな。俺と一緒にこの世界に来たけど、舞ちゃんの気持ちはエルニア様に、エルーテルにあるのだろうし。エルニア様への心配と同じ位、あの世界の事を気に掛けていても不思議じゃないよな)
「もしかして、舞ちゃんも戻りたい?」
この質問は意地悪だと解っていた。舞ちゃんは俺とエルニア様の契約で、この世界に来ただけで、自分の意思で帰れるという事は出来ないのだから。
「そんな! 私は──!」
目を大きく見開き、俺の言葉に答えようとした舞ちゃん。その舞ちゃんの体を、突如として薄い膜が包み込んだ!
「えっ!? きゃあ!?」
「舞ちゃん!」
それは、ミケやギルバードを元の世界へと還した、次元の封門だった。まさか、今度は舞ちゃんを元の世界に還そうというのか!?
「次元の封門って事は、舞ちゃんも!?」
「いえ、それは有り得ません!」
「舞ちゃん?」
「私はあの方から、凡太さんお傍に居ることを命じられて居ますから!それは──」
話を続けようとする舞ちゃんを包む膜が、黒く染まって行く。その色が、ミケやギルバードをこの世界から消した霞膜のそれに段々と近付いて行き、フワリフワリと冗句へとゆっくり上がって行く。
「舞ちゃん!!」
「そんな!? ここまで強制力があるなんて!!」
刻々と黒くなっていく次元の封門。そのせいで中の様子が見えなくなってきた。だと言うのに、舞ちゃんはミケやギルバードとは違い、抵抗らしい抵抗すらしていない。今起きている出来事を受け止めきれないという風に、目を見開き、首を横に振り、明らかに動揺していた。
「舞ちゃん、落ち着いて! とにかく何とかしないと! このままじゃ、舞ちゃんもこの世界から飛ばされる!」
「そうですが、次元の封門は絶対的な強制力を持つ理です!これから逃れるなんて、無理です!」
「そんな事、やって見ないと分からないじゃないか!」
必死になって、霞膜をぶっ叩く、蹴り付ける、噛み付く! ありとあらゆる事を試してみたが、霞膜はその色をどんどんと濃くしていくだけだった。
(こうなったら、風華雪月で──!)
ズボンのベルトに差し込んでいた風華雪月に目をやった。俺の全魔力を籠めた風華雪月を全力で振るえば、もしかするとこの霞膜も破れるかもしれない。
だが、中に居る舞ちゃんにも被害が及んでしまう可能性もある。俺はただの野球部員で、剣の達人でも無ければ、剣道部ですら無い。そんな俺が、舞ちゃんを傷付けない様にしながら、全力で刀を振る事が出来るだろうか。
(でも、やるしかない! 今の俺に出来る事はそれ位だし、何もしなければ、このまま舞ちゃんすら居なくなっちまう!)
ミケもギルバードも居なくなって、さらに舞ちゃんまで居なくなってしまったらと、想像するだけで嫌だった。リザードマンに殺された学校の皆や、この闘技場で殺された人達を、そして変わってしまったこの世界を元に戻さなきゃいけない。土手が居なくなってしまった今、頼れるのは舞ちゃんだけなんだから!
そっと、腰に手を伸ばすと、リンっ──と風華雪月が鳴った気がした。まるで、俺が想像していた事を期待しているかの様に。
(……待てよ? 土手が居なくなった……?)
なぜか、その言葉に引っ掛かりを感じた。なんだ、何がオカシイ?
「……凡太さん、聞いてください。先ほどの凡太さんの質問ですが、……私は戻りたくありません。だって私は、あの方にからのご命令で凡太さんのお傍に居るのですから。ですから、私は感謝しています、あの方に。凡太さんと出会わせてくれた事を。……そして……、今ではその、私自身も、凡太さんと一緒に居たいと……、──って、凡太さん、聞いていますか?」
すっかり黒く染まってしまった次元の封門から、舞ちゃんの声が聞こえてきたが、俺の意識は別の所、さきほど覚えた違和感に向いていた。そして──
「……なぁ、舞ちゃん、ちょっと聞いて良いかな?」
「……なんですか?」
少し棘を感じる物言いだったが、俺は構わずに質問した。
「次元の封門ってヤツは、違う世界の住人を、元の世界に戻すためのシステムなんだよな?」
「システム、ですか……? え、えぇ。そうですね。この世界の言葉では、それが正しいかと」
「それが何か?」と、聞き返す舞ちゃんに、俺の中にあった違和感の正体を口にする。
「土手はエルーテルの人間じゃなく、この世界の人間だ。その土手が、次元の封門に包まれたって事はもしかすると、ただの次元の封門じゃ無いんじゃないか!?」
「……あ」と、舞ちゃんが間の抜けた声を上げる。って事は、舞ちゃんも気付いていないってことだ。
次元の封門が、舞ちゃんの説明通り、世界の調和を正す為のシステムならば、この世界の土手は、違う世界──おそらくエルーテルだろうけれど──に飛ばされる筈は無い。なのに、土手は次元の封門で飛ばされ、この世界に居る事を許されている舞ちゃんですら、元の世界に飛ばされそうになっている。
という事は、この次元の封門は、ただの次元の封門じゃないんじゃあ?
「次元の封門を使ってなのか、違うナニかか分からないけれど、誰かが意図的に土手と舞ちゃんを違う世界──エルーテルに飛ばそうとしているんじゃ──」
「──その通りじゃ、男!」
「誰だ!?」
どこからともなく声が掛かる。
「──はぁっ!!」
そして、裂帛が聞こえるや、舞ちゃんを包んでいた霞膜がパァンと弾け、霧散した。
「ふぅ。間に合ったようじゃの」
「「多比良姫様!?」」
バサバサと、鳥の羽ばたく音が上空から聞こえた。顔を上げると、そこに居たのは、天さんに抱かかえられた多比良姫様だった。
スッと、足音はおろか、埃すら立てずに地面に降り立った多比良姫様は、俺の元へと歩いて来ると、正面に立ち、
「男、お前さんのお陰で、この世界をおかしくしていた原因が取り除かれ、何とかこの世界の秩序が保たれた。ギリギリじゃったがの」
「多比良姫様……。でも、元には戻りません。俺が土手を逃がしたばかりに」
「そんな事は無い。これ以上は酷くならずに済むのだ。ならばこそ、感謝するのは当然の事じゃよ。神々を代表して、わらわが言おう。有難うな、男──いや、平凡太よ」
「……多比良姫様……。有難う御座います」
多比良姫様から掛けられた感謝の言葉に対して頭を下げると、俺の頭にその可愛らしい手をポンと乗せ、労ってくれた多比良姫様。
「……それで、多比良姫様。先ほど仰った事は、一体どういう事ですか?」
そんな中、次元の封門から解放された舞ちゃんが、天さんに抱えられてやってくる。その質問に、俺の頭から下ろした手を、今度は腰に当てると、「えっへん!」と何故か胸を張る。
「うむ、それなんじゃが、この世界の神々(わらわたち)の中には、今回の原因となった者たちを全て、送還ばそうとする神もおってのぅ。じゃが、そうすると今度はアッチが大変になるじゃろ?じゃから、わらわが断固として反対して、事を納めたのじゃ!感謝するが良いぞ!」
「じゃあ、土手を飛ばし、舞ちゃんも飛ばそうとしたのは、神様達なんですか?」
「うむ。じゃが、間違いではあるまい。この世界を守護するのが我々のお役目。例え、この世界の住人であったとしても、余りにもこの世界に害をなしたからの。致し方ない」
そこまで言うと、何故か多比良姫様は俯く。そして微かに、本当に聞こえない程の声で、「……まぁ、元々はエルニアとわらわのせいなのじゃがな……」と、付け加えた。それは誰に対しての告白なのだろうか……。
「多比良姫様?」
「それはさておき、おぬしがあの者達をこの世界から退けたお陰で、エルニアの疑いも晴れたのも、お前のお陰じゃ」
「あの方は、エルニア様は無事なのですね!?」
思わず拾ってしまった多比良姫様の告白。それが気になった俺はその事を聞こうとしたが、顔を上げた多比良姫様が、それを遮る様に、そう口にすると、パァっと顔を明るくさせた舞ちゃんが、多比良姫様に詰め寄る。それを「どうどう!」と抑えると、ふといたずらっ子の様な笑みを浮かべ、
「──では、会いに行くとするか、エルニアに──」と、楽しそうに口にした。