第九十一話 魔王の幹部
★ 凡太視点 ★
「ふぅ、やれやれだな」
ドゥっと倒れるキメラ。切り落とされた首から、ダクダクと紫色の血を流しながら、時折ピクピクと動いている。
そのキメラの傍に落ちていた白い鞘を拾い上げ、チンっと風華雪月を納めると、クルッと後ろを振り向いた。その瞬間──会場が割れた!!
「うおおおっ!」「良くやったぞ、兄ちゃん!!」「助かったのか?!」「お兄ちゃ~ん!!」
会場中から投げ掛けられる大歓声! 賛辞、感謝、声援などが入り交じって俺に降り注ぐ。それらを聞くと、俺の決断は間違っていなかったなぁと思えた。
もし、学校のみんなに嫌われるのを恐れて力を解放しなかったら、決して得られなかっただろうから。
(まぁ、その前に、あのキメラに勝てたかどうか怪しいんだけどな)
闘技場の地面に倒れているキメラに目を向ける。ライオンの炎、ヤギの雷、そして、ヘビの近接攻撃と、その全てが驚異的だった。あのまま戦っていたら、負ける事は無かったかもしれないけれど、もっと大勢の観客達に被害が及んでいたのは確実だったろう。そうなったら、今掛けられているこの歓声も、違ったものになっていたかもしれない。
「凡太ぁ~!!」
「うわっ!?」
そんな余韻に浸っていると、ムギュッと顔に何か張り付いてきた。ミケである。
「やっぱり凡太はスゴイにゃんね!」
「むぐぐ~むぐむぐ、むぐ!!(分かったから離れろ、ミケ!!)」
顔を塞がれ、前が見えず息も出来ない! キメラではなく、仲間に殺されそうになるなんて笑えないぞ!?
ミケの背中に手を伸ばして何とか引き剥がすと、今度はギルバードがやってくる。
「流石凡太ですね。あのキメラを倒すなんて」
「その後、ミケに窒息死させられそうになったけどな。まぁ、何とか勝てて良かったよ」
「またそんな謙遜を……。それにしても、凡太はまさか──」
そこで言葉を切るギルバードに、「ん?なんだ?」と視線で続きを促したが、フルフルと首を振ると、「……いえ、なんでもありませんよ……」と、フッと微笑む。
そして、何かを譲るようにそっと横に移動すると、その後ろには、舞ちゃんが立っていた。
「凡太さん……」
「舞ちゃん」
引き剥がしたミケをひょいとギルバードに投げつける。「ミケは物じゃないにゃん!」という抗議の声は、当たり前のように無視だ。
俺の正面に立つ舞ちゃんの目は濡れ、赤くなっていた。だいぶ心配を掛けちゃったみたいだな。
「ゴメンね、心配掛けちゃって」
「そんなこと有りません。私は凡太さんが無事で居てくれて、それだけで……」
そう言うと、前に組んでいた手をぎゅっと強く握り締め、俯いてしまった。女の子を泣かすな!と両親に厳しく育てられてきた俺は、どうして良いか分からずに、よせばいいのにその頭に、ポンッと優しく手を乗せて、
「良かったよ、舞ちゃんを守れて、さ」
と、また、似合わない事をしてしまった。「はわわ!?」と、やっちまったと後悔しかけた俺に、だけど舞ちゃんは「……有難う、御座います」と、泣き笑いの顔を見せてくれた。その顔を見れただけで、似合わない事をしてしまった小っ恥ずかしさはどこかに消え去っていた。
「……それにしても、あのキメラは一体?」
それでも、その雰囲気に気恥ずかしくなった俺は、耐えられないとばかりに話を変える。ミケやギルバード、それに俺が相手にした魔物の旗たちは、確かに強かったけど、あのキメラはそれらを凌駕していた。アイツらもエルーテルから来たとすると、旗の魔物やあのキメラの様な、アホみたいな強さの魔物が普通に居るって事か? もしそうなら、エルーテルに住む人たちにとって、かなり厳しい世界だと言える。
「こほん」と、俺と舞ちゃんをどこか生暖かい目で見ていたギルバードが、真剣な面持ちになると、
「それなんですが、あのキメラは通常固体ではありません」
「どういう事だ?」
「あのキメラはバカみたいに強かったってことにゃん!」
俺に物扱いされた事を怒っているのか、カリカリとした口調でミケが言う。
「バカみたいに強いって。普通の中にたまたま強い固体が居て、そいつがこの世界に現れたとかじゃ無いのか?」
どんな生き物にだって、個体差ってのはある。キメラの中でも特に強い──言うならば、旗みたいなヤツがあのキメラだったんじゃないのかと問うと、
「それは有り得ません。確かにキメラは恐るべき魔物ではありますが、あれほど巨大な魔力を持ち合わせている者など、存在しません」
俺の言葉を否定する舞ちゃん。舞ちゃんまで否定するって事は、俺と戦ったキメラは、どうやら普通では無いらしい。
「じゃあ一体アイツは何だったんだ?」
「解りません……」
あの世界を統べる女神である、エルニア様の眷属の舞ちゃんが解らないというのなら、本当にあのキメラはイレギュラーな存在という事だ。それがなぜ、この世界に居るのか。
「ならば飼い主に聞くしかないか」、と俺はバルコニーを睨むと、《うぐぐっ! 結局負けちまったじゃねーか!!》と、マイク越しに悔しがる土手以外、誰も居なかった。土手の隣に当たり前の様に居た、あの白髪の老人の姿が見えない。
「あれ? 土手しか居ないが、あの白髪の老人はどこに行ったんだろう?」
きょろきょろと闘技場や他の観客席を探すが、あの特徴的な容姿と存在感はどこにも無かった。
すると、服の袖がクイと引かれる。見ると、引っ張っていたのは舞ちゃんだ。
「ん? 何だい、舞ちゃん?」
「凡太さんに、言っておきたい事が有ります……」
そう言う舞ちゃんの顔色は青く、どこか怯えている雰囲気さえあった。いつもの雰囲気では無い様子に、ただ固まっていると、意を決したのか顔をあげ、
「あの者は……、魔王の幹部、です」
「魔王の幹部? 魔王、って、あの……?」
舞ちゃんが言う魔王という名。それは、あのエルニア様の部屋(?)で聞かされた、エルーテルを混沌とさせている存在だ。そんな名が、なぜここで舞ちゃんの口から出るのか?
「まさか……だってここはエルーテルじゃないんだよ?」
「私にも分かりません……。ですが、見間違いではありません。あれは間違いなく、魔王軍の幹部、“智爵のクロ”です!」
「智爵のクロ……」
俺の袖を握り締め、必死に伝えてくる舞ちゃん。舞ちゃんがウソを吐くとは思えないし、舞ちゃんがここまで怯えるなんて、ただ事ではない。
「なんでそんなヤツがこの世界に?」
「解りません。ですが、魔王の幹部の中で智爵のクロは、その名の通り策略に長けた幹部。おそらくは何かしらの方法で、この世界に訪れたのだと思います。実際どのような方法なのかは解りませんが……」
「済みません」と頭を下げる舞ちゃんに、「気にしないで」と首を振ると、
「やっぱり、詳しい事はアイツに聞くしかないな」
俺は土手の居るバルコニーを見上げると、ジャンプする。バルコニーまでは10メートルほどの高さがありそうだったけど、今の俺の身体能力ならば、余裕だった。
シュタッとバルコニーに到着すると、そこには、「ムキー!!」と地団駄を踏む土手の姿があった。
「クソ!! 結局俺は平に勝てないのかよ!?」と、納得していないのか、依然として俺に対して毒づいている土手に、「よぉ」と声を搔けると、ビクリと体を大きく震わす。
「土手、お前にはいろいろと聞きたい事がある。知っている事を全て話してもらおうか」
「なんで、俺がお前に話してやらないといけないんだ!?」
「ん? 別に良いんだよ、話さなくても?」
と言いつつ、指をぽきぽき鳴らしながら安い脅迫をすると、「ひぃ!?」と後ずさる。さっきまでの横柄な態度はどこにいった?
「言う! 何でも言うから、殴らないでくれぇ!」
頭を抱えて懇願する土手。これじゃあどっちが悪者かわかったもんじゃない。お前はさっきまで、どれだけの人間を傷つけたと思ってるんだ!と怒鳴りたくなったが、そんな事をしても、何の解決にもならないと、踏みとどまる。
「──分かった。何もしないからちゃんと答えてくれ。いいな?」
「……あぁ、分かった」
頭を抱える事はしなくなったけれど、まだ少し怯えを見せる土手にそっと近付いてしゃがみ込む。
「ここに居る人達、いや、この国の人達をどうしたんだ? なぜ、これほどまでにおかしくなった?」
「おかしい? どこがおかしいんだ。全然おかしく無いだろ?」
「いや、どう見てもおかしいだろ!? 今までの常識が通じない所か、一介の高校生であるお前を教祖と呼んで、崇拝してたんだぞ?」
思い出すのは、あのクリスマス前の商店街で見た、悪趣味とも言えるサンタのコスチューム。ただの高校生である土手が、こんな大規模な会場で教祖と呼ばれ、その言動や行動に反応する人達。これらはどう考えても、常識から逸脱している。
すると土手は、怯えていたその表情を変え、顔を少し赤らめると不満を口にする。
「愚民共が俺様のことを崇拝して何が悪い! 俺からしてみれば、依然の世界の方がよっぽど非常識だ! 何故、優秀な俺が、俺よりも劣る奴らの言う事を聞かなきゃいけない!? 虐げられなければいけない!? 間違っているだろう、そんなの! だから、俺が変えてやったんだ! 優秀な俺様に従えば良い世界にな!」
「何だ、それ?! 大体、世界を作り替えるって、そんな力、お前はどうやって手に入れたって言うんだ!?」
「……言ったろ、平。俺はエルニアを知っている、と。俺はあそこに行ったんだよ」
俺の質問を受けて、土手は不敵な笑みを浮かべた。
(そういえば、俺の次に召喚された勇者はコイツだったな……)
思えば去年の秋の終わり位だった。エルニア様の統べる世界、エルーテルを救う為に俺が召喚ばれたのは。そして、俺は自分の事情によってそれを断った。その時、エルニア様はこう言ったのだ。──半年位瞑想して神威を溜めれば、次の勇者召喚が出来る──と。
その言葉通り、今年の春先に連絡をして来たエルニア様は俺に、《……平さん、安心してください。次の勇者召喚、間に合いそうですよ……》と教えてくれた。その時、勇者として召喚されたのが、土手なのだろう。
「……それはいつだ?」
「今年の春休みの後、だ」
(やっぱり……)
「そうか。お前もエルニア様に会ったんだな。でも、エルニア様に会っただけじゃあ、そんな力は得られないはずだ! それに勇者として召喚されたなら、何故、エルーテルを救いに行かない!?」
自分の事を棚に上げて、土手を責めた。自分勝手というのは充分に解ってはいる。だが、それでも土手を責めらずにはいられなかった。俺はまだ忘れる事が出来なかったのだ。エルフのお姫様がオークに殺された、あの場面を──。
こんな事をしでかす様な力があるのなら、どうしてあの世界に住む人達と助けに行かないのか!? 俺の見立てでは、土手はファンタジーが大好きなはずだ。ならば、あの世界を救うという勇者になれるというのは、例えどれほど願ったとしても叶う事は無い、まさに夢の様な話の筈なんだ。それなのに、どうして!?
俺の言葉に、「フン!」と悪態を吐くと、胡坐をかく土手。
「俺なんかがあの世界に行った所で、たかが知れてるさ。それに、あのバカ女神、つまんねぇチート能力しか寄こしやしねぇ。だから断わったんだよ!」
「じゃあ、そのチート能力とやらを利用して、こんな事を──」
「違う」
否定の言葉を口にする土手。その口が、不敵に歪むと、信じられない言葉を吐き出した。
「──取引したんだよ、あの女神とな──」