第八十八話 “風華雪月”
「……アイテム、ボックス……!」
必死に口を動かし、力ある言葉を口にすると、俺の目の前に異次元空間が現れる。だが、痺れて手を動かせない俺にとって、その目と鼻の先にあるアイテムボックスですら届かない。
(くっ、ちょっと遠いな……)
少しずつ感覚は戻ってきてはいるけれど、動かすにはまだ時間が掛かりそうだった。それまでに、キメラや土手がアイテムボックスに気付いてしまうかも知れない。
(どうする?!)
焦っても仕方が無いと解ってはいるものの、やはり焦ってしまう。気付かれれば終わりなのだ。こちらを気にしていない今が、チャンスなのだ。魔力を全身へと回し、回復に努めるが、動ける様になるまで、あとどの位かかるか分からない。
そんな中、
《くくく、デカい口を叩いていたわりには、大した事ねぇな、平ぁ?》
大層ご機嫌な口ぶりで土手がマイク越しに話し出す。キメラに踏まれて動けないでいる俺を見て、楽しそうだ。
だが、今度は一転して、少し落ち込んだ声になると、
《会場の皆さん、皆さんの希望である平くんですが、今は私のペットによって倒れ伏してしまいました。このままでは、平くんは死んでしまう事でしょう。悲しいことですが……》
(ウソつけ! そんな事、一ミリも思ってもいねぇだろ!)
俺とキメラの試合を、ただ黙って見ていた観客たちに向けて、そう語り掛けると、誰かが唾を飲み込む音が聞こえるほど、静まり返った会場内。
《だけど、それを回避する方法が一つだけあります……。 それは──塚井さん! 君が俺の所に来ることだ!》
ここから土手を確認する事は出来ないが、おそらくは舞ちゃんに向けて指をビシッと差している姿が容易に想像出来た。お前は黒い帽子と喪服を身に着けた、いつも笑っている怪しいサラリーマンか!?
《さぁ、平が殺される前に、こっちに来るんだ、塚井さん!》
(行くな、舞ちゃん! きっと罠だ!)
大きな声が出せないせいでやきもきする。魔力を込めれば、大きな声が出せるかもと考え、口に魔力を回そうとした時、
「……私が、アナタの元に行けば、凡太さんも、鈴子も学校のみんなも、ここに居る人達も助かるんですよね?」
《ん~、そうきたか。……良いでしょう、善処しましょう》
「……ならば私は行きます」
「……やめるんだ、……舞ちゃん……」
掠れる声で、舞ちゃんに制止を求める。だが、その声は届いていなかった。それは良いとして、舞ちゃん。球也の事もその他大勢のひとまとめにしないで上げて、ね?
《うるさいぞ、平。せっかく塚井さんが、お前や会場に居る皆さんの為に決心したというのに、邪魔をするな!》
『GWRUU!』
「うぐっ!?」
黙ってろと言わんばかりに、キメラが足に力を込める。痛みは感じないのだが、かなりの屈辱だ。
「止めてください! 今、行きますから……」
ふらふらとした足取りで実況席から出ると、土手の居るバルコニーへと歩き出す舞ちゃん。時折俺の方を見ては、意を決したかの様に唇を噛み締める。その表情に、俺の胸にどす黒い感情が、渦巻く。
(くそ! 土手の奴!)
《ふははっ! 良いぞ!これで、塚井さんは俺のもんだ! どうだ、平!? 悔しいか!?》
最早、勝利宣言とも取れる言葉を吐く土手が高らかに笑う。
《……どうやら、あの銀色の髪の女の子が、私達を助ける為、あの謎の少年の元へと向かう様です……》
実況のお姉さんも正気に戻ったのか、キメラを見て怯えているが、震える声で実況を続けていた。プロ魂を感じる。ただのセクシーアイドルじゃなかったんだな。
そのお姉さんの実況通り、一歩一歩、土手に近付いて行く舞ちゃん。──その頬に、一筋のナニかが光った……。俺のせいで、舞ちゃんを泣かせて……。その姿に、流石の観客たちも、「おい、あんな女の子だけに任せて良いのかよ?」「流石に可哀そうよ」と、狼狽えていた。中にはすすり泣く声も聞かれる。
そんな、お葬式の様な空気の中、一人だけ高笑をしていた土手が笑いを止めた。何だ?嫌な予感がする……? そして、その嫌な予感は的中する事になる。《ジジッ》とマイクにノイズが入った後、土手が少し鼻息を荒げて、
《須原さんも、仲間に入れてあげるよぉ? 僕はねぇ、塚井さんと出会う前は、君の事が一番好きだったんだよ。どぉだい? こっちに来れば命だけは助けてあげるよ?》
「この、野郎……。舞ちゃん、だけじゃなく、須原さん、まで」
「……遠慮します。私は命よりも大切なものを知っていますから。それに……」
そこで言葉を切る。俺から見えないから、須原さんがどんな顔をしているのか分からないから、その間が一体何を表しているのか分からない、分からないけれど、次に出た言葉で、それを理解した。
「それに平君はまだ負けていませんから……!」
「須原、さん……!」
嬉しくて涙が出そうになった。あの須原さんがそこまで俺の事を信用してくれていたなんて……!
《……ふん、まぁ良い。俺には塚井さん一人居てくれれば良いんだ。所詮はビッチ。俺には不釣合いだ》
(あの野郎!!)
須原さんの返答が面白くなかったのか、負け惜しを言う土手。俺が恋焦がれる須原さんに対して、なんてことを言うんだ。ここから見えた巨大モニターに、須原さんが映し出される。悔しそうに俯く須原さんを見るだけで、はらわたが煮えくり返りそうだとは、こういう事を言うんだろう。 思いを寄せる女の子に、そんな顔をさせたままでいいのか!?
(頼む! もう少し近くに来てくれぇ!)
それは願いというよりも祈りに近かった。その祈りが通じたかの様に、黒いアイテムボックスの空間がフヨフヨと動いたかと思うと、ゆっくりと俺の体に寄ってくる。そして、そのまま俺の右手へと覆い被さってきたのだ。
(偉いぞ、アイテムボックス!)
俺の元へと近づいて来てくれたアイテムボックスを褒めると、何故か空間がくすぐったそうに揺れる。その中に右手を突っ込むと、頭の中に、欲しいものを思い浮かべた。それは、ミケの試合の時、天狗の天さんが俺に渡してくれた物。多比良姫様から借り受けた、風呂敷包みの長い棒。
するとそれは、すぐに手に吸い付いてきた。まるで、俺に使われるのを待っていたかの様に──!
──来い!!
叫び、アイテムボックスからソレを引き抜く!
それは、真っ白な鞘に収められた一振りの刀。アイテムボックスに入れるときに包まれていた風呂敷は取れていた。多分だが、アイテムボックスの中で、分別がなされたのかもしれない。そんな便利な機能があるかは分からないけれど。
何とか動くようになった左手で柄をそっと握る。日本刀の抜き方ってあったよな?と何となくで聞いた事があったけど、全然覚えていない。まぁ、良いかと鞘から抜くと、少し抵抗が合った後、美しい刃文が浮かぶ刀身が現れる。
(……綺麗、だな……)
場違いな感想が純粋に心に浮かぶ。刃先から鍔に掛けて波の様な刃文が走り、刀の向きを変えれば、照明の光を反射する
刀には全然詳しくない俺。せいぜいが、幕末の剣客が、物理的に斬れない刀で以って、世直しをするマンガと、刀を口に咥えて戦う侍がメンバーに居る海賊マンガを読んだ事がある位だ。そんな俺でも解る。──これは相当良い刀だろう──と。
(確か、業物っていうんだっけ?)
恐るおそるといった感じで、その刀をマジマジと眺めると、刀の名前──所謂、銘を見つけた。
「銘は、──“風華雪月”──?」
その名を口にした瞬間、刀全体が輝きを帯びる! そして圧倒的な、言うならば刀気が迸った!!
「うお?! 急になんだよ!?」
『GRWAA!?』
刀から発せられる気に驚いた俺は、思わず声を上げてしまった。その声に驚いたキメラが、条件反射の様に、俺の頭を踏み潰そうとするが、
スッ──
鞘に納めようとした刀が俺の意思に反して動くと、俺を踏みつぶそうとしたキメラのその足に、一筋の刀キズが出来る!
『GARWA!?』
《なに?!》
短い悲鳴をあげ、俺から離れるキメラ。その行動に慌てる土手。
「……ふぅ、やっと、退いてくれた、か」
何故か言う事を聞かなかった刀を杖替わりにして、ヨロヨロと立ち上がる。まだ痺れは残っていたが、立っているだけなら何とか練りそうだし、これ位なら回復魔法を使うのに支障も無さそうだ。
「ったく、俺の頭は、足置きじゃねーぞ」
体に魔力を巡らせて体の痺れを取りながら、やっと普通に動く様になって来た手で、キメラに踏まれていた所を、埃でも払うかの様にはたく。
《平! 何をした!? どうやってキメラを退かしたんだ!?》
顔を上げると、ちょうど正面に貴賓室のバルコニーがあり、土手が俺に向けて指を差しながら、ぎゃあぎゃあと喚き散らす。ほんと、人を指差すのが好きな奴だ。
「あん? どうやってって、キメラが勝手に退いたんだよ」
《嘘を吐くな! あのキメラは俺の命令で動いているんだ! だから、俺の命令していない事はしないはずなんだ!》
「知らねぇよ、そんなの。もしかして、俺にビビったんじゃないか?」
フッと、小馬鹿にした様に笑うと、それが気に喰わなかった土手が、「ムキ―!!」と怒り出す。いや、そんな怒り方する奴、初めて見たぞ。そんな土手は、また俺の事を指差して、
《解ったぞ! それだな! その手に持っている刀のお陰だな!? そんな物、何時出したんだ!?》
「いつって言われてもなぁ。俺が教えると思うか?」
その返答に、《平のくせに生意気だ!》と地団駄を踏みながら、怒る土手。単純な奴である。
が、一通り怒った事で気が済んだのか、冷静さを取り戻すと、
《だが、お前は俺のキメラには勝てない! そうだろう》
「……あぁ、今のままでは、な」
《ふはは、負け惜しみを! いけ、キメラ! 今度はキッチリトドメを刺してこい!!》
『GWAAOO!!!』
土手の命令を受け、吼えるキメラ。土手が言った様に、俺の事を殺そうとしているのが判る。俺のマジックビジョンに映るキメラの魔力が、爆発的に増したからだ!
「そんな、約束が違います!」
「舞ちゃん」
キメラを迎え撃とうと身構えていると、土手の居るバルコニーへと行く途中だった舞ちゃんが、土手に向けて抗議する。が、
「約束は平の方が破ったんだ! だから、平が悪い! 良いから、塚井さんは俺の所へ来るんだ! 平が死んでもまだ、早井や河合が居るだろう!」
「そんな!?」
「良いよ、舞ちゃん」
「凡太さん!?」
舞ちゃんが慌てた声を出す。確かに、あれだけキメラに一方的にやられたヤツが言うんだから、正気を疑われても不思議じゃないよな。でも──、
「俺は大丈夫だから。きっと勝つ。俺を信じて。ね?」
「凡太、さん……」
出来るだけ、安心させる事が出来る笑みを作る。どんなのが良いのか分からなかったから、取り敢えず球也を参考にした。
「ゴメンね、舞ちゃん。辛い思いをさせちゃったね」
「そんな事はありません! 凡太さんを守る為なら、私──」
「いや、俺の方こそ、舞ちゃんを、球也や鈴子、須原さんを守らなきゃいけないのにさ。ほんと、情けない所を見せちゃったね」
「凡太さん……」
キメラから目を離さない様に、でも、意識は舞ちゃんに向けて、俺は心の中でしっかりを頭を下げた。面白くも無さそうに「ふん!」と鼻を鳴らす土手。でも、邪魔しないだけ偉いと思ってしまった。
「……あともう一つ、謝らなきゃならない事があるんだ。舞ちゃんにそこまで辛い思いをさせて、やっと決心が着いたんだ。……俺は、舞ちゃんにさえも隠してきたスキルが、力が有るんだ。内緒にしててゴメン」
「凡太さん?」
俺の独白を受けて、舞ちゃんが首を捻る。俺がさらに言葉を重ねようとした時、頭上からバカ笑いが響く。
《ふはは! こんな負け惜しみやハッタリ、聞いた事がねぇ! とうとう焼きが回ったな、平!》
「どうか、な?」
俺を睨み付けるキメラが、こちらを警戒して動けないでいる間に、“ご都合主義+3”で習得した、数あるスキルの一つを発動させる!
すると、目の前の何も無い空間に、ステータス画面と同じ様に、インフォメーションウインドが開く。そこには、【レベルを元に戻しますか?】と、日本語で書かれていた。
「あぁ、戻すよ」と口にした途端、俺のユラユラと俺の体を覆っていた魔力が、徐々にその大きさを、高さを変える!
「凡太、さん!」
「大丈夫だから、下がって──ミケやギルバードの所に居てよ」
《おい、平! 何を勝手に!?》
土手が文句を途中で止める。そして、
《……おい、平……。ソイツは、なんだ……?》
得意の指差しで俺を差し、声を震わす。おそらく、土手には見えているのだろう。俺の背後に揺らめく、魔力の巨大な揺らめきが!
俺は首をゴキリと鳴らすと、完全に痺れの取れた体をグッと伸ばす。そして、持っていた刀をキメラに突き付けた!
「さて、んじゃ、終わらせる、か!」