第八十五話 私の大願
★ ???視点 ★
「問題無いんだな?」
目の前で横柄な態度を取る、教主と呼んでいる人族の男に、私は頷き返す。
それに満足したのか、人族の男は、「それは面白そうだ」と醜悪に笑うと、「お前も悪い奴だな」と言うなり、席を立つ。その後ろ姿に向けて、私は頭を下げる。
(ヤレヤレ。私が人族に、しかもこんな若造に対して頭を下げるなんて知れたら、あちらでは大騒ぎになるというのにな……)
やさぐれた気持ちになったが、コホンと軽く咳ついて、落ち着かせる。これであの御方との約束が果たせるのだ。そして──。
この後の事を考えながら、ふと闘技場を見ると、そこには、体を魔力で焼かれたオークの姿。生きてはいるがかなりの傷を負ったらしく、身動き一つしていない。いかん、私としたことが、忘れていた。
私は来ていた黒服の胸元に手を差し入れ、ある物を取り出す。それは、観劇や旅芸人が行う興行などで良く使われる細長いチケットが十枚、束になった物。これはあの御方から渡された、特別な魔道具だった。
私はフゥと軽く息を吐く。それだけで、私の中で魔力が膨らんでいく。その魔力に反応した魔道具が光を帯びる。それを確認し、あの御方から伝授された詠唱を唱えると、綴りになっていたチケットが一枚束から離れ、宙に浮かび火に包まれる。
すると、闘技中で倒れていたオークの旗が、フワリと宙に浮かび、光り輝く。次の瞬間には、フッとその姿が消えていた。
(ふぅ。使い慣れない魔道具には、いつも緊張します)
今度も上手く行った事を確認した私は、ホッと胸を撫で下ろした。これで、あの御方に怒られる心配は無くなった。
そんな私に、どこからか鋭い眼差しが向けられていた。確認するまでも無い、目の前に居る人族の男だ。
(また何か、気に要らない事でもあったのですかね?)と、気付かれない様に嘆息すると、案の定、不機嫌そうな声で、私を呼ぶ人族。
「おい、あのブタ野郎はどこへ消えた?」
「……あれほどの戦士をむざむざ死なすわけには参りませんので、あちらへと送りました」
「なんでそんな勝手な事をする!? それに、アイツは俺に恥を搔かせたんだぞ!? 死んで詫びるのが当たり前だろう!」
私に罵声を浴びせる人族の男。何も解っていないその口ぶりに、私は気付かない内に、本来の姿を現してしまいそうになる。だが同時に、指に嵌めていた魔道具の指輪が、「キィン」と悲し気な音を鳴らす。その音で、我に返った私は、無理やりに怒りを収めると、
「……あやつは、あちらでも貴重な戦力でございます。ならばこそ、私の独断であやつを死なすわけにもいかないのです。分かってください、教主様」
未だに漏れ出ている自分の魔力を察しながら、目の前の人族にそう伝えると、それに納得したのか、それとも時間の無駄だとでも思ったのか、「フンッ」と、鼻を鳴らした人族の男は、体の向きを変えると、オークに祈りを捧げようなどと観客に向けて語り掛ける。
その気持ちの切り替えの早さに、感心と呆れの混ざった視線を投げ掛けていると、次の瞬間には、その観客たちを焚きつけ始めた。
(ほんとに、良くやる……)
この後に計画している作戦の為とはいえ、この人族の男の行動力に舌を巻きながら、煽られ、気が立ち始めた観客たちに目をやると、実況席と呼ばれる場所に座る、一人の娘が目に入った。
その娘は、この世界の人間にしては稀な、綺麗な銀髪をしていた。いや、髪だけでは無い。その瞳の色も、髪の色と同じ銀色をしている。その特徴的な容姿に、私はある一つの可能性について考えた。
(……しかし、この男が執着する先程の娘、もしや神の使いではあるまいな?)
あちらの世界で、事ある毎に私達の邪魔をして来た、エルニアの使いと称される、戦乙女たち。その容姿も、あの娘の様な、銀髪銀眼だと聞く。
(……フッ、ありえんな……)
特徴的な銀の髪。だが、幾ら特徴が似てるといっても、あの世界の女神であるエルニアの使いが、この世界にいるとは考えられんし、理由も無い。こちらの世界では、その髪色も目の色も自在に変えられるという。ならば、人族の気分転換の類であろう。カラコンというらしいが、目に異物を入れようなどと、良く考えつくものだ。
(まぁ、あの娘が神の使いだとしても、何ら恐れるに足らんしな)
この世界には魔力が殆どない。この空間には、私の魔法であちらから魔力を運んできているが、一歩外へ出れば、塵芥ほども無い。そんな世界では、神の使いと言えども、人族と変わらぬ位しか力を発揮出来ないだろう。
(まぁ、良い。その時はその時だ)
視線を戻すと、人族の男が今もまだ、観客たちに向けて演説めいた事を言っていた。己の力で、かの者たちを洗脳したというのに、回りくどい事をするものだ。
「では、教主様。私は準備をして参ります」
熱弁を振るう人族の男にそう伝えると、背後にある貴賓室と呼ばれる部屋へと入る。そしてそのまま部屋を後にした。
これから行われる催し、そのゲストとして使用する、私の可愛い作品の様子を窺う為に……。
☆
作品の様子を見終わり、人族の男が待つ貴賓室へと向かう私の耳に、大歓声が聞こえて来た。
(フム、終わったのか)
顎を一つ撫で上げる。今聞こえて来た歓声は恐らく、シャドーと相手方に居た人族の少年の試合に、決着が付いた事を示しているのだろう。
私としては、相手側に居た、あの人族の少年に勝って欲しかった。あのシャドーもそれなりに強く、こちらとしてはあまり失いたくない戦力ではあるが、あのオークの旗とは違い、替えの利かない存在という訳では無い。ならば、せっかく用意した私の作品が無駄にならない様に、あの人族の少年に勝っていて欲しかった。
(さて、どちらが勝ったのだろうな?)
貴賓室へと着いた私はその足でバルコニーへと出る。そして、眼下に目をやるとそこには、私の期待通りに、例の人族の少年が立っていた。どうやら、私が思っていた以上に、相手の人族の少年は強いらしい。
(それで良い。でなければ、私の作品を試す甲斐も無いというものだ)
フッと、薄笑いを浮かべた。この世界にまさか私の作品の力を確認出来る存在が居た事を、純粋に喜んだ。
すると、こちらを見る事無く、教主と呼んでいる人族の男が、闘技場に倒れ込んでいるシャドーを指差した。
「……目障りだ」
「……畏まりました」
さきほどのオークの件で揉めたばかりである。ここは致し方無いな。
(それに、私も敗者というヤツは嫌いですしね)
フッと、口に出さずに笑うと、魔法を行使する。すると、倒れ、意識を失っていたシャドーが、その体をビクンっと揺らした後、次の瞬間には、『ギャアァァア!』と、あの金属声で絶叫を上げる。私の魔法で生み出した青黒い炎が、その体を覆っていた。その様子に満足したのか、人族の男は口を醜悪に歪ませて嗤うと、無駄に豪華な椅子に座りふんぞり返る。
「なっ!?」
突然の異変に、驚く眼下の人族の少年たち。そして、青黒い炎から逃れようとしているのか、シャドーがジタバタと暴れていたが、『ギャア! 』と上げていた絶叫が徐々に弱くなると、そのまま聞こえなくなった。
(ふむ、死んだか)
その姿に満足感は無く、ただただ虚しさだけを感じながら、シャドーの体から上がるブスブスとした煙を眺める。
一連の行為で、顔を怒りで染めた人族の少年が、教主を非難した。
「なんでだ!? なぜ、アイツを殺した!?」
「何をそんなに興奮しているんだよ、平ぁ?」
「うるせぇ! なんで殺したのかって聞いているんだ! 答えろ!」
「あぁ、なんでかって? そりゃあ、負けたからだよ。お前にな!」
ニタニタと笑う教主と、怒る人族の少年のやり取り。それらをただぼんやりと聞いていた。正直、人族の価値観というヤツに興味は全く無いのだ。ただ、あの御方から命令され、ここに居るに過ぎない。だから、この二人にどんな因縁があろうが、どうでも良い。
(今はただ、あの人族の少年が、私の作品の強さを証明してくれればそれで良いのだ)
そう、それが証明されれば、私の大願にも目途が付くというものである。
そうして、半ばボンヤリと二人のやり取りを聞き流していると、やっと私の聞きたかった言葉が出て来た。
「なに、簡単だ。オレのペットと遊んでくれればいい。ただ、それだけの事さ」
「ペット……?」
「あぁ。可愛いやつでな。だが、俺も忙しい身だから、たまにしか遊んでやれないんだよ。そこで、俺の代わりに平が遊んでくれると助かるんだよ」
(何がペットだ。私の可愛い作品を、そんな愛玩動物と一緒にするな!)
思わず吐き出し掛けた言葉を無理やり飲み込む。今ここでそれを言った所で、教主を無駄に怒らせるだけだろう。
モヤモヤとした気持ちの整理をつけている間に、当人同士の話は終わったらしく、教主の人族が、私に向かって、仰々しく頷いた。
(やれやれ、やっとか……)
呆れながら、服のポケットに入っていた“ムセン”と呼ばれる、この世界の魔道具を取り出すと、横にあるボタンを押す。そして、「はい」と返事を返してきた通信相手に、私の作品を用意する様命じると、通信を切った。
すると程なくして、獣人族の戦士やオーガが出て来たあの大きな鉄扉から、「ドゴォオン!」と地鳴りの様な大きな音が聞こえてくる。
(おぉ! 調子が良さそうでは無いか!)
先程様子を見に行った際、私自らが特別に調合したクスリを注入しておいたのが効いた様だ。
相も変わらず、鉄の大扉から聞こえてくる地鳴りの様な衝突音。その感覚が徐々に短いものになって行く。今にもあの扉を破壊して飛び出して来そうだ。
それは避けたいと考えのか、それとも向こうの準備が出来たのか分からないが、その鉄の大扉が「ズズズッ!」と重い音を立てて、少しずつ開いてきた。
(さて、どんな戦い方を見せてくれるかな!)
私の数ある作品の中でもかなりの傑作である作品が、どれほどの強さを発揮するのか。それいかんによって、私の大願を成就する為の道具として計算出来るかどうかかが掛かっている。これから行われる試合という名の実験は、いわば試金石という訳だ。
「──あ、ほら! もうそろそろ大扉が開く──」
その実験台となる少年が、鉄の大扉を指差す。願わくば、あの少年は出来るだけ長い時間生きている様にと、目を瞑り、我々の神に祈る。
瞬間、鉄の大扉を弾き飛ばされ、直後に爆発音が鳴り響く。その後に聞こえた、狂った様な怒号と悲鳴! 吹き飛んだ扉が、観客席へと吹っ飛んで行き、そこに居た観客たちを肉の塊へと変えたのだ。
(おぉ! 良いではないか!)
だが、私の興味はそっちではない。大扉を破壊して現れた作品が放つ、圧倒的な存在感と魔力に、私の体は打ち震えた。
(さぁ、見せておくれ! 私の最高傑作よ!)
実験台となる人族の少年を睨む作品に、私は期待と興奮、そして幾ばくかの愛情を込め、作品名を口にした。
──キメラ、と──