第八十三話 約束は約束だ
実況のお姉さんが試合終了を宣言すると、「ふざけるなぁ!」「またインチキだろ!」などの野次やブーイングが巻き起こる。まぁ、自分達の応援するチームが三連敗もすれば、そうなるわな。
っていうか、実況のお姉さんが試合終了を宣言してたけど、審判の人が言うんじゃないの?そういうの。てか、審判の人、もうすでに居ないし。あの人、試合の開始宣言しかしていないよね?
やれやれと肩をすくめた俺は、(まぁ、礼儀的に、ね)と、目の前に倒れているシャドーに向かって一礼すると、ミケの居る闘技場脇の応援席へと向かって行く。そんな俺に対して、罵声に罵倒、罵詈雑言が飛んで来るが、馬耳東風を決め込んでスタスタと歩いて行くと、「凡太ぁ!」と、ミケがこちらへと走ってきた。
「やっぱり凡太は強いにゃんね!」
「いや、アイツが弱いだけだよ」
ポンっと、ミケの頭に手を乗せてると、後ろを振り返る。そこには、倒れているシャドーの姿。
シャドーに殺された獣人達や、ゴブリンの様に、体が消えていっていない所を見ると、死んではいないみたいでホッと胸を撫で下ろす。
「そんな事無いにゃ! あのシャドーも旗の魔物にゃ! 油断出来る相手じゃないにゃんよ!」
「ふーん、そうなのか……。真っ黒だから、分からなかったよ」
「よく見るにゃ。全体的に少し紫色をしているにゃ」
「うーん……。言われてみれば、なんとなく……?」
闘技場の端でミケと話をしていると、「凡太」と、声が掛けられる。ギルバードだ。
「いやはや、やっぱり凡太は強いですねぇ。それだけ強いと、やっぱり自分の力を試したくて、戦いたくなってしまったのですか?」
「んなわけ無いだろ。俺は今でも戦いたくは無いよ」
本来ならば、戦いたくは無かった。学校のみんなには、善行進化で強くなった俺は見せたくなかったから。でも、しょうがないよな、戦わなければ、学校の皆に危害が及んでいたかもしれないんだしさ。
再びシャドーへと視線を向ける。ミケもギルバードも俺の事を強いと言うが、ただ単にあのシャドーが弱かっただけだと思う。これが、ミケが相手したゴブリンや、ギルバードが相手したオークなら、こうはならなかっただろうし。
「まぁ、そういう事にしておきますよ」
やれやれと首を振るギルバードに、「嘘じゃないんだけどな」と、言い返そうとした時、シャドーの体に異変が起きる!
体をビクンっと揺らすシャドー。次の瞬間には、『ギャアァァア!』と、あの金属声で絶叫を上げる! 見ると、その体を青黒い炎が覆っていた。
「なっ!?」
突然の異変に、驚く俺たち。青黒い炎から逃れようとしているのか、シャドーがジタバタと暴れていたが、『ギャア! 』と上げていた絶叫が徐々に弱くなると、そのまま聞こえなくなった。
その後も暫く燃えていた青黒い炎はいつしか消え去り、後にはブスブスとした煙と、焦げ据えた臭いが鼻を突く。その異様な光景に、俺へとブーイングを飛ばしていた観客たちも静まり返る。
(こんな事をする奴は、アイツしか居ないっ!)
ガバッと顔を上げる!その先は観客席の一角にある、貴賓室だ!
そこには、豪華なイスに座ってニタニタと笑っている土手と、こちらに冷たい視線を投げ掛ける、白髪の老人。
「なんでだ!? なぜ、アイツを殺した!?」
「何をそんなに興奮しているんだよ、平ぁ?」
「うるせぇ! なんで殺したのかって聞いているんだ! 答えろ!」
「あぁ、なんでかって? そりゃあ、負けたからだよ。お前にな!」
相変わらずニタニタと笑う土手。その態度に違和感を覚えた。ゴブリンとオークが負けた時は、あれほど激しく怒ったというのに、今回はヘラヘラとしているのだ。シャドーが負け、自分達が負けが決定したというのに、だ。
「……お前、アイツが負けたのに悔しくないのか? お前の負けが決定したんだぞ?」
「ん? あぁ、悔しいさ。悔しくて涙が出そうだ」
口ではそう言っているものの、相変わらずニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべている土手。これは絶対に何かあるな……。
「とてもそうは見えないがな。……まぁ、良い。とにかく、この下らないイベントとやらも終わりだ。俺達の勝ちでな。だから約束通り、学校の皆を解放しろ!」
バルコニーに居る土手を指差し、約束を守る様に迫る。負けたくせして、不気味に笑っている土手が、約束通り学校の皆を解放してくれるか分からないが、約束は約束だ。土手が約束を破棄しようっていうのなら、こっちにだって考えがある!
だが、そんな心配は杞憂に終わる。土手は手の平をヒラヒラと振って、
「あぁ、約束だからな。解放してやるさ」
「……本当、か?」
「意外そうな顔をしているな、平。俺は約束を守る男だぞ?」
この問答すら楽しそうな土手。それを見て、土手が確実に何かを企んでいると、確信した。
だが、それを口にする事はしない。今は学校の皆を解放してもらう方が先決だし、エルニア様の件については、学校の皆の解放を確認してから、改めて聞けば良いし。
(……藪をつついて蛇を出す事も無いだろうからな)
「そうか。約束を守ってくれて嬉しいよ。……じゃあ、早速皆を──」
「それよりも平、ここにいる人たちも解放してほしくはないか?」
と、会場内をグルリと見渡して、唐突に話を切り出した土手。土手の言っている人達とはつまり、この会場に居る、恐らくは土手に洗脳されている人達の事だった。
「……何を言っているのか分からないな。俺は学校の皆さえ解放してくれればそれで良いんだ。だから、別にここに居る人達に関しては、割とどうでも良いんだ」
何かを企んでいるとは思ったので、丁重に断る。土手の真意が分からないが警戒するに越した事は無いし。だが、土手は引かない。
「良いのか、そんな事を言って?ここにはお前の知っている人達が居るかも知れないぞ?」
土手のその言葉で、背中を冷たい何かが流れる。
(まさか、父さんと母さん? いや、兄ちゃん達か?)
観客席を見渡すが、あまりにも広くて見つける事は困難だ。──だから、居ても不思議じゃなかったし、逆に居ない可能性だってある。土手の雰囲気だけ見ると、どちらであっても不思議では無かった。
「ハッタリ、だな?」
「どうかな? 平がそう思うのなら、それでも良いんじゃ無いか?」
その顔に浮かべた余裕を、崩さない土手。その様子に、嘘やハッタリを言っているとは思えなくなってくる。
(くそっ!学校の皆だけじゃなくて、家族まで人質ってわけかよっ!!)
「……どうしろっていうんだ?」
知らず、噛み締めていた奥歯がギリリと鳴る。最大限の侮辱を込めて、土手を睨み付ける。だが、その視線すらも、土手には心地の良い風だったのか、「フフッ」と勝気に微笑むと、
「なに、簡単だ。オレのペットと遊んでくれればいい。ただ、それだけの事さ」
「ペット……?」
「あぁ。可愛いやつでな。だが、俺も忙しい身だから、たまにしか遊んでやれないんだよ。そこで、俺の代わりに平が遊んでくれると助かるんだよ」
そう言って、土手は悲し気に俯く。その様子を見るに、嘘を言っている様には見えなかった。これで、嘘だったとしたら、土手はかなりの役者だ。
「俺だけだな? ミケやギルバードは関係無いな?」
「あぁ。むしろ、獣人や亜人種は要らん」
「……お前のペットと遊ぶ。それだけ、か?」
「あぁ、それだけだ。……引き受けてくれるな?」
「……あぁ」
「……決まり、だ」
俺の返事を聞いて、これまでに無い程の醜悪な笑みを浮かべる土手。そして、隣に立つ白髪の老人に頷くと、その老人は手に持った機器で何やら指示を送る。
すると、獣人族の戦士やオーガが出て来たあの大きな鉄扉から、「ドゴォオン!」と地鳴りの様な大きな音が聞こえてくる。
(こりゃ、間違いなく犬猫の類じゃないな……)
土手のあの厭らしい顔を見る限り、土手の言うペットが、そんな一般的な動物では無いと解ってはいたけれど。
「ゾウさんかな?それともキリンさんかな?」
今も聞こえてくる、何かが暴れている音。その大きさから、この世界で一番大きい動物であるゾウか、一番背の高いキリンである可能性が高そうだ。だけど、どっちとも触れ合った事は無い。さすがに動物園のふれあい広場には、ゾウもキリンも居なかったしな。
(困ったな。どうやって遊べば良いんだ?)
顎に手を当てて、唸る。まぁ、あの土手の事だから、ゾウとキリンの二頭同時って事もあるかもしれない。しかも、聞こえてくる音からして、かなりの暴れん坊の様だ。
だが、流石にさっきまで戦っていた旗の魔物に比べれば、可愛いもんだろう。こんな簡単な事で、会場の皆を解放してくれるなんて、もしかすると、土手は俺の強さに恐れを成したのかもしれないな。
(ストレスが溜まっている様なら、適当に力比べでもして、遊んでやるかな)
自分の事ながら、ほんとに学校の皆に内緒にしたいのか?と突っ込みたくなる。どこの世界に、ゾウやキリンと力比べが出来る高校生が居るのかって話だ。そんな事をすれば、俺の力に気付いていない学校の生徒にも、流石にバレるだろう。……もうバレているかも知れないけれど。
そんな事を考えている内に、向こうの準備が出来たのか、あの鉄の大扉が「ズズズッ!」と重い音を立てて、少しずつ開いてきた。
(さぁて、どんな動物が出てくるのかな?)
俺は、シャドーと戦う前にはしなかった準備運動をしながら、今か今かとその大扉が開くのを待っていると、隣に立っていたミケが、急にペタンと尻餅を付いた。
「ん?」と、ミケに目をやると、尻尾を足の間に挟み込んでは、顔を青くさせてガタガタと震えている。その横に立つギルバードも、尻餅は付かないまでも、ミケと同じ様に顔が真っ青だ。
「ん?どうした、二人とも?」
流石に様子がおかしいので、二人に声を掛ける。すると、ギギギッと壊れたオモチャの様に、こちらに顔を向けたミケが、
「ぼ、凡太……。逃げる、にゃぁ……」
「え、何だって?」
ミケの声が小さかったので、耳に手を当てると、今度はミケの向こう側に立っているギルバードが、こちらを見ずに、
「凡太……。降参、しましょう……」
「ギルバードも何言ってんだよ。何だよ、降参って」
「アレは……、戦っては、いけない、相手です……」
歯切れの悪い言い方──というよりもガタガタと鳴る歯のせいで聞き取り辛くなっているだけかも知れないけれど、ギルバードもミケと同じ様に、戦ってはいけないと警告する。
そんな二人の態度に、面白くない俺は腰に手を当て、
「んだよ、二人とも。戦う前から弱気になってさ」
「幾ら凡太が強くても、アレは無理にゃあ」
涙目のミケが、俺のズボンを引っ張りながら、首を振る。そんなミケの頭に優しく手を乗せると、
「大丈夫だって! これでも動物とは相性が良いんだ。だから、ゾウだってキリンだって何とかなるって!」
俺は胸をトンっと叩く。が、今にして思えば、この時もっと冷静に考えれば良かったと思う。
──あの旗の魔物と戦った二人が、ここまで怯える相手だという事を──
「──あ、ほら! もうそろそろ大扉が開く──」
俺が最後まで言い切る事無く、ソイツは扉を弾き飛ばした! その吹き飛んだ扉が、物凄い勢いで、俺達の横を掠め飛んで行くと、背後で爆発音が鳴る!遅れて聞こえた狂った様な怒号と悲鳴! 恐らくは、その吹き飛んだ扉が、観客席へと吹っ飛んで行ったのだろう。そして、そこに居た観客たちを巻き込んだのだ。
だが、俺はそちらへと目を向けられないでいた。それは、大扉を破壊して現れたソレが、圧倒的な存在感と敵意を放っていたからだ。
その体は、生物的におかしな生き物だった。確かに足は四本あるし、尻尾もある。そして頭も。
だが、その頭はそれぞれ違う動物の頭が三つもあるし、尻尾も別の動物だ。なんなら、その頭も頭じゃない所に付いている。
そんな奇想天外な動物なんてこの世界、何処探したって居ないだろう。なのに、俺はソイツを知っていた。名前も。
だが、俺がソイツの名前を言う前に、へたり込んで震えていたミケが、震える声でソイツの正体を口にした。
「キメラ……」と──