第八十二話 望むトコロダ!!
ドプンっと、大きな石を水面に落とした様な音がし、まるで水中にでも居る様な感覚に包まれた俺は、そっと目を開ける。
そこは、真っ暗な空間だった。上を見上げると、丸い穴が開いている。そこから一筋の光が入る為、完全な闇ではないが、それに近い程に暗かった。聞こえる音は、水の中に居る時の様にくぐもっている。だけど、呼吸は出来るという不思議な空間だった。
足に力を入れてみたが、踏ん張りが利かない。まるで無重力の空間に居るみたいだ。……経験した事無いけど……。これじゃあ、バットを思いっきり振る事は出来なさそうだ。
すると──
『怖いダロ!? 人族ってヤツハ暗いモノ、暗い場所ヲ本能的に恐れるのダロウ?! サァ、 キサマも怖じけろ! 震えオノノケ!!』
くぐもって聞こえてきた、あの独特の金属声。顔を横に振ると、すぐそばにシャドーの姿があった。次の瞬間、鞭の様にしならせた腕を俺に向けて振るってきた! そして、鞭の様な長い腕を俺の首へと巻き付けると、ギリギリと締め付ける!
『クハハ! ドウだ!? 闇に近いこの空間デ、首を絞めラレルノハ! まるで、深い海の底で藻掻き溺レルヨウダロウ!』
俺の首を締めながら、捲し立てるシャドーは、その鞭の様な手にさらに力を込める!
──でも、俺は全く動じなかった。それどころじゃないからだ。誰も居ない真っ暗な空間。ここには俺とシャドーしか居ない。という事は──
(ここじゃ、須原さんに良いところを見せられないじゃないか──!!)
この、影の世界とでもいうべき空間に引きずり込まれる前に、俺がしていた事はただのもぐら叩きだった。ならばと、ここでシャドーと戦っても、須原さんがそれを見る事は出来ない。ここでシャドーを倒しても、なんのアピールにもならないのだ!
(困った! 一体どうすれば……?! こいつに頼んで、ここから出してもらうか?! いや、しかし……)
『ドウシタ、黙りコンデ? 恐怖で口もきけなくナッタカ? だが、それもお前が悪イノダ。ワタシをヨワイと言ったコトを後悔してもモウ遅い──』
「ウルセェ! それどころじゃねぇんだよっ!!」
『ナニっ!? ガヒュッ!?』
俺の首を絞めつけていたシャドーの手。それを掴むとこちらにグイっと引き込む。突然の事に驚いたシャドーは、為す術無く俺に引き込まれると、俺の前に無防備に晒したその顔に、魔力を込めた拳がめり込む!
漏れ出た空気と共に、変な声を上げて吹き飛ぶシャドー。 そのままキリキリと回転しながら、何も無い空間を落ちて行った。
「うわっ! なんだ!?」
それを見届けていると、急速に上──上空にある小さな穴に向かって、まるで逆バンジーの様に引っ張り上げられる! いや、逆バンジーも、バンジー体験した事は無いんだけど……。
そして──、「ポンっ!」というマヌケな音と共に、吐き出される様にして、元居た闘技場へと飛び出た俺。どうやら無事に、影の空間から抜け出す事が出来たのだった。
「あらよ、っと」と、宙でクルクルと回転しながら、無事に着地を決める。うん、今の着地なら減点にはならないな。
後ろを見ると、『ウゥ……』と俺に殴られた頬を押さえているシャドー。どうやらアイツも一緒に影の空間から外に出て来たらしい。
「なんだ、初めからこうしておけば良かったよ」
『ぐっ!? キサマァ……』
まるで親の仇の様に俺を睨むシャドー。たしかアイツは、影に潜り込める事を、自分の能力と言っていた。という事は、俺にやられたショックと痛みで、影の空間を維持、行き来する能力を使う事が出来なくなったのかもしれない
《おぉ~っと! いきなり消えた二人が、どこからともなく現れましたぁ!》
実況のお姉さんの声が、会場内に響き渡る。さっきまでの俺ならば、五月蠅く感じたそのボリュームも、さっきまで無音な世界に居たせいか、全然嫌じゃないし、「凡太ぁ!」「凡ちゃ~ん!」と、二人の友人の声も、「凡太ぁ~、無事にゃんかぁ~!?」「さすが、凡太ですね。もう戻ってきましたか」と、二人の戦友の声も、とても心地が良かった。
(そして、声が聞こえるって事は……)
ドキドキしながら、そっと振り返る。そこは学校の皆が居る観客席の一画。そこには、胸に手を添えて、こちらを心配そうに見つめる黒髪の美少女が立っていた。誰だろう須原さんである。
その姿をチラリと確認した後、「グヌヌっ……」と呻きながらも立ち上がってくるシャドーへと、視線を戻す。俺に殴られたシャドーの顔は、その部分が抉れていた。
『オ、オノレェ! よくもワタシの顔ォ……』
「お? 魔力を通した攻撃なら、直接効くんじゃん。やっぱり、お前は弱いな」
『ナ、何を言う!』
「だって、お前みたいな実体の無い魔物、例えば、リッチやレイスとかだと、魔力を通しただけじゃ、まともにダメージを与えられないとかって読んだことあるからさ」
ファンタジーの世界ではお馴染みの魔物である、リッチやレイス。彼らがかなり強いという設定で書かれている小説やラノベは多い。それらは素手による攻撃はほとんど効かず、魔法や魔法剣など、特別な攻撃方法でしか、ダメージを与えられないのだ。
それにくらべ、目の前にいるシャドーは、魔力を籠めたとはいえ、パンチだけでダメージを与えられたのだ。しかもその攻撃で、顔の部分の濃い影が抉れて消えている。
『アイツ等ミタイなバケモノと、一緒にスルナ!』
俺の挑発めいた言葉に、思った以上に反応するシャドー。もしかすると、苦手意識みたいなでもあったのかもしれない。まぁ、そんなものはどうだって良いんだけど。俺としては、須原さんに良い所を見せながら勝てればいいのだ。シャドーのトラウマなんて気にしていられない。
「ま、良いや。んじゃ、続きをやろうか」
『望むトコロダ!!』
持っていたバットを構えると、シャドーは影に隠れることなく、その両腕を俺へと真っ直ぐ伸ばしてきた! 向かってくる両腕に対して、俺は咄嗟にバットを振る! しかし、それを読んでいたのか、シャドーは腕を左右に分かれさせてそれを避けると、『シネェ!』と、俺の首元目掛け、左右同時に襲ってきた!
だが、そのスピードはゴブリンはおろか、ギルバードの相手のオークよりも遅い。
「よっと」
左右から襲ってきたシャドーの腕をしゃがみ込んで躱すと、すぐ上をシャドーの腕が通り過ぎる。その時、しゃがみ込むのが少しだけ遅かったのか、頭のてっぺんの髪の毛が、少しだけ切り払われる!
「なっ!?」
『クククっ! ドウダ、ワタシの腕は! 先ほどト違って、ソノ首を斬り落としてクレル!』
見れば、さっきまでの腕とは違い、刃物の様に薄いシャドーの腕。触れるだけで、さっきの髪の毛の様に、切られてしまう事だろう。
『さぁ、ドウスル!? サッキの様にワタシの手を握る事ナゾ出来ンゾ?』
俺の考えでも読んだ様な事を口にして、嬉しそうにユラユラと両腕を揺らすシャドー。そんなシャドーを睨み付け、指差す。
「おい、テメェ! 俺の大事な髪の毛に、何て事をしてくれんだ!」
『──ナッ?!』
「お前が切ったせいで、少し変な髪形になっちまったんじゃねぇか! どうしてくれる!?」
『髪をホンノ少し切られた位デがたがたと! 次は首を斬ってヤルト言っているのダゾっ!?』
シャドーの言う様に、ほんの先を切られただけだからそんなに変わらないのだろうが、これでも思春期でお年頃なのだ! 坊主頭が解禁となった今、須原さんと仲良くなる為に、オシャレに目覚めた俺様の髪の毛を切った事は、万死に値する愚行であるっ!
『えぇい! 意味はワカランが、とにかく死ネェっ!』
タコの足の様に、ユラユラと揺らしていた腕を大きく広げたシャドーは、再びその腕を俺へと向けてくる。その鋭さは、さっきよりも速い! だが──!
「そう何度も同じ手を食らうかよ!」
『ナッ!?』
俺の首を斬り落とそうと、左右から伸びて来た腕。それが俺の首へと触れそうになった瞬間、俺は魔力を籠めていた足で地面を蹴り付け、バックステップする!刹那、俺の目の前を左右から伸びた腕が通り過ぎて行った。──ここだ!
「はぁ!!」
持っていたバットを、目の前でちょうどクロスしたシャドーの腕、その重なった所に向かって振り下ろした! すると、少し抵抗を感じた後、俺の振り下ろしたバットは「コォン!」とそのまま地面を叩く。次の瞬間──
『ギャアァぁぁあ!!』
シャドーの絶叫! 見ると、シャドーの伸びた腕は、俺のバットが叩いた部分から先が無くなっていた。
『イタイイタイイダイっ~!!』
伸ばしていた腕を引っ込めると、地面に倒れ込み、ジタバタともがき苦しむシャドー。その腕はもうほとんど無くなっている。さっきの攻撃で消し飛んだのだ!
《平選手の攻撃が、影選手の腕を直撃~!! 影選手、痛みで立てないかぁ!?》
実況のお姉さんがその様子を実況する。ってか、お姉さん。影選手って、シャドーの事?
痛みで暴れ回るシャドー。その横に移動した俺は、バットの先を突き付ける。
「その様子じゃ、もう戦えないだろ? 大人しく降参しろよ」
『お、オノレェ!!』
降参する事を進言すると、痛みで細めていた目で俺を睨むシャドー。
『フザケルナ!! 俺はまだヤレル! ヤレルんだぁ!』
「……そうか。なら……」
スッとバットを持ち上げ、そのまま振り上げる。 その様子を呆然と見ていたシャドー。
『……な、何をする気、だ?』
「このままじゃ、負けを認めてくれないんだろ? だったら、一つ賭けをしよう」
『か、賭け?』
「あぁ。今から俺がお前に一撃くれる。その一撃に耐えられたらお前の勝ち。耐えられなかったら、降参する。どうだ?」
俺の提案に、疑心暗鬼になったシャドーは、消えた腕の痛みも忘れて、俺に質問してくる。
『ド、ドウシテ?』
「流石に殺すのは嫌だからだよ。幾ら、勝ちたくてもな」
これは本音だ。幾ら相手が悪い魔物であったとしても、殺してしまうのは何か違うのだ。俺が平和な国で生まれ育ったからなのか、虫であろうと何であろうと、なるべく生き物は殺したくはない。リザードマンの様に、倒さなくっちゃいけない相手ならまだしも、この戦いのルールでは、相手が降参しても、勝ちとなる。ならば、相手を殺すのは避けたかった。
『……本当に、一発、ダケ?』
「あぁ、本当だ。本来なら、あの獣人族の一人一人と、舞ちゃんを襲った分を一発ずつ食らわしてやろうと思ったが、最初の一発でお前、消えそうだからな。だから、全部まとめて一発分にしてやる」
そうシャドーに伝えると、シャドーは少し考えた後、会場内の一画に視線を送る。そこは、貴賓室だった。その前にあるバルコニーでは、こちらを見る土手と白髪の老人の姿。
シャドーの視線を受けた白髪の老人が、少しだけ間を置くと──首肯した。
『……解った。コレに耐えたらワタシの勝ち。耐えられナカッタラ、貴様の勝ち、だな』
「あぁ、じゃあ、行くぞ。どこなら死なないんだ?」
『……腹、ダ』
「……分かった。じゃあ、行くぞ!!」
俺は振り被ったバットを、打席で立った時の様に構えると、シャドーの腹目掛けて思いっきり振った!
全体が影で出来ているシャドーの腹が、一体どこら辺かは分からないが、大体ここら辺かな?って所に吸い込まれたバットは、しかし、何か壁の様な物にぶち当たった! マジックビジョンで見ると、どうやらシャドーがその魔力の大半を腹に回して、俺のバットに抵抗していた。この壁はシャドーの魔力で出来た障壁みたいなものか!?
(だが、俺の魔力はこんなもんじゃ無いぜ!)
バットを握る手。その手からバットに魔力を通していくと、纏っていた淡い光が、その強さを増していく! と同時に、俺の魔力に答える様に、「キィイイイン!!」と震え、音を鳴らす!
ビキッ──
どこかで何かが割れた音が聞こえた。見れば、シャドーの魔力で張られた障壁に細かいヒビが入っている。
『クソゥ……』
──ピキキッ!──
『クソオ!』
ビキキッ!!──
『クソオオォ!!』
ヒビが立てる音が少しずつ大きくなるにつれ、障壁に入ったヒビも大きく広がっていく! それに合わせて、毒づくシャドー。そして──
──バキィィン!!!──
『──グフゥウッ!?』
障壁が割れ、シャドーの腹に吸い込まれるバット。その衝撃に、堪らず呻き声を上げると、黄色く光っていた目から力が失われ黒く染まり、前のめりに倒れ込む。そして、そのまま動かなくなってしまった。
「ふぅ、やれやれ。何とか勝ったかな?」
バットを地面に置くと、わざとらしく額の汗を拭う。別に汗を掻いてはいないんだけど、なんか気持ち的にやりたかったのだ。すると、そこに実況のお姉さんの声が飛んで来る。
《影選手、ダウ~~ン!! この勝負、平選手の勝ち~!!》
こうして、俺もなんとか無事に勝利を収める事が出来たのだった。