第七十八話 貴様が勝つ、と言ったか?
★ 凡太視線 ★
「ギルバードっ! もういい! もう良いから!」
青黒いオークに胸元を締め付けられたまま、持ち上げられているギルバード。その体はグッタリとしていて、まるで動かない。
「おいギルバード! おい! ──クソっ! あれじゃ、死んじまう! おい、ミケ!」
「分かってるにゃ、凡太!」
頷くミケ。すでにその体に巻かれていた包帯を全て外した様だ。だが、あのゴブリンとの戦いで傷付いた体がそんな簡単に治る訳も無く、包帯を外した傷からは赤い血が滲み溢れていた。
それでもミケは、まるで気にしないとばかりに、ギルバードを締め付けるオークを睨み付ける。体勢を低くして、今にも飛び出していきそうなミケの前に、手を翳した。
「……凡太?」
「アイツには俺が行く。 悪いがミケは、舞ちゃんと一緒に球也たちを守って欲しい」
「ミケもやれるにゃ!」
「そのケガじゃダメだ! それに、学校のみんなを気にしながらじゃ戦えない。だから守って欲しいんだ」
「凡太……」
「お前にしか頼めないんだ、ミケ。頼む……」
ミケの顔を正面から見据えた後、頭を下げる。正直、あのオークとの戦いならば、一人の方が楽だ。それに、俺がアイツと戦っている間に、土手が学校の皆に何をするのかは全く分からない。それに、これから先の事を考えるとそんな状態になるのは避けたい。本当なら、一刻も早く学校の皆をこの場から逃がしたいのだが、この会場の外に出たからといって、どこが安全な場所なのかも分からない、ならば、俺の目の届く所にいてくれた方がいい。そして、ミケと舞ちゃんに守って貰うのが一番だ。
すると、俺の肩にポンと手が乗って来た。ミケの手だ。俺が顔を上げると、ミケはニコパっと八重歯を見せ、
「しょうがない奴にゃ。その代わり、全部終わったら、今度こそ、フィッシュバーガーを奢るにゃんよ?」
「あぁ、解った! セットでも単品でも好きなだけ頼んでくれ! ……恩に着るぜ、ミケっ!」
世話になったギルバードの為に、自分も戦いたかったであろうミケ。だが、俺のお願いを聞いてくれた。満身創痍な自分の体調ももちろん考慮したのだろう。でも、それを差し引いても、俺に任せてくれたのだ。ならば、その責任を果たさなきゃならない!
「じゃあ頼んだぞ、ミケ。まずは舞ちゃんの所に行って、事情を放してくれ」
「分かったにゃ。凡太も気をつけるにゃんよ? 幾ら凡太がバカみたいに強くても、アイツは金銀のオーク。一筋縄ではいかない相手にゃ!」
「あぁ、解ってる……」
視線をミケから外すと、もう身動き一つ見せないギルバードを、さらに執拗に締め付けているオークを睨み付ける。先ほど集中していた魔力が、体から滲み出てくるのが判る。怒りで抑え切れなくなってきているらしい。そんな俺を見たミケが、舞ちゃんの居る実況席まで走って行くのを目の端で確認すると、
『おい! 今すぐにギルバードを放せ! お前の相手は俺がしてやるからよ!』
『……済まんが、それは出来ない相談だ。何せ、あの方から、コイツを殺せと言われているからな』
『ギルバードを殺したら、俺は戦わないぞ? それでも良いのか?』
『……それは、認められん。それだけの魔力を当てられて、戦わないという選択肢はないからな。それに、このエルフの戦士を殺したとしても、お前は俺と戦わなくてはならんだろうな。この闘技場に、一杯居るのだろう? お前の大事な人が』
締め付けるギルバードから外した視線を、学校の皆がいる、観客席の一画に向けるオーク。
『この、下衆野郎が』
『勘違いされては困る。俺は別にソイツ等を殺したい訳では無い。だが、解るだろう、小僧? アレがそうさせようとしている事が』
そう言って、その目線を観客席の一部、貴賓室の前のバルコニーに居る土手に向けた。
『だからオマエは俺を戦わなくてはならんのだ』
『この野郎……』
体内で集中させていた魔力を、意識してオークにぶつける。それを、心地良い風でも受けたかの様に『フゥ~』と、溜息の様なものを吐きながら目を細めたオークは、締め上げているギルバードへと顔を向け、口の両端に生えた牙を持ち上げる様に笑う。そのギルバードの腕や足はダランと下がり、全く動いていない。……もしかすると、すでに死んで──
『まぁ、いい。とりあえずはこのエルフの戦士を殺してからだ。なに、すぐに終わる。そしたら、遊んでやるぞ、小僧』
『そんな事、させる訳無いだろっ!』
オークを牽制しながら、闘技場に一歩踏み出す。このまま闘技場に上がれば、俺達の反則負けは確実、土手の喜ぶ顔が簡単に想像出来る。だが、そんなもんはどうでもいい! ギルバードを助ける! 今はそれだけだ!
魔力を高めていく。体全体に魔力を通していく。そして、もう一歩──この一歩を踏み出せば、もう後戻りは出来ない、そう覚悟を決めた俺の耳に、ボソッとした人の声が聞こえた。
「ん?」
「…………って、……くだ、さい……」
「──まさか!?」
『なにっ!?』
微かに聞こえたその声は、闘技場から聞こえた。そこには、オークとギルバードしか居ない。そして、その聞こえた声は明らかにギルバードの声だった。
オークもその声が聞こえた様で、余裕の笑みを浮かべていたその顔は、驚きへと変わっている。オークも、そして俺自身もギルバードが声を上げられる状態では無いと思っていたからだ。
その意外な出来事に締めていた力が緩んだのか、ギルバードがその一瞬の隙を突くような形で、オークの拘束から逃れると、綺麗なバク転をしてオークから距離を取る。
だが、やはり相当なダメージがあったのだろう、最後に着地をした後にしゃがみ込むと、「がはっ! ごほっ!」と、苦し気に咳き込む。
「ギルバードぉ!」
『お主、生きて!?』
ギルバードの無事を喜ぶ俺の声と、ギルバードが生きている事に狼狽えるオークの声が重なる。少し遠くでは「ギルさぁん!」と、ミケが涙声を上げていた。
「ギルバード! 良かった! 俺、もう死んじまったのかと……」
「えぇ。死んだと思ったのですがね。向こうに居た身内に追い返されちゃいましたよ」
少し咳き込みながらも、いつもの笑い顔を浮かべて冗談を言うギルバードに、「ギルバードぉ! 良かったよぉ! 俺、お前が死んだかと思って……」と、自分でも情けなくて、穴があったら入りたくなる程の情けない声を掛ける。
「そんな情けない声を上げないでくださいな、凡太」
「だってよぉ。お前が死んじまうと思って……、だから、お前の代わりに俺がソイツと戦って、もう一匹のヤツとも戦って……、それで、ここから抜け出そうと」
ミケと同じ様な涙声で、そうギルバードに話す俺。それを聞いて、ギルバードは困った顔を浮かべながら立ち上がると、
「あなたは戦いたくないのでしょう? しょうがないですね。ならば、私が勝って、この下らないゲームを終わらせましょう」
と、自分の戦う相手であるオークを見つめる。そこには、笑顔も困った顔でも無く、戦う事を決意した男の顔だった。
対するオークは、今のギルバードの言葉が聞こえたのだろう、怒っている様な厳しい顔をして、ギルバードを睨む。
『……貴様が勝つ、と言ったか?』
「はい、それが何か?」
『……そうか』
ギルバードにハッキリと言い切られたオークは、少しだけ俯くと、ジリッと右足を引いて体勢を低くする。そして──、
「俺も舐められたものだなっ!」
叫び、ギルバード目掛け突進してきた! その速度は俺の持っているオークの鈍重なイメージとは全く違い、尋常では無い程に速く、ギルバードとの間にあった距離を瞬く間に詰めていく。
『ウオォオッ!』
気合いを込めたタックルをギルバードにぶちかましていくオーク。対するギルバードの手には何も握られておらず、完全な丸腰だ。マジックアローを放つ為に持っていた弓はかなり遠くに落ちていて、拾いに行ける距離じゃない。
「ギルバード!」 俺は焦った! ギルバードはさっきまで、オークの姿を見てガタガタと震えていた。今は震えていないが、いつまた震え出すか分からない。もし今、再び震え出して動けなくなったとしたら、あの凶悪なまでのタックルをまともに食らってしまう! そしたら、次こそ死んでしまうだろう!
『吹き飛べぇ!』
肩を前に突き出しながら、まるで、アメフトのタックルの様にギルバードに突っ込んで行くオーク。あんなのをまともに食らったら、それこそダンプカーに撥ね飛ばされるのと同じ位の威力がありそうだ。
迫るオーク! だが、ギルバードは焦らない。オークの動きをギリギリまで見極めると、寸前で横っ飛びをしてオークを避けた。まるで、闘牛だ。……相手はブタだけど……。
ギルバードに躱されたオークは、すぐさま方向転換して再度ギルバードにタックルを噛ましていく。だが、ギルバードも同じ様に躱していく。良かった。何があったかは知らないけれど、元のギルバードに戻った様だ。
そんな事を何度か繰り返した後、オークは躱されたままの勢いで、そのままギルバードから距離を取る。そして──
『……ふぅ、意味無いな。これでは……』と、軽く溜息を吐いて体を起こすと、背中に手を回す。
再び前へと出された手には、金と銀の斧が握られていた。
『どういう訳かは知らんが、やる気にはなったようだな、エルフの戦士よ。ならば、これで応えなければなるまい』
会場の灯りを受けて、キラリと光る二本の斧。それは分厚い刃が両方に付いている、所謂ラブリュスと呼ばれる形をした両刃斧だ。ずっしりとした質感が、持ち主であるオークにしっくり合っている。
ラノベやゲームが好きな俺は、オークの持っているその斧に見入ってしまった。ゲームから飛び出したかの様なその存在感は、男の子なら、思わず見入ってしまうのもしょうがない。
「凡太、アレを!」
そんな俺の耳に、ギルバードの声が届く。ボーっとしていた頭でギルバードの言いたい事を理解した俺は、善行進化で得た能力であるアイテムボックスを展開し、目の前に現れた異次元空間に手を突っ込むと、未来から来た猫型ロボットよろしく、ガサゴソと中を漁る。
そして、お目当ての物を引く抜くと、「受け取れ、ギルバード!」と、取り出した物をギルバードへと放り投げた。
『む、何だ!?』と、訝しむオークに、放物線を描いて飛んできたそれを掴んだギルバードは、不敵に笑う。
「さ、ここからが本番です。良いですか、オークの旗よ。凡太の方ばかりに気を取られていると、足元を掬われますよ?」
そう言ったギルバードの両手には、翡翠色の二振りの短剣が握られていた。