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第七十五話  行こう、西の大里に!

 

「はぁ、はぁ、げぼっ! っはぁ」



 すっかり明るくなった、村の教会へと続くレンガ道を走っていく。朝特有の、湿気を含んだ空気が肺を支配するが、それも一瞬で違う空気と入れ替わり、押し出される様に体の外へと吐き出されていく。時折、空気以外の物が、口から吐き出されていくが、それを気にしている暇は無かった。


 何度目かも数えたく無いほどの全力疾走。それにオークとの戦いで負ったケガや疲労が積み重なり、体は限界を訴える。だけど、今回は姉さんの命が掛かっている。体には悪いが、もう少し我慢してもらおう。


 そうして、疲れた体に鞭打って何とか辿り着いたのは、教会だった。陽の星からの光を一身に受けるその佇まいは、神秘さを醸し出している。だが──、


(……やっぱり、血の臭いが、する……)


 肺に入ってくる空気に、錆びた鉄の様な臭いと、湿気とは違うねと付いた感触に気分が滅入る。


 姉さんを人質に取った旗のオーク。そのオークが姉さんの解放の条件として提示したのが、僕以外の他のエルフを連れてくる事だった。だから、この村の唯一の集会所である教会へと向かってきたのだが……。


(皆、死んじゃった、んだよな……)


 まだ離れているというのに、ここまで漂うこの濃い血の臭いに、僕はさっき見たあの光景を思い出していた。


(取り敢えず、覗いてるか……)


 教会に居たであろう人達は、恐らく皆殺されてしまっただろう。だけど、教会の異変に気付いた誰かが居るかもしれない。もしかすると、村の北側にも出たという魔物を退治し終わったウッドゲイトさんが居るかもしれない。そう判断して、教会へと向かう僕。


 そうして、濃くなってきた血の臭いと共に、近くなっていく教会から、微かに物音が聞こえた。


(──!? 誰か居る!?)


 聞こえて来た物音に芽生えた希望が、僕を教会へと駆り立てる。さらに教会が近くなると、微かだった物音が、ハッキリと聞こえてくる様になった。これは明らかに誰か居る!


(良かった……。これで姉さんは助かる!)


 灰色だった心に、一筋の光が差す様な思いがした。あのオークは何人連れて来いと具体的な数字は言われていない。だから、今、この教会に居る人を連れて行くだけで、オークとの約束を果たした事になるのだ。


(もしウッドゲイトさんなら、姉さんと僕と三人で、あのオークに勝てる!)


 僕と姉さんだけで、手傷を追わせたのだ。ならば、この村一番の戦士であるウッドゲイトさんが加われば、幾ら旗とはいえ、あのオークに勝てるはずだ!

 仮に、中に居る人がウッドゲイトさん以外の大人の人でも問題は無い。西の大里から離れたこの小さな村には、定期的に魔物が現れる。その魔物の退治を自分達だけで行わなければならない為、この村に住む大人は、ある程度魔物と戦う力があるのだと、父さんは言っていた。だから、大人ならば、あのオークと戦う力があるって事だ。ならば、三人で戦いながら、他の大人が来るのを待てばいい。それがウッドゲイトさんなら、一番良いけど。


 そうして教会へと到着した僕は、急いで教会の入り口へと回る。今は中に居る人を連れて、一刻も早くあのオークの元に、姉さんを助けに戻らなきゃとそれだけを考えていた。そんな僕の耳に、「ゴリッ、ガリッ! バキャ!」と、聞き慣れない音が聞こえる。


(さっき聞こえた物音はこれか。 でも、何か変な音だな? 誰がこんな音を立てて──)


 教会の入り口へと着いた僕の目に、ソレは無慈悲なまでに飛び込んできた……。


 恐らくはこの、濃い血の臭いに誘われてきたのだろう。熊や狼、狐などの、森に住む肉食獣が、一心不乱に貪り食っているのだ。ナニカを……。僕はソレを意識的に意識しない様にした。じゃ無ければ、とても正気ではいられないと、本能が判断したから。



「ぅあ……。あぁ……」



 だが、喉から漏れ出るこの声だけは押さえられなかった。幾ら口を手で塞いでも。

 そんな声に、貪り食っていた獣たちの耳がピクリと動く。何匹かは、頭を持ち上げる。だが、目の前のソレが放つ血臭の方が魅力的なのだろう。僕には目もくれない。逃げるかも知れない獲物(ぼく)よりも、労力を掛けずに得られる、そこらに転がっているエサの方が彼らには魅力的なのだ。



「あぁ、うあぁ……」



 そのショッキングな光景に、足が自然と引き下がっていく。そして、そのまま外に出ると、込み上げて来たものを我慢する事無く、吐き出した。



「おえぇぇ!!」



 変わり果てたラモンさんを見た時に胃の中を空っぽにしたから、酸っぱい液体が出て来るだけだというのに、吐き気が治まらない。


(こんな事を、している場合じゃ、ない!)


「がはっ、ごほっ!」と、最後に強く咳込んで吐き気を無理やり抑えると、ベチョベチョになった口回りを服の袖で強引に拭い、これで終わりとばかりに顔を上げる。


(駄目だ。やっぱり教会には誰も来ない)


 こんな、危険な動物達がひしめき、もはや集会所として機能していない教会には、誰も来ないだろう。


(なら、こっちから探さなきゃ!)


 疲労とオークとの戦いで負ったケガ、そして、今見た衝撃的な光景。それらが立て続けに僕から気力を奪い取って行く。だけど、そんなもんに構っていられない。姉さんの命が掛かっているのだから!

 ガクガクと、僕の考えを否定する様に震える足を殴り付け、僕は再び走り出す。向かうは村の北側、ウッドゲイトさんが向かった所だ。そこに最後の希望が待っている。だからもう少しだけ頑張ってと自分の体に頼み込んで……。



(待ってて、姉さん! 今すぐウッドゲイトさんを連れて行くからね!)


 ☆



「……」



 ──何も言えなかった。何も見たく無かった。何も感じたくは無かった……。



 教会を出た僕は一路、村の北側を目指して走っていた。夜中に家を出た時には、鳥はおろか虫の声すら聞こえなかったというのに、陽が高く昇り始めた今は、春の昼間に鳴く虫が、そこらで鳴き競っている。


 ──そんな中、村の北側に位置する村長さんの家へと辿り着いた僕が見たのは、あの教会と同じ光景だった──。


 草むらには大量の血溜まりと、人と思われる肉の破片。そして、腕や足……。それをただ、呆然と見下ろす僕。


(なんなんだよ、これは……)


 すっかり力が抜け切った足で、フラフラと歩く。足、足、腕、手、腕、足……と転がっているモノをボンヤリ眺めていると、不意に見つけた頭。それは、見覚え所か、良く知っている人だった……。



「……ウッドゲイト、さん……」



 ドサッと、地面に膝を突く。そして、ウッドゲイトさんだった頭を抱え込んだ。こうして、僕の希望、姉さんを助けるという最後の希望は潰えたのだった。


 そっと、ウッドゲイトさんの髪を撫でる。不思議と嫌悪感が無い。いや、何も感じないだけなのかもしれない。


 怖いモノでも見たのだろうか、その顔は恐怖で引き攣っている様に見えた。そんな表情を浮かべたままでは可哀想だと、開いていた目をそっと閉じる。


 空洞となった頭の中。何も考えなくなった僕の頭の中。その中を少しずつ染めていく、憎たらしいあの嗤い声。それで、僕は確信した。



 アイツだ──! アイツが殺したんだ! だからアイツは連れて来る人数を言わなかったんだ。この村にもう誰も残っていない事を知っていたから──!



「くああああぁっぁあ!!」



 気が狂ったかの様に、喉の奥から呻き声とも唸り声ともいえない声と呼ぶのも躊躇われる様な声が、喉の奥から漏れ出る。まるで獣だ。



「うああぁあっぁぁ!!」



 同時に涙が溢れた。我慢していたものが、堰を切った様に止めどなく流れる。零れていく。



「ごめん、姉さん……。この村にはもう、誰も居ないよぉ……」



 今もアイツの元に居る姉さんを想うと、涙が止まらなかった。



「僕を庇ったから……。僕が誰も見付けられなかったから……」



 懺悔の言葉が次から次へと出てくる。抱えていたウッドゲイトさんにも涙が掛かる。


 そうして、どれくらい泣き続けたのだろう。拭っても溢れ出てくる涙の隙間に、不意に、ぼんやりと光るモノが目に入った。


(……?)


 目を擦り上げ、涙を拭い、垂れた鼻水をすすって、光の元を見る。──それは、地面に転がっていた、一本の短剣だった。


(……あれはたしか……、ウッドゲイトさんの持っていた奴じゃ……)


 抱えていたウッドゲイトさんの頭をそっと地面に降ろすと、立ち上がりその光る短剣の元へと歩み寄る。


 下草が茂る地面に転がっていたのは、やはりウッドゲイトさんの持っていた、柄の部分に翡翠が埋め込まれた、緑色に光る短剣だった。僕はそれを拾い上げると、まじまじと見つめる。


 緑色に光っていたのは、柄に埋め込まれた翡翠に陽の光が当たっていたからなのか、拾い上げた今は光ってはいない。でも、一目で高価な物だと判る。


(これで戦っていたのかな、アイツと……)


 短剣の刃の部分には、刃こぼれ一つ無い。もしかすると、これを抜く前に、ウッドゲイトさんは殺されてしまったのかもしれない。


(これって確か、西の大里で買ったって言っていたよな……)


 姉さんと一緒に西の大里に行き、無事センチュリーの試験に合格した姉さんのお祝いとして、ウッドゲイトさんは大樫の弓を姉さんにプレゼントしていた。それとは別に、自分も欲しくなったと、一目ぼれしたこの短剣を買ったのだと、わざわざ家まで来て、父さんに嬉しそうに話していたっけ。その後、「こんな高い物買って!」とミーナとアイナさんに怒られたと、愚痴まで言っていたけれど。


 そんなに前の事では無いのに、もう昔の事の様に感じてしまったその出来事に、自然と涙が溢れて来る。もう、失われてしまったのだと、理解してしまったから。──だけどその時、一つの考えが浮かぶ──


(──そうだ、西の大里、だ……)


 この村から少し離れた所にある西の大里には、大勢のエルフが暮らしている。その中には、センチュリーの人も居るはずだ。


(いや、居る! 姉さんは言っていた。師匠が居るって!)


 センチュリーの試験から帰って来た最初の晩に、姉さんが話してくれた西の大里の事を思い出す。そこにはこの村とは比べ物にならない位、大勢の人が居る事。自分がセンチュリーをなる為に、付き従う師匠が居る事を。


(姉さんの師匠って事は、その人はセンチュリーって事だ! なら、あのオークだって倒せる!)


 何度も何度も抱いては消えていった希望の灯。ウッドゲイトさんの頭を抱えた時、もう二度と灯る事は無いと思ったその灯が、蝋燭の火が消える前に最後に大きくなる様に、ボワッと一際大きく燃え上がる! それは、本当に最後の希望の灯だった。


 ガバっと勢い良く空を見上げる。高い木々が覆う狭い空には雲一つ無く、強い陽の光が空を青く照らしていた。


(今は、お昼ちょっと過ぎって位かな? アイツの言っていた約束の時間が、明日の朝だから……)


 さっきまで靄がかかっていた頭を、懸命に動かす。西の大里には言った事は無いから、どの位の距離があるのか分からないけれど、今から急げば、明日の朝までには戻って来れるかもしれない。


(行こう、西の大里に! 行って、センチュリーを連れて、姉さんを助けるんだ!)


 グググッと体に力が宿る。これで最後だと、これで姉さんを助けられると信じて。


(姉さん、後でたくさん謝るから、今は我慢して待ってて! 明日の朝までに絶対間に合わせるから!!)


 姉さんだけでも絶対に助ける! 僕はそう決意して、村の外へと、西の大里へと続くレンガ道を走り始めた。



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