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第七十話  血の臭い

 

「ふんふ~ん♪」



 白染んだ光が空を群青に染め変える中、まだ薄暗い森の中を、姉さんの鼻歌が、いまだに聞こえてこない鳥の鳴き声の代わりに響き渡っていく。


 村の南側にある家々へと伸びる、苔の生えたレンガの道を二人並んで歩いて行くと、木々の間にポツリポツリと家が見えた。木々の間に見え隠れする二軒の家は、マギーさんとラモンさんの家だ。



「あ、見えて来たわ!」

「ちょ、ちょっと姉さん!?」



 ずっと繋ぎっ放しだった手をグイっと引くと、少しつんのめった僕を気にする事無く、見えて来た家に向かっていく姉さん。


 向かって右側のマギーさんの家、その板張りの外壁に付いている、白い木枠の小さな窓からは、灯りが見えない。まだ寝ているっぽいな。それは、同じ造りの(といっても、僕の家を含めて、村の家々は殆ど同じ造りだけど)隣のラモンさんの家も同じだった。



「まだ寝てるのかしら。ラモンさんはともかく、マギーさんも寝ているなんて、珍しいわね」



 家の灯りが灯っていない事に姉さんも気付いたのか、クスクスと笑っている。マギーさんは母さんと同い年位の女性で、村の人達の中でもかなりの早起きの人だ。「朝早く起きて、何してるの?」と前に聞いたら、夜から朝に変わる時間が好きで、その時間に村の中を散歩するのが好きなのと話してくれた。

 たいしてラモンさんは、教会の神父様と同じ位のお爺ちゃんだ。マギーさんとは正反対で、かなりの御寝坊さんである。昼前まで寝ているなんて事もある位だ。お昼ごろまでゆっくりと寝て、その後にお茶をゆっくりと飲むのが一番の幸せらしい。



「そうだ! 私達が起こしてあげましょうよ! 私はマギーさんの家に行くから、ギルはラモンさんをお願いね♪」

「えぇ!? マギーさんはともかく、ラモンさんはこの時間に起こしたら、怒るんじゃないかな!?」

「大丈夫よ、村の一大事だもの。それに怒られるのは私じゃないしね♪」

「ね、姉さん!?」



 とびきりのイタズラを見つけたかの様な顔をした姉さんが、「シィ~」と人差し指を口に当てて、忍び足でマギーさんの家へと歩いて行く。



「まったく。しょうがないな、姉さんは……」



 ハァっと短く息を吐いた僕は、姉さんと同じ様に忍び足でラモンさんの家に近付いて行く。僕も何処かで面白がっていたのかもしれない。


 そうして、僕と姉さんは家に近付いていった。──その時、ツンっと鼻を突く錆びた鉄の臭い──。



「「──!?」」



 バッと顔を姉さんに向けると、姉さんもその臭いに気付いたのか、僕に頷いた。僕も頷き返すと、家からそっと離れる。そして、同じ様に家から離れた姉さんと合流すると、近くにあった木に身を隠した。



「姉さん、これって……」

「えぇ、血の臭い、ね……」



 顔を青くした姉さんが、僕の言葉を肯定する。姉さんも血の臭いを感じた様だ。



「どういう事?! ウッドゲイトさんが言うには、魔物は北の森に出たって言ってたわよね!?」

「うん、確かに言ってたよ!」

「じゃあ、この血の臭いは何!? 魔物がこっちにも居るの!? ギルは何か感じた?!」

「いや、何も。姉さんは?!」

「私もよ! 今もマジックサーチを使っているけど、何も反応は無いわ……」



 隠れていた木からそっと顔を出した姉さんが、マギーさんとラモンさんの家を交互に見る。その姉さんに答えながら、僕も姉さんと同じ様にして辺りを窺う。


 レンガ道から逸れて、マギーさんとラモンさんの家へと行くのにマジックサーチを使ったけれど、特に反応は無かった。それは、二人の家に近付いた時でさえ、だ。

 マジックサーチは生活魔法の一つで、自分の周囲にある魔力を探る魔法だ。狩りなどに良く使う魔法で、魔力を使える様になった時、父さんから教えてもらった。マジックサーチは使う魔力量や術者のレベルによって、感知する魔力の大きさや範囲が決められる。そのマジックサーチを、僕も姉さんも教会から出た時から定期的に使っていた。その間、一回も魔物はおろか、危険な動物の反応すらなかった。

 幾らマジックサーチが魔力量やレベルに左右されるからといっても、僕ならまだしも、姉さんはセンチュリーの選抜試験に受かる程の実力がある。そんな姉さんが何も感じなかったのだ。なのに、血の臭いが二つの家からしてくる。これは一体どういう事なのだろうか!?



「……やっぱり周りには何も感じないわ。ギルは?」

「僕のマジックサーチにも、何も反応は無いよ」

「そう……」



 改めて、マジックサーチを使っただろう姉さんはそう言って、細い指を顎に添えて考え込む。何が起こっているのか分からない状況、僕にはどうしたら良いのか分からない。ここは大人しく、姉さんの考えに頼る事にしよう。

 姉さんの考えが纏まるまで、僕はマジックサーチをさらに大きくして周囲に気を配るも、やはり何も気配を感じない。時折吹く風がザザッと葉を揺らす音と、錆びた鉄の臭いを運んでくるだけだ。


 すると、不意に姉さんが頭を上げた。その視線の先には、いまだに灯りが点かないマギーさんの家。



「……とりあえず、家に行ってみましょう」



 呟く様に、姉さんは考えた答えを口に出す。僕もそうするしかないなとは思った。そうしないと、状況が分からないから。でも、言い出す事は出来なかった。あの時の熊よりも恐ろしいナニカがそこに居そうな気がするから……。



「……うん」と、そう答えた僕は、無意識に唾を飲み込んでいた。



  ☆



 なるべく音を立てない様に、忍び足でマギーさんの家へと近づいていく僕と姉さん。姉さんの手には、西の大里でウッドゲイトさんに合格祝いで買ってもらったという、大樫で出来た少し小ぶりな弓を、僕の手には、山菜採りで良く使っている短剣をそれぞれ握りしめて。


 家へと近づくにつれ、鼻を突く血の臭いが濃くなっていく。マギーさんの身に何かあったのは、確実だろう。それもあまり良くない事が……。


 かなりの時間を掛けて、マギーさんの家の壁に着いた僕と姉さんは、壁に寄り添ってしゃがみ込み、「はぁ~」と深く息を吐く。お互いかなり緊張していたみたいだ。



「……ここの窓から、中を覗いてみましょう」

「……うん」



 僕たちの頭の上には、窓枠を白く塗られた小さな窓がある。その窓を指差す姉さんに頷き返すと、二人揃って、そぉっと首を伸ばしていく。だが、それだけでは窓には届かないので、地面に膝を突いた。そうして、やっとの事で目が窓枠を越える。


 そぉっと覗き込んだマギーさんの家の中は、真っ暗で何も見えない。少しずつ陽が昇り始めているというのに、周りに立つ高い木々がその日差しを遮って、部屋の中を照らすものは何も無かったからだ。



「……何も見えないわ」

「……そうだね」



 何も見えなかった事で逆に大胆になった僕と姉さんは、立ち上がって窓枠に手を置き、家の中を隈なく見る。窓の傍に置いてある棚の上に置かれた、恐らく昨日取って来たであろう、村の周辺で良く咲いている黄色い花が花瓶に生けられている以外、やはり何も見えない。



「……中に入ってみましょうか」

「ね、姉さん!?」

「だって、ここからじゃ何も見えないじゃない。何があったのか分からないじゃ、教会に戻れないわ」

「そ、それはそうだけど……」



 相変わらず血の臭いが漂う中、さらにその中心へ行こうと提案する姉さんに気後れし、答えられないでいる僕。そんな僕に姉さんは短く息を吐き、



「んもう! しっかりしなさいよ、ギル! 男の子でしょ! 私が西の大里に行ったら、この村を守るのはギル、あなたの番なのよ! 今、村に危険が迫っているわ! ならば、今どうするべきか分かるわよね?」

「……うん」

「……大丈夫。いざとなったら、私が守ってあげるから。それに……」

「……それに?」



 不意に言葉を切った姉さんに話の続きを促したけど、姉さんは、「うぅん、何でも無い」と首を振る。



「さ、行きましょ。ギルはライティングの魔法、使えたわよね?」

「え? う、うん」

「じゃあ、私が先に入るから、合図したらライティングを使って、中に入って来て。良い?」

「うん、分かった」



 全部を納得した訳じゃないけれど、頷いた。それは、姉さんに言われたからじゃない。僕の中にある、男の子という小さなプライドが、そうした方が良いと判断したからだ。姉さんの言う様に、このまま帰る訳には行かないと思ったからだ。決して姉さんに飽きられたくないと、ミーナに後で馬鹿にされる事が嫌だったわけじゃない。



「うん、よし! じゃあ、行くわよ」



 僕の返事が、姉さんの予想通りだったのだろう。こんな状況だっていうのに、姉さんは腰に手をやって胸を張ると、ニカッと笑った。それはとても場違いな笑顔だったけれど、僕を勇気付けるには、とても正しい笑顔だった。


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