第六十三話 いやぁ、戻りました、記憶♪
「いやぁ、戻りました、記憶♪」
「「──はい?」」
次の日の早朝、雀宮さんの自室へと運び込まれたギルバードの様子が気になった俺と多比良姫様は、揃って見舞いに訪れた。そして、すでに布団から上体を起こし、窓から見える外の景色をボーっと眺めていたギルバードが、入ってきた俺達の方に振り向くと、開口一番でそう言ったのである。
「も、戻ったのか、記憶?」
「はい、お陰様で。あ、でも心配なさらないでください。記憶を失う前の記憶もちゃんとありますから」
と、いつもの柔らかい笑顔を浮かべて、自分の頭をコンコンと叩くギルバード。その様子に、安堵し、溜息を吐いていると、
「なっはっはっ!見ろ、男! わらわのお陰で、色男の記憶が戻ったであろう! 実はあの投げた徳利こそが、わらわの作戦の最終段階だったのじゃ!」
と、腰に手を当てて、朝からバカ笑いする多比良姫様。その声はかなり大きかったらしく、台所で朝食を作っていた雀宮さんが、「ちょっと、多比良姫様! 静かにしてくださいチュン!」と注意する程である。
「ほんとかなぁ? さっき、ギルバードが記憶が戻ったって言った時、一緒に驚いていませんでしたっけ?」
「うぐっ!? あ、あれは演出。そう、演出なのじゃ! ま、まぁ、なにはともあれ、良かったのじゃ!」
と、腕を組み、ウンウンと頷く多比良姫様。しかし、その額と頬に掻いた汗を、俺は見逃したりはしない。まぁ、うぐっとか言っている時点でお察しではあるが。
「まぁ、良いですけど……。それで、体調の方はどうなんだ、ギルバード?」
「はい、若干、頭が痛いですが、それ以外は特に問題は有りません」
体の具合を確認するかの様に、体の各所を伸ばしていくギルバード。頭が痛いのは、昨日、多比良姫様が投げた徳利が当たった場所じゃないのだろうか。
「そうか、それは何よりじゃ。ならば後の事は、雀宮に任せておくかの」
ギルバードの記憶が戻った事で、お役御免とばかりに部屋を出て行こうとする多比良姫様。俺も長居するのもアレかなと思い、「じゃあ、また」と、ギルバードに声を掛けると立ち上がって、多比良姫様に続いて部屋を出ようとすると、
「凡太、多比良姫様。後で少しお時間、宜しいでしょうか?」
と、声を掛けてきたギルバード。それに俺と多比良姫様が分かったと伝えると、何やら楽しそうに笑うギルバードだった。
☆
朝食を食べ終えた俺と多比良姫様は、同じ様に朝食を食べ終えたギルバードに呼ばれ、屋敷の裏にある、木々が少し開けた場所へと連れて行かれる。
冬独特の低い朝日が差し込む木々の間を、チュンチュンと、雀宮さんでは無い本物のスズメの鳴く声や、風に揺られた常緑樹の葉が揺れる音が包む中、藍色の着物を着こなした色男、ギルバードがサワサワと揺れる葉を眺めては、気分良さげに目を瞑っている。確かに段々と寒さが増してきているが、多比良姫様の力なのか、山の冷え込みはそこまで厳しくなく、日差しの温もりが心地の良い寒さって感じだ。
「それで、こんな所に呼び付けて何の用じゃ? まさかわらわに告白でもするのかの?」
「……俺が居るのに、そんな事をすると思いますか、多比良姫様?」
「ふん、分からんぞ? 昔視たてれびの番組の中でもあったのじゃ。一人の女子の前に、男二人が立って、その女子に向かって同時に手を差し出すのじゃ。「お願いします!」と言っての。それで、その女子は気に入った男の手を握ると、かっぷるが成立するのじゃ」
「……それ、かなり古いですよね……?」
まるで識者だと言わんばかりに、腕を組んでは胸を反らす多比良姫様。ついでに「ふふん」と鼻を鳴らしているが、そんな事は絶対無い。
「そうですね。凡太の言う様に、多比良姫様に気持ちをお伝えする訳ではありませんよ」
「畏れ多いですからね」と、柔らかく否定したギルバード。そんなギルバードに対して、「ふん、どうだか。わらわは可愛いからの」と、自分の答えが否定された事にふくれっ面になる多比良姫様。こういう所はほんと神様とは思えず、幼い子供の様である。
「それで、一体何の用なんだ、ギルバード。俺と多比良姫様の二人だけで良いのか?」
このままでは話が進まないと、俺がギルバードに質問する。ちなみに舞ちゃんはエルニア様をどうにかして救えないかと、屋敷にある多比良姫様の書庫の本を読み更けているし、ミケはミケで、天さんと何やら遊んでいるので、ここには居ない。
「はい、お二人に見て頂きたいのです」
「……見る?」
オウム返しにそう返した俺に、フッとはにかむと背中に手を回して、何かを手に取るギルバード。その手には、艶やかな色をした、木で出来た和弓の様な弓だった。
「……それは?」
「はい。私がこの世界に来た時に持っていた、愛用の弓で御座います」
多比良姫様の質問に、弦の具合を確かめながら答えるギルバード。そうして一通り状態を確認したギルバードは、弓をスッと下げる。
「持っていたって、エルーテルで使っていた弓って事か?」
「はい。これは私が魔物との戦いや、日頃行っていた狩りなどで使っていた弓です」
「……それで、その弓をどうするのかの? 見た所、箙は持っていない様じゃが?」
腕を組み、訝し気な視線をギルバードに投げる多比良姫様。俺も、ギルバードのしたい事が解らない。
「……はい、私は矢を必要としません。矢の代わりとなる物があるからです」
そう言うと、持っていた弓を持ち上げる。そして、少し離れた所に立っていた木に狙いを定めると、そこに矢は無いというのに、ギリリと弦を引いていった。そして──、
「……マジック、アロー」
ギルバードの口が動くと、何も無い弦がうっすらと光ると、中仕掛けと呼ばれる矢を掛ける所に集まって行き、色濃くなる。そうして現れたのは、矢の形をした光の塊だった!
「──!?」「なっ!?」
「──シッ!」
多比良姫様と俺がその光景に驚くと同時に、弦を放すギルバード。そうして飛んで行った光の矢は、寸分違わず、狙った木の幹に突き刺さる!その衝撃で木が揺れ、「チチチッ!?」と驚いた鳥たちが、慌てて飛び出した。
「……これが、私がお二人に見せたかった物、私の得意技、マジックアローです。私自身の魔力で、矢を作っているのですよ」
弓を下ろしたギルバードが、俺らに向けた顔には、イタズラが上手く行ったと喜ぶ悪ガキの様な、小憎たらしい笑顔が浮かんでいた。
☆
「戦う気が無いのでしたら、すぐさま降伏する事をお勧めしますよ? 私の放つマジックアローは、オモチャでもなんでもありませんからね。あなたを傷付ける事すら容易いですよ?」
爽やかに笑いながら、物騒な事を言うギルバード。その様に、「きゃ~!」と騒ぐ女子の声と、「ヴ~!!」と騒ぐ男子の声。いや、魂の叫び。
どんどんと二極化の進む観客を尻目に、再び弓を布被りに向けて構え、ギリリと弦を引き絞るギルバード。
「マジックアロー。……次は、当てます!」
そう、相手にわざわざ宣言する。そのキザッたらしい行動一つ一つに、女子は沸き立ち、男子は辟易する中、「シッ」という掛け声と共に、放たれた光の矢は、寸分違わずに布被りの眉間目掛けて飛んでいく!
《ここでまたギルバード選手の光の矢が、教祖様の戦士に向けて放たれた~! これが恋のキューピットの放つ矢なら、私のハートを打ち抜いてぇ!》
忘れてた、実況のお姉さんも女子だったなと、その実況に呆れると同時に、こうも簡単に女子を篭絡していくギルバードに、戦慄すら覚える俺。俺はその内、ギルバードの事を師匠と呼ぶ日が来るかも知れない。
放たれた光の矢が布被りに迫り、その眉間を貫くと思った時、その姿が一瞬ブレた。
すると、突き刺さると思っていた光の矢は何に当たるでもなく、布被りを通り過ぎて、空中で霧散した。
「……マジックアロー」
ギルバードの、どこか優し気だった顔が無表情、いや、感情を削ぎ落した戦士のそれに変わる。そして、魔法の矢を生み出すと、布被りに向けて放つ。
ヒュンっと音を立てて向かって行く光の矢。それが、布被りに当たると思った刹那、また体がブレて、光の矢が逸れていく。
《当たらない~! ギルバード様の放った光の矢は、教祖様の戦士を捉える事が出来ません~!ならば、代わりに私の捉えて~! キャ~、言っちゃった~!》
もはや実況の体すら怪しくなってきたお姉さんの実況。様付けに昇格しているわ、意味不明な事を叫ぶわで、突っ込む気すら無くなってくる。そんな実況に、「何言ってるの!ギルバード様は私の物よ!」「いえ、私のよ!」と、女性を中心に場外乱闘すら起こりそうな雰囲気である。正直、そっちの方が面白そうだな。
「私のマジックアローを躱しますか。それなら──」
そんな場外の騒動など目にもくれず、同じ様に弓を構えたギルバードが、弦を引き絞る。
「ラピッドアロー!」
力ある言葉を口にするギルバード! すると、引き絞っていた弦に光の矢が生まれたと思った瞬間には放っており、そこに二の矢が生まれて再び放たれる! まさかの連射だ!
ほぼ同時に放たれた光の矢が、布被りに襲い掛かる! 最初の一本は同じ様に体がブレる様にして躱した布被りだが、まるで躱される事を前提で放たれた二の矢が、布被りの顔部分を薄く切り裂く! するとハラリと落ちる、切り裂かれた布。二の矢が当たっただけでは、ああは切れない。まさか、一の矢も当たっていたのか!?
そうして、布被りの正体が露わになったギルバードの相手は、青黒い肌に、彫深い顔の奥で光る眼光。口からは、天を突く様に上向きに生えた牙。そして、一番の特徴は、その耳と鼻だ。まるで、あの動物を思わせる様な、特徴的なその耳と鼻。
俺の横にいたミケが、少し掠れた声で、ソイツの名を口にする。
「──オーク、にゃ……」
オーク──、それは異世界を代表する魔物の一つ。その名はゴブリンと双璧を成す程に有名で、ゲームをした事が無くても、ラノベを読んだ事が無くても、一度はその名を聞いた事があるのでは無いだろうか。
そんなオークの一番の特徴は、ブタの様な鼻と耳である。作品によっては多少異なるだろうが、そのどちらか、または両方を兼ね備えている魔物で、デップリとした体に恐るべき怪力を忍ばせ、あまり高くない知能は、常に雌を求めているのでは無いかと思う程、主に凌辱系で圧倒的な程の存在感を誇る。
そんなオークだが、俺とミケには因縁深い相手だ。
俺は天界で、女神様であるエルニア様の持ち物である水晶玉で、そこに映ったエルフのお姫様らしき女性を惨殺した所を見たし、ミケは昔、自分の村が襲われ、壊滅しかけた事があった。
だからだろうか、隣のミケが「フーッ! フーッ!」と、今にも飛び出していきそうな感じで、血走った眼をオークに向けていた。
《ここで、我らが教祖様の戦士の正体が判明しました! オーク様です!!》
自分の仕事を思い出したのか、布が切れ、その顔が露わとなったオークを見て、会場に伝える。それを好意的に取られる声が、やがてオークを応援する声へと変わるのに、時間は掛からなかった。あんなに、ギルバードを応援していた女性達も一斉に、である。振られたな、ギルバード。
『……流石、だな』
顔が露わとなった事で、これ以上布を被っていても無意味と思ったのか、ギルバードのマジックアローに切り裂かれた部分から頭を出すオーク。まるでその姿は雨合羽を着ているかの様だ。
バサリと、その布の下から両腕を出す。太い。二の腕が俺の太もも位あるだろうか。その太い腕の先には、右手に金、左手に銀の手斧を握り締めている。それが妙にオークに合っていて、様になっていた。すると──、
「──まさか、金銀のオーク、かにゃ……?」
先程まで、「フーッ!」と唸っていたミケが、その勢いを無くしていく。
「金銀のオーク?」
「……そうにゃ……。ミケも噂程度にしか聞いた事は無かったにゃんが、オークの旗の中でも特にヤベーヤツが居るらしいにゃん。それが“金銀のオーク”にゃん」
「……本物の、ネームドってヤツかよ……!?」
顔を青くしたミケ。心無しか、ズボンから出ている尻尾も、その勢いを失っていた。ゴブリンの旗を圧倒的なスピードでもって倒したミケを、ここまで恐れさせるなんて……。
『──フン!』
正体が判明したオーク──金銀オークが、その場で金の斧を持った右腕を横に振るう。すると、目の前に突風が現れ、その直線状に居たギルバードに襲い掛かった!
「ギルバード!?」
巻き上がる土煙と埃を伴って、ギルバードへと襲い掛かった突風が、ギルバードに差し迫ったと思いきや、急速にその勢いを無くしそよ風に変わると、ギルバードのキレイな金髪を戯れる様にフワリと持ち上げては、通り過ぎて行った。
ハラリと流れた髪を、手櫛でさっと梳くギルバード。それを見た金銀オークは、『……なるほど、な』と、納得するかの様に一つ頷く。
金銀オークが見たもの。それは、髪を梳く際露わになった彼の耳。その耳は細長く、その先端は空に向かって行くほどに、尖っていた。