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第五十八話  誇り高きピューマ族

 

「何だって……?」



 まるで信じられないと、掴んでいたギルバードの襟から手を放す俺。それほどショックだった。


 事ある毎にピューマ族と主張するミケだが、確かにと思える事が幾つかある。先ほどの鉄の扉を蹴り付けたアクロバティックな動きもその一つだが、それよりももっと納得させられるものがある。それがミケの天性のスピードだ。


 ミケの得意技──というか、それしか知らないのだが、あの初手から繰り出す突進技のその速度は、ギルバードはおろか、この俺でさえ、手加減していては躱せない程の、まさに疾風というべきもの。ミケの生まれ持ったスピードを最大限に利用した、必殺の一撃だ。

 恐らく、スピードの一点に於いて、ミケは俺達の中では最速であり、それがミケの戦士としての生命線とも言えた。そのスピードで、あのゴブリンに負けている?



「あのゴブリンの旗に限らず、ゴブリンというのは俊敏さを得意としている魔物なのです。そして、その中でも“旗”は、圧倒的に速くて強い。スピードを武器とするミケにとっては、天敵となりうる魔物でしょう」



 ガックリと頭を垂らすギルバードが、そう口にする。それはまるで敗北宣言。ミケが負ける事が決定したかの様な言い様だった。



「そんな……。あのミケが速さで負けるなんて……」



 信じたくはない。信じられない。でも、俺よりもエルーテルを、魔物を知っているギルバードがそう口にしたのだから、それが正しいのかもしれない。この、俺の中に渦巻く感情よりも。



『おう、コレガピューマ族の血の味かぁ。結構美味ぇジャねぇか』



 まるで通夜の様な空気に包まれていた俺達の耳に、そんな声が聞こえてくる。何とか顔を上げると、姿を現していたゴブリンが、持っていた短剣から滴り落ちている赤い液体──ミケの血を指で掬い上げると、口に運ぶ。そして、美味しそうに指をしゃぶっていた。



「あの野郎……。そういや、ミケは!?」



 嫌悪感をたっぷりと込めた目でゴブリンを睨むと、すぐさまミケを見る。

 ミケは、ズボンのポケットから包帯を取り出すと、深く刺されたその傷に巻き付けていく。だが、やはり傷が深すぎるのか、巻いた途端に赤く染まって行く包帯。明らかに重症だ。



「おい、ミケ! もう良い! ギブアップするんだ! あとは俺とギルバードに任せろ!」



 ここからではかなり遠いので、口の横に手を添えて大声で叫ぶ。耳には魔力を通しているから、あの距離でも聞こえるが、口には魔力を通していない。前に口に魔力を通したら、有ろう事か、俺の口から、エルーテル共通語が出て来たらしいのだ。俺は普通に話しているつもりだからその時は分からなかったが、あとで舞ちゃんが教えてくれた。道理で幾ら話しても、球也が首を捻り、「おい、凡太。俺が英語苦手なの、知っているだろ」と言っていた訳だと、後で納得したものだ。



「おい、聞こえているか、ミケ! ギブアップだ、ギブアップ!」



 大声を張り上げ、ミケにギブアップする様に指示を出す。とてもダサいタイトルが付いたこのメインイベントのルールでは、勝敗は相手が死ぬかギブアップするかで決まるという。そして、ギブアップ宣言は本人にしか出来ないのだ。


 自分の得意分野であるスピードで負けていて、尚且つ太ももに大ケガを負っている。ミケが幾ら負けず嫌いだとは言っても、勝ち目が無い戦いを続ける意味は無いと、ギブアップしないと殺されてしまうかも知れない事は、解っていると思っていた。しかし──、


 太ももに包帯をきつく巻き付けたミケは、ふらつきながら立ち上がると、有ろう事かナイフを構えたでは無いか!



 それには流石の実況のお姉さんも、



 《何とか立ち上がったミケ選手ですが、ナイフを構えております。まだやる気なのでしょうか!?》



 と、心配を口にする。



『ウケケ! お前のお仲間はアア言ってるが、ドウスルんだ? ピューマのお嬢チャン?』



 短剣に垂れていたミケの血をあらかた舐め取ったゴブリンが、気色の悪い笑みをミケに向ける。その顔は、もっと血を舐めたいと、もっとミケを傷付けたいという欲望に満ちた嗤いだった。


 挑発に近い、ゴブリンの言葉を受けたミケ。傷付いた足では力が入れられないのか、ふらつきながらもゴブリンを睨み付けると、



「何を言っているのにゃ? 誇り高きピューマ族は、例え相手が魔族だろうが、旗だろうが、降参なんてしないのにゃ!!」



 そう己を鼓舞する様に叫ぶと、ナイフを持った手を引き絞り、ゴブリンへと突進していった……。



 ☆  ミケ視点   ☆



(痛い痛い痛い──、熱い熱い熱い──)



 ゴブリンの旗に刺された太ももの傷が、燃える様な熱を伴って痛みを訴える。もう!私だって我慢しているのだから、そんなワガママ言わないで欲しい!


 さっきから、「ギブアップしろ!」と叫んでいる凡太から貰った、エルーテルではあまり見かけないデザインのジャケット、そのポケットに手を突っ込んで、中に入っていた包帯を取り出す。

 エルーテルの物とは比べ物にならないその上質な包帯を、血が溢れ出る傷口にきつく巻き付けていく。巻き付けている時も、気を失いそうな程の痛みが走るが、何とか我慢して巻き付けていく。

 その様子を、私の血が付いた短剣から、血を舐め取りながらニヤニヤと、気持ちの悪い嗤いを浮かべて眺めるゴブリン。嫁入り前の体に、こんな傷を付けた事を後悔させてやる!!


 そうして包帯を巻き付け終えると、私は立ち上がろうとした。しかし、血を流しすぎたのか、それとも単純に傷付いた足に力を入れるのが怖いのか、私の体はフラフラしてしまう。

 それでも何とか立ち上がると、握っていたナイフを、未だにニヤニヤとしているゴブリンに向けて構えた。すると、



 《何とか立ち上がったミケ選手ですが、ナイフを構えております。まだやる気なのでしょうか!?》



 あろう事か、ミケの事を男扱いしたあの人族の女が、信じられないと言った感じで喋っている。


(あの人族の女は、ミケの性別はおろか、戦士としてのミケさえもバカにするのかにゃ!)


 沸々と湧き上がってくる怒り。ただでさえ傷口が熱いのに、これ以上私を熱くしないで欲しい。

 と、そこに、



「ウケケ! お前のお仲間はアア言ってるが、ドウスルんだ? ピューマのお嬢チャン?」



 片言なエルーテル共通語で、さも心配気な感じで私に話しかけるゴブリンの旗。だが、その目に込められた感情は、全くの逆。まだ私を傷付けたい。まだ私の血を啜りたい。まだ私の悲鳴を聞きたい……。ゴブリンの昏い欲がハッキリと感じ取れた。


(お前まで、私をバカにするにゃんね……)


 重ね重ねの挑発に、私の我慢の限界はとうに超えていた。こっちの世界でいう、「堪忍してや、袋の緒が切れた」である。


(あれ? 違ったかにゃ? 鈴子がそう言ってた様な……。まぁ良いにゃ!)


 ギルさんと違って、あまりこちらの言葉を覚える気が無い私。だから、その言葉も合っているかどうか……。


 そして気付く。私ってば、結構余裕なのね、と。それがどうしても可笑しくて、笑いが込み上げそうになる。が、それを必死に我慢すると、キッとゴブリンの旗を睨み付け、



「何を言っているのにゃ? 誇り高きピューマ族は、例え相手が魔族だろうが、旗だろうが、降参なんてしないのにゃ!!」



 そう言い切ると、一番体に馴染んでいる、息をするのと同じ感覚で出せる私の唯一の技を、ニヤついているゴブリンの旗目掛けて、繰り出していった。



 ☆ 凡太目線  ☆



「ミケ! 止めるんだ、ミケ!!」



 包帯を巻いたとはいえ、根本的な治療をした訳ではない傷付いた足を、少し引き摺る様にして、ゴブリンに突進していくミケ。その姿があまりに痛々しくて、すぐにでもギブアップする様にミケに向かって叫ぶ。

 だが、ミケは初手から繰り出している、誇るべきスピードがすっかりと影を潜めた自分の得意な技を、持っている短剣を構えようともせず、ニヤついてただ立っているだけのゴブリン目掛けて放っては、簡単に躱されて、その体に浅くない傷を増やすだけだった。



(バカの一つ覚えじゃないんだから、もっと別の攻撃方法があるだろ!)



 余りも滑稽に映るミケのその姿に、初めは嗤っていた観客たちも次第に呆れ始めたのか、今では小さく無いヤジが飛ぶ始末だ。


 しかし、ミケにはそれすらも聞こえていないのか、その小さい体に新たな傷を作っては、同じ様に右足を一歩引き、ナイフを握る右手の脇を絞って体に引き付け、少しずつ遅くなっていく速度で突進していくだけだった。そうして、また傷を負っては、技の迫力を失っていった。



 そんな姿を見たくは無いと、「今すぐ止めろ、ミケ!」と半ば怒鳴っていたが、全く通じていない。その様子に隣に居たギルバードが、「もしかすると、もう意識が無いのかもしれません……」と、首を横に振っていた。


 そうして、何度目かの傷を付けられたミケが、この試合で何度目かは分からない、膝を付いた。その体はあちこちから血を流し、誰が見ても限界だと判る。



「ミケ!! くそっ! もう我慢出来ない! 俺がミケを止めて来る!!」



 そう言って、闘技場に入ろうとした俺に頭上から、声が掛けられる。



 《おいおい、平。今良い所なんだから、邪魔すんなよ》

「うるさいぞ、土手。もうミケは戦えない。ギブアップだ!」

 《はぁ? あのネコがそんな事を言ったのかぁ? 俺には聞こえなかったなぁ》



 土手がマイク越しにそう言うと、周りに居た観客たちも「俺も聞こえなかったぞ!」「そうだ!あの猫の異教徒は、ギブアップしてないんだから、まだやらせろ!」と、ヤジが飛ぶ。

 そのヤジに満足した土手が、またマイク越しに俺に向かって、



 《だってさ、どうする、平? ここでお前が乱入したら、この試合、あの猫の負けになるぜ?》

「それでも構わない! ミケを助ける方が先決だ!」

 《おー、そうか。なら、ルール無視で失格。お前等全員の負けになるが、いいな?》

「なっ!? そんなの聞いてないぞ!?」

 《ウルセェな! ルールを説明しようとした時、お前等がなにやら騒いだのがいけないんだろうが! それとも何か? 塚井さんの事を諦めるって事で良いんだな?》

「くっ!? そ、それは──」

「……大丈夫にゃ、凡太。ミケはまだまだやれるにゃ。だから大人しく待ってるにゃ」

「──!? ミケ!?」



 貴賓室前のバルコニーに居た土手を睨んでいた俺は、視線をミケへと向ける。いつの間にか立ち上がっていたミケは、かなりの数の傷を負っている、その顔に無理やり笑顔を作ると、手をグッと握り締めた。



「……ミケ……」

 《ほら、本人もやる気じゃねぇか。ほら、さっさと試合を再開しろ!》



 ミケのその姿に、俺は涙が出そうになるのを必死に誤魔化しながら、何とか声援を送る。俺の隣に居たギルバードも、そして学校の関係者が居る観客席の一画、その一番前に居る球也と鈴子、そして都市下さんまでもが、喉が枯れんとばかりにミケに声援を送っていた。

 だが、声援ぐらいでは、ミケの圧倒的なほど不利な状況は覆る事は無い。それが、俺に焦燥感を抱かせていた。



 ──そんな中、ふと視線を下に向けると、そこに一匹のカラスが居た──


 いつの間に?とか、何処から?とか、そうした疑問を抱く前に、そのカラスからドロンと煙が立ち上ると、次の瞬間には、見覚えのある姿が現れる!



「──天さん!?」



 そう、それは天狗の天さん。多比良姫様に仕える天狗だ。その天さんが、緑の風呂敷に包み込んだ、何やら長い棒の様な物をその手に持って、この闘技場に現れたのだ。



「こりゃ、どうも、皆さん。済みません、忙しい時に。多比良姫様から預かった物を持って参りました」



 まるで世間話でもするかの様に、持っていた風呂敷包みの長い棒を、俺へと差し出す天さん。突然の来客に呆気に取られている俺がそれを受け取ると、満足した表情を浮かべ、



「それと、多比良姫様からの言伝(ことづて)です。『すまん、用意するのがギリギリになってしもうた。じゃが、これで大丈夫じゃ! じゃから、この国の事、頼むぞ! エルニアの事はわらわに任せるのじゃ!』との事です!」

「は、はぁ。分かりました。しっかり受け取ったと、多比良姫様に伝えてください」

「はい! それではあっしはこれで。あちらもあちらで、今大変ですので……」



 と言って、俺達にクルリと背を向けると、ふと、闘技場に居る傷だらけのミケに視線を向ける。



「……おい、猫娘。少し前から見ていたが、何だ、そのお遊戯は? 負けて貰っては困るのだがな?」

「……誰かと思えば、うるさいカラスかにゃ。もう夜なんだから、山に帰って七つだか八つだかの子供の面倒でも見てるが良いにゃ」

「あっしはカラスじゃねぇって何度言ったら分かるのだ、猫娘? さては、そこの醜悪な鬼にやられ過ぎて、頭でも強く打ったんじゃないのか?」

「ふん。これだから、鳥頭は困るのにゃ。いつミケがやられたなんて言ったニャ?まぁ良いにゃ。そこで大人しく見てると良いにゃ」

「そうかい。ところでお前さん、あっしと鍛錬した日々を忘れたわけではあるまいな?」

「何が鍛錬にゃ。あれはミケがお前を一方的に叩きのめしただけにゃ」

「そんな減らず口を叩けるのなら、まだ大丈夫のようだが、何時あっしがお前にやられたんだ?少し妄想も入っているようだから、やはりやられ過ぎなのではないか、猫娘? お主、弱いのだから、無理しなくてもいいのだぞ? ん?」

「バカも休み休み言えにゃ。良いから黙ってそこで見てると良いにゃ」

「お前さんこそ、バカを言うな。あっしはこれから多比良姫様と共にやる事がたくさんあるのだ。お前さんの負け戦なぞ、見ている暇なんて無いわ!」



 そう言うと、再び煙に包まれた天さん。その煙が晴れた頃には、その姿は消えていた。

 その様子を確認したミケが、小さく鼻を鳴らすと、



「待たせたな、ゴブリンの旗。──さて、じゃあ戦いをしようかにゃ」

「戦い? 違うナ。今までもこれからも、ここで行われるのは、俺の一方的な“ショータイム”だ!!」



 そう言ったとたん、ゴブリンの姿が掻き消える。マジックビジョンで見える光景でも、あまりの速さで中々捉えられない。その動きは今までで一番だ。



『キハハッ! どうだ! 俺様のスピードは?! 見えないダロウ? 感じナイダロウ?! 無理も無い。旗でアル俺様と、只の一介の戦士デハ、始めカラ勝負にナドならないンダヨ! 分かったナラ後悔シナガラ──』



 スッと、姿を現したゴブリン。そこは、ミケの真後ろだ! 対するミケは気付いていないのか、全く微動だにしない。



「マズい! 殺される!! ミケぇぇえ!!」

『──死んでイケ!!』



 ミケの喉目掛けて、短剣を突き出すゴブリン。その短剣がミケの喉元に深く突き刺さる!!


 ──が──、



『……アレ?』



 情けない声を上げたゴブリン。その手に持った短剣がダラリと下がる。──そう、確かにミケの喉元に突き刺さったはずの短剣が、スルリと何の抵抗も無くその刃先を地面に向けていたのだ。

 そこにミケは居なかったのだ!



「──ミケとした事が、あのカラスのムカつく顔を見るまで、あの時の事を忘れていたにゃ。全く、あの鳥頭の事をバカに出来ないにゃんね……」

『──クッ!?』



 ──ミケは居た。ゴブリンの真後ろに──。


 それに気付いたゴブリンは、驚き、すぐさま飛び退く。だがミケは、それを追う事はせず、その場で俯き立っているだけだ。


 だけどその顔には、その口元には、微かに笑みが浮かんでいた。まるで、楽しかった日々を思い出しているかの様な、そんな優しい笑み。


 でも、すぐにそれを引っ込めると体の向きを変え、ゴブリンと正対すると顔を上げる。



「あのカラスに、これ以上情けない所を見られるのは嫌にゃん。だから、さっさとお前を倒すにゃん!!」



 持っていたコバルトブルーに染まるナイフをゴブリンに突き付け、ミケは高らかに宣言した!


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