第四十九話 異教徒粛清
土手を虐めていた上級生の三人組を、闘技場の様なグラウンドの中央部に立たせたまま、何も起きない時間が続く。
いや、何もない訳ではない。このコロッセオを埋め尽くす大勢の観客たちが、その上級生たちに罵詈雑言を浴びせていて、その一部は、観客席に居る球也たち学校の生徒や先生にも向けられていた。
そうして五分ほど、その時間が続いただろうか。上級生を中心にグルグルと回っていたスポットライトが、フッと消える。会場内が暗闇に包まれた刹那、上級生が出て来た鉄の扉とは反対側の鉄の扉にスポットライトが落とされる。そして、突如として会場内に響き渡る、ダダダッという小太鼓の音。それはまるで、そこから何かが出て来る事を示唆している様だ。
すると、ギギッと重い音を立てて、重厚な鉄の扉がゆっくり開いていく。その奥に灯っていた光が、真っ暗なグラウンドに一筋の線を形どっていき、鉄の扉が開かれるにつれ、その線も太くそして白くなっていった。その様子に、会場の観客たちは興奮を抑えられないとばかりに声を張り上げる。
会場に広がる異様な空気、異様な熱気。それはスポットライトに照らされた鉄の扉が開いていくにつれ、大きく、強くなっていく。だが──!
ドゴオォォオンッ!!!
歓声も小太鼓の音も熱気も狂喜も、それら全てを掻き消す程の大きな──まるで何かが爆発したかの様な音が、モニターから聞こえて来た。その音の大きさに、この画面を映しているカメラマンが驚いて、一瞬、ドーム状になっている天井を映してしまう程に。
シーンと静まり返る場内。一体何が起きたのか、観衆たちも把握しきれていない様だ。ただ一つ、スポットライトを除いて……。
鉄の扉を照らしていたスポットライト。その灯りの先に、先程の音の正体が照らされていた。徐々に開いていたはずの鉄の扉が、十メートルはあろうかという巨大な扉が大きくひしゃげていた。
それも内側から。
ドゴオォォンッ!!
再度聞こえる爆発音! そして、スポットライトが当てられていた鉄の扉は吹き飛んでいく!
「──え?」
強大な扉が、まるでおもちゃの様にぶち壊されるその様子に、誰かが間の抜けた声を上げる。
いつの間にか消えていた小太鼓の音が、その存在を思い出したかの様に鳴り始める中、鉄の扉があった門を潜り、ソイツは現れた──。
「──オーガ……」
それは俺だったかも知れないし、ミケだったかも知れない。多分ギルバードかも。舞ちゃんではないと思う。だが、それにあまり意味は無く、在るのはその名前が持つ絶望感だろう。
剥き出しの地面に、一歩踏み込んで行く赤褐色の巨大な魔物。その姿形は人そのものだが、特筆すべきはその巨体だ。四メートルはあろうその巨体は、別に育ちすぎてこうなった訳ではない。元よりこのおおきさなのだ、オーガってヤツは。
オーガ──人型の魔物として、とても有名な存在だ。俺の好きなラノベにも、有名なゲームにも登場するモンスターである。その作品によって形は細かく違うのだろうが、全てにおいて共通しているのは、その巨体だろう。それだけ、巨体というのは、オーガを語る上では外せない特徴である。その有名な魔物であるオーガが、闘技場に降臨した!
パッと電気の付いた会場内。だが、誰一人として声を上げる者は居なかった。それは、オーガの巨体が放つ威圧感のせいだと思う。
《皆さん、大変お待たせ致しました! 今宵、最初のショーはあのオーガによる、異教徒粛清です!》
静まり返った会場内に、土手の高らかな宣言が響く。その宣言を聞いて、ちらほらと上がった歓声が徐々に大きくなり、そして大きな波へと変わる!
そんな歓声に包まれた会場とは異なり、控室は静まり返る。いや、元より誰も話してはいないけど。
「オーガなんて、またとんでも無いヤツを……。まさかこの世界に居るなんて……」
「……ギルバード、この世界にあんなヤツ居るわけ無いだろ。いや、それを言ったらリザードマンだってそうなんだけど。でも、これでハッキリした! やはり、土手がリザードマン事件を含む一連に関わっている事は間違い無い!」
モニターに映るオーガに、薄く冷や汗を流したギルバードが口にした誤解を、軽く否定する俺。だけど、土手の関与については否定する気どころか、その疑念は確信へと変わった。このイベントを取り仕切っているのが土手だというのなら、あのオーガに関しても関与しているはずだ。
さっきギルバードにも言った様に、この世界にオーガなんて存在しない。にも関わらず、オーガを至って普通に紹介するなんて、最初から知っていないと無理な話だ。それを平然とこなせるという事はどういう事か。それはあのリザードマン達と同じ様に、この世界にどこぞのオーガを呼び寄せたという事に他ならない!
そしておかしいのが、観客たちの反応だ。この世界に居る筈のないあんな化け物を見て、逃げる所かそれを受け止め、悲鳴を上げる所か、歓声を送っている。まるで、それが当たり前の様に。ここまで、この世界は誰かに──恐らくは土手に作り替えられてしまったというのだろうか!?
その現実に、ショックを受けていると、隣の舞ちゃんが何かを感じ取ったのか、薄く目を閉じ、
「……その様です。あのオーガからも、エルーテルの魔力を感じます」
「やっぱりか。それにしても土手のヤツ、粛清なんて言っていたけど、あのオーガに何をさせ──、まさか!?」
オーガの放つ魔力を分析した舞ちゃん。その結果に納得した俺は、この先に起りうるだろうことについて考えた。その考えが想像になり、確信へと昇華する。土手はあのオーガを使って、あそこに居る三人を殺そうとしている!
「止めろ、土手! お前がそいつらを憎む気持ちは分かる! でも、それをしたら、お前はただの復讐者になってしまうんだぞ! そんな風になって欲しくて、球也はあの時、お前を助けた訳じゃねぇんだ!!」
モニター画面に向かって叫ぶ。だが、そんな事をした所で、土手に聞こえる筈は無かった。
ぼろきれの腰布だけを身に纏い、のっしのっしと闘技場の中央を目指していたオーガが、脇に抱えていたその巨体の半分程の大きさがある石柱を軽々と掲げる。
フシュゥゥゥ!!
そして肩に乗せると、大きく息づいた。その口から吐き出された空気が、白い煙となって、空に消える。そして、
《────いけ》
「ヌオォォオオオァ!!」
土手の口から放たれる、冷たい宣告。その合図を聞いたオーガが吼えた! そして、三人の居た闘技場の中央へと走り出す! だが、すでにそこに三人は居ない。 オーガの登場と同時に、自分達の入って来た鉄の門に向かって、走り出していたからだ。
だが、途中でコンタクトになった眼鏡男子が転んだ。それを見た残る二人は助ける所か、見捨てるかの様に、門に向かう速度を上げていく。
《ククッ! アーハッハッハ!! 皆さん、ご覧になりましたか? これが異教徒のやることです。 奴らは平気で人を裏切る! 簡単に裏切って、自分だけが助かろうとする! これが異教徒の行いです!》
上級生たちのその姿を見て、堪らずといった感じで笑い出す土手。そして、転んだ眼鏡男子を置いてけぼりにした、二人の行為を非難する事で観衆を煽っていた。それにしても、さっきから土手の言っている異教徒ってのは一体?
その事を考えようとする前に、土手の声がそれを遮った。
《──さぁ、まずは一人目です! この世界から異教徒が一人、あの御方に救済を求める為、旅立ちますよぉ!》
「なっ!? 止めろっ!!」
転んだ眼鏡男子は、すぐさま立ち上がり二人の後に続こうとしたが、それは出来なかった。彼らと自分の間に、巨体が現れたのだ。眼鏡男子はその巨体を見て、完全に腰を抜かしてしまっている。
そんな眼鏡男子の前に立ちふさがり、見下ろしていたその巨体は、持っていた石柱を大きく掲げる。──そして、
ゴオォォン!!!
俺の制止の声など土手に届くはずもなく、その石柱は振り下ろされた! 眼鏡男子に向けて。眼鏡男子はへたり込んだまま、自分に迫る石柱に向けて、無意識に片手を上げて防ごうとしたが、そんな事で止まる筈もなく、石柱に隠れる様に消えてしまった。
オーガが石柱を上げる。そこには何もない。眼鏡男子を形作っていた物が。振り下ろされた石柱の余りの圧力に、全てが喰われてしまったのだ。でも、そこに彼が居た事は、そこに残った彼の血と、体の破片で出来た赤い染みが物語っていた。
そして「ウワァアァ!!」と沸く観客たち。老若男女問わずその誰の目にも、狂喜に満ちた狂気が浮かんでいた。
《まずは一人、召されました。残るは二人で御座います》
さっきまでの狂笑は消え、儀式でもするかの様に胸の前で手を組み、何かに祈る仕草をする土手。だが、すぐさまその顔に先ほどまでの蔑んだ笑みに変わると、
《さぁ、オーガよ!! 残りの二人も喰ってしまいなさい!!》
「オオオォォォ!!」
残る上級生に向けて指差した土手に、オーガが赤黒く染まった石柱を掲げて応える。そのやり取りにも、歓声を送る観客たち。完全に正気を失った観客の声に、土手はとても満足気に頷いていた。
「……もう、見ていられない。ここから出よう……」
「……凡太さん?」
奥歯が欠けてしまう程に噛み締めた俺は、モニターから離れると、不思議そうな顔をする舞ちゃんと、何やら期待を込めた目で俺を見るミケ。そして、目を閉じて何かを納得したギルバードを尻目に、この部屋の出口だと思われる扉の前に立つ。一見、何の変哲も無いただの扉だが、良く見るとこちら側に扉を開ける為のドアノブが無い。それだけじゃなく、コンコンを軽く叩いた感じだと、ここは金庫室かと思う位厚い鉄か何かで出来ている様な扉だった。有名な怪盗の仲間で、こんにゃく以外何でも切れる刀を持った侍なら、喜んで切ってくれそうな厚さがありそうだ。いや、「また、つまらぬ物を切ってしまった……」と言うかもな。
「……おい、この扉を開けろ。今すぐだ」
思いきりの威圧を籠め、この扉の向こう側に居ると思われる見張りだか門番だかに向けて、忠告する。だが、何も返っては来なかった。
「……もう一度だけ、言おう。ここの扉を開けないと、壊す。これが最後の忠告だ」
だが、やはり反応が返ってこない。無理だと思っているのか、嘘だと思っているのか、それとも誰も居ないのか。
「……分かった。ケガをしたくなかったら、扉から離れる事だな」
最終通告を済ました俺は、最後にそう相手を気遣うと腰を落とし、右腕を真っ直ぐに引く。そして、腕と手に魔力を通した。
魔力を使うのは、魔力のある攻撃しか通じない、エルーテルの魔物を相手にした時以外してこなかった。だから、あのリザードマン事件以降、魔力を使っていなかった。しかし、魔力を通す事で何故だか分からないけど、俺の力が倍増されて行く事に気付いたのだ。これは最近──といっても、あの多比良姫様の御社に居た時に、多比良姫様に魔力を披露していたら気付いた事だった。
「──フッ!」と短く息を吐くと同時に、魔力を乗せた右腕を突き出す!
バガァァァン!!
思った以上の音を立てて、粉々になった扉。その破片を一つ拾い上げるとやはり鉄で出来ていて、そこそこ重かった。おいおい、冗談抜きで、ここは金庫かなんかかよ?
「……凡太さん……」
「ごめん、舞ちゃん。俺、行くよ。このままだと、残りの二人も殺されちゃうし、観客席に居る皆にも、危険が及ぶかも知れないからさ。三人はここで待ってて──」
「いえ、私も行きます。鈴子にも脅威が及ぶのならば、私も行きます」
「……舞ちゃん」
「ミケも行くにゃ。ここに居てもつまらないしにゃ」
「ならば、私も行きましょう。少しはお役に立てますから」
「ミケ、ギルバード……」
心配そうな顔を浮かべた舞ちゃんの後ろから、顔を覗かせたミケとギルバード。ミケは退屈だったのかあくびを噛み殺した顔で、ギルバードはどこか使命感に燃えた顔でそれぞれ俺に頷く。
「……分かった。一緒に行こう」
こうして、閉じ込められていた控室の扉を壊して無理やり出た俺達は、今まさに狂気の現場となっている闘技場に向かうのだった。