episode1
夢と言うのは、目が覚めればすぐに忘れてしまうものだと思っていた。が、そうでもないらしい。私は今回見た夢について、記憶は曖昧にしても憶えていた。白黒の景色。魔法使いのような恰好をして箒に跨る人々が町の中心に向かって飛んでいた。町の中心には雲を貫くほどの大きさの巨大樹が聳え立っていた。巨大樹はまるで建物のように窓が不規則に並べられていて、装飾が施されてあった。私は、それを遠くから見ていた。そんな夢だった。何の意味があるのだろう。夢には必ず意味があると聞いた事がある。白と黒の色のない夢、ストーリー性のある夢。これは私の未来を暗示してのことだろうか。分からない。私の専門外だ。しかしこれが、誰かに見せられていた夢だというのなら、話は別だ。まるで異世界のような景色だった。私は、そこに行ってみたい。行ってみたいという思いが募るばかりだが、しかし現実にそんなものがあればメディアなどで取り上げられていることだろう。それこそ、本当に異世界が存在するのならば、知られていないのも無理はないのかもしれないが。
私の専門は「魔法」だ。この現実社会では「科学」が主流だが、私のようなオカルト好きは、ごく稀に魔法の存在を信じている者がいる。私もその一人と言うだけに過ぎない。魔法は便利な代物ではない。呪術と似たようなものだが相容れないものだ。魔法は何のために存在していたのか、存在するのか、どうすれば使えるのか、——時代は変われど疑問は消えることは無い。私は魔法研究家として、世間一般的には「変人」として名が知れていた。褪せることのない疑問を抱えながら、私は日々研究に励んでいる。もちろん味方など存在しなかった。私を信用する者、私が信用する者などいなかったから。それどころか私は昔から人を寄せ付ける事がほとんどなかった。昔から変人扱いされていたが、私は周囲が思うほど、自分は「常人」だと思っている。だがそれは間違いだった。ある日を境に、私は魔法が使えるようになった。ごく僅かな魔法術だが、物を宙に浮かばせたりする浮遊術。物を燃やしたりする燃焼術。基本的な魔法が、多少、私にも使えるようになったのだ。この現実社会において在り得ないとされていた魔法術を。魔法と呼ばれるようなものは基本的に科学で証明されるものがほとんどだが、私の場合は、本当の意味で「魔法」だった。暫く私の研究は続き、物を変化させることができるようになった。自分が想像したものを、物に向かって魔法を使う事によって発生させることができる。私はその魔法術を使って様々な物を変化させて練習したのち、自分が愛用している万年筆を変化させることに成功した。俗にいう「擬人化」のようなもの。最近流行っているらしいそれを、私は実行した。名前を「ティンテ」という。妖精のような可愛らしい見た目で、全身はインクと同じ色の黒、自我を持ち、自ら体を変態させることができるようだ。とても優秀な妖精だった。彼女が食べるものはもちろんインク。だが人型の時は何でも飲食ができるようで、試しに私が作ったタルトのかけらを渡すと、気に入ってくれた様子でタルトを全部食べつくす勢いでむしゃぶりつき、狂ったように食べていた。
そんなティンテと共に過ごすようになり、私の研究は今少し滞っていた。
昔のようにだらけた生活を送り始め、気が付けば時だけが過ぎて行った。私も年を取るだけになってきた。夜更かしをしてから眠ると、いつも昼過ぎに起きることになり、よくティンテに怒られている。このままでは駄目だ、と私は決意した。
〈——明日、私はエリーゼの墓参りに行こうと思う。そこでエリーゼと約束を交わす。それで、このだらけた日常を終わらすのだ。〉
今ではすっかり習慣化した日記にそう記し、私は本棚の間をすり抜けてベッドに入った。
翌朝、私は朝六時に起きる事が出来たようだ。
「やるじゃない、リーゼ」
ティンテは棚の上に立ち、腰に手を当てて偉そうに私を褒めた。
「ほら、ちゃっちゃと支度しなさい!」
「はいはい」
ベッドの隣にあるクローゼットから普段着に着替え、自室を出るとキッチンへ向かい、朝ご飯を用意してティンテと共に朝食を済ませた。身支度を手早く終わらせると、私は裏口から親友の墓へ出向いた。
ドイツ、ラウフ郊外。
質素な墓が並ぶ中、私は一つの墓の前に立ち、道中で買っておいた花束をそこに添えた。墓には、「Elise・Berger」と書かれている。私の親友で、一番仲が良かった。——とても愛していた、私のエリーゼ。
ティンテは私の胸ポケットから顔を出し、私の顔色を窺っていた。
「大丈夫?」
「……大丈夫よ」
「そうかしら?大丈夫そうに見えないわ」
「……」
不思議と涙があふれた。
彼女の死をきっかけに、私はこのラウフへ移り住んだ。家出同然で。
私の家は、そこそこ大きな土地の地主で、金持ちだった。ガーブリエル家の長女として、一人娘として、最初は大事に育てられていたが、次第にエリーゼと会うようになってから、私への態度が悪くなっていった。家族と、親戚までも私を煙たがった。多分、エリーゼの事もそうだが、私の将来や好きな物事に対しても冷めきっていたので、それも関係しているのだろう。私に兄弟はいないから、家を引き継ぐのは私しかいなかった。だから、大事に大事に育てられていた。両親は途中で気が付いたことだろう。私が家を継ぐ気がないことを。だからだんだん、私への扱いがエスカレートしていった。虐待同然の扱いだった。
——今はそんな話どうでもいい。
私は、彼女と約束をするんだ。
「……必ず、変わってみせるわ。貴方としっかり、話せる時が来るまで、私は頑張る。魔法を研究して成果を出して、世間に認められて、そんな魔女に私はなる。なってみせる。だから、見守っていてね、エリーゼ。愛しているわ」
そう言って、私は墓石にキスをした。
「さて、戻るわよ、ティンテ」
「え、うん」
「ティンテ?」
ティンテは何か落ち着かない様子だった。辺りをきょろきょろと見渡していたので、私も同じ行動をとった。すると、西の方角に、目の先に見知った人影を見つけた。
「あら、奇遇ね」
私に声をかけてきたのは、高校時代の友達だった。
「ヴェーガ……」
「ふふ。親愛なるエリーゼのお墓参り?」
「そうよ」
彼女はヴェーガ。高校時代の友達と言えど、途中からあまり話さなくなった。——あまり思い出したくない。
「何年ぶりかしらね~リーゼロッテ。昔から研究していたでしょう?何だったっけ、魔法?」
「そう、魔法よ」
「その胸ポケットに入れているものもそうなのかしら」
そう言ってヴェーガはティンテの方を指さした。ティンテは胸ポケットの中で少しだけ震えていた。
「大丈夫よ。取って食ったりはしないわ。それどころか興味あるもの!不思議な物とか生き物が好きなのよねえ」
「そういえば、貴方の父親は探検家だったわね」
「そうよ!色々な物を私に送ってくれたわ!本だったり小物だったり。生き物はさすがに無理だったようで、標本とかね」
「そう……。この子は、ティンテというの」
胸ポケットの目で手のひらを出すと、ティンテは警戒しつつも私の手のひらに乗った。
「まあ!可愛い!」
「私の魔法で万年筆を擬人化したの」
「可愛いわね~!ぜひうちにもほしい位だわ!」
「あげないわよ」
「大丈夫、本気じゃないから!」
エリーゼの墓の前でそんな話をしていると、昔を思い出す。昔、高校時代、こうやって三人で他愛もない話を交わしていた。そんな事もあった。エリーゼがまだ元気だった頃の話。——頭痛がする。
「そうだ。ねえ、リーゼロッテ。面白い話があるのだけど、一緒に来てくれない?」
「どこへ?」
「あたしの古書店に!」