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病院の怪 11

 ミナは病室の扉に手を掛けた。


「(あぁ、開けたくないな…)」


 この感覚は、少し前に感じたことがある。

 開けたくない。見たくない。進みたくない。けれど、何を思ったって進まなければいけないという思いがミナを突き動かすのだ。

 前はその理由が分からなかった。だからお母さんに会うためだと結論付けた。だけど、それは結果論でしかなかったと今なら分かる。


「(でも、開けなければいけないんでしょう)」


 誰に言うこともなく、ミナは独りごちる。


 開けなければいけない理由は、そうしなければミナは『主人公』ではなくなるからだ。

 『主人公』でなくなったミナはお母さんに会えなくなる。だから、ミナはこの扉を開けるしかないのだ。


「はぁ…」


 あぁ。自由になりたいな。


 ガラリと音を立てて開いた病室には、誰もいなかった。しん…と静まり返った物も何も無い殺風景な白い部屋がミナを出迎えた。

 ミナはこの病室を知っている。

 病院の消毒液の匂いがした。


「私はここを知っている」


 窓側にあるベットの横に一つだけ置いてある日記を手に取った。

 表紙に『私のこと』と書かれた日記をパラパラと捲る。



──────

私は交通事故で入院した。意識を取り戻したのは今日から。だから暇な時に日記を付けることにした。

──────



 一番最初のページに書かれていたようにそれ以降の日記は日付は飛び飛びで長さもまちまちだ。



──────

体が痛い。

──────



──────

足は両足折れてる。腕も、顔も、包帯が取れない。

──────



──────

夜中に痛くて目が覚める。

──────



──────

日記を付けてることを知ったお医者さまはこれならすぐ良くなりますよ。と言った。リハビリも含めて出来るだけ書こうと思う。

──────



──────

私を轢いたのは信号無視の車。許さない。

──────



──────

痛かった。今も痛い。でも大丈夫。治るから。

──────



──────

今日はお母さんがお見舞いに来た。話したのは久しぶり。嬉しい。

──────



──────

今日から面会が許された。友達が来た。楽しかった。でも包帯だらけで恥ずかしい。

──────



──────

今日は先生が来た。元気になったら沢山宿題を出すって言われちゃった。やだな。

──────



──────

今日は検査の日。問題は無いって言われた。

──────



──────

まだ体は痛いけど、治すから早く退院したい。

──────



──────

今日は誰が来るだろう。

──────



 その日記は最初はそんな風に怪我の状態や、お見舞いに来た人のことが書かれていた。

 けれど、途中からその日記は少しずつ歪んでいった。



──────

どうして退院できないの。

──────



──────

嘘つき。すぐ良くなるって言ったくせに。

──────



──────

なんでって聞いても教えてくれない。

──────



──────

痛い!身体が痛い!!

──────



──────

苦い薬はもう嫌だ!

──────



──────

お母さん。助けて。

──────



──────

あなたのためよって言う。嘘つき。嘘つき。

──────



──────

どうして私は、ただ。

──────



──────

誰も来ない。

──────



──────

誰も来ない。

──────



──────

誰も来ない。

──────



──────

私はもう動けない。

──────



 字も段々と乱雑になっていく。そして、ページはしばらく真っ白のまま続いていく。

 パラパラと捲っていると、最後の方にも何か文字が書いてあるのを見つけて手を止める。それはまるで血で書いたように赤く、ミミズがのたうったような文字だった。



──────

今日、ここに新しい子が来る。その子も交通事故なんだって。可哀想だね。私と一緒だね。

──────



──────

プレートの名前を見たの。『更科実成』だって。男の子かな。

──────



──────

その子が来たら、私と代わってもらおう。同い年みたいだし、きっと馴染む。でも、男の子だから男の子っぽく振る舞わなきゃ。

──────



──────

良いよね。だって、私は悪くない。したいこともたくさんあるの。

──────



──────

入って来たのは女の子だった。でも、問題ない。むしろ好都合。

──────



──────

あの子が起きる前に、こっちに連れ込んで殺さなくちゃ。私があの子に成り代われない。

──────



 そこまで読んで、ミナは鞄からシャーペンを取り出すと文字を綴った。



──────

私を帰して。

──────



 返事は直ぐに来た。まるで紙の下から浮かび上がるようにじわりと赤い文字が現れた。



──────

どうして?

──────



 その一文を見たミナはノートをぐしゃりと握りつぶした。


「だから嫌だったんだ。話の通じないやつの相手をするのは…」


 交通事故で入院した自分を良く分からない理論でこんなところに連れてくるヤツだ。「帰して」と言って「はい。帰します」なんて言う殊勝なヤツだとは最初から思ってない。

 それでもどうせミナはどんな手を使ってでも帰るのだ。だったら余計な手間をかけさせないで欲しい。


 筆箱の中に入っていたカッターナイフを手に取り日記をめちゃくちゃに切り刻む。

 赤い血のようなものが切り裂いた紙の間から出たがミナは気にせず気の済むまで切り刻んだ。


 ふと、バンッと何かを叩くような音がして振り向くと、白い壁にデカデカと『代わって』と言う文字が書かれていた。文字の下に滴る赤がまだ乾いてないことを知らせる。


「嫌だって言ってんだろうが」


 ミナはボロボロになった日記を床に叩きつけた。

 すると、再びけたたましく鳴る音と共に『代わって』という文字が病室の一面を埋めつくした。白かった部屋は一瞬にして赤く染まる。


「てめぇが同じ立場で「はいどうぞ」って言えるんかゴラァ」


 女の子としてしてはいけないほど顔を歪めてメンチを切るミナはそれはドスの聞いた声で怪異に立ち向かった。

 落ちた日記は踏み潰した。


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