???の怪 2
スマートフォンが機能して真っ先にミナがとった行動は電話をかけることだった。
緑の電話マークを押して『お母さん』と書かれた連絡先へ通話をかける。
しかし、ツーツーという無機質な機械音ばかりで電話は一向に繋がらなかった。
「…………どうして」
電波が悪いわけでも充電が無いわけでもないのに繋がらない通話にミナは疑問を口にしながらも本当は分かっていた。この電話が母に繋がることは無いということを。
ミナは諦めてスマートフォンを鞄にしまうと今度こそ家に帰るために階段を降りようとした。
しかし、ふと目にとまった踊り場の鏡にミナの思考は停止した。
「!」
鏡に写ったミナがこちらを見て笑っていたのだ。口角をこれでもかという程に釣り上げて、不気味に笑ってミナを見上げていた。
「やっぱりあの時壊しておけば良かった…!」
『無駄だよ』
「っ!」
ミナの言葉に返したのは鏡の中のミナだった。
『鏡に姿を写し取られたあの時から、ミナはもう詰んでる。あの鏡を割っても意味が無い』
「じゃあ校舎の鏡を全部叩き割ってやるわよ」
『…………』
即答された言葉に鏡のミナはピタリと笑うのをやめた。
『それは…ちょっと…』
「ちょっと?何よ」
『…………困るわ』
鏡のミナの言葉にミナはにっこりと笑った。
「うらぁ!!!」
そしてミナは取り出していたハンマーを鏡に向かって全力で投げた。そのフォームはとても美しかった。
ガシャンっ!という音を立てて鏡は盛大に砕け落ちた。
『ま、だ…、はな、し……と、ちゅ』
小さな鏡の破片から声だけがする。割れた鏡の全てから声がするので何重にも重なった声は一種の不快ささえある。
「うるさい。私は家に帰るんだから、邪魔しないで」
『………ぅな………ミ、…ナ、』
「何?」
『可哀想なミナ』
その言葉が合図だったかのように学校中の鏡の中から一斉に甲高い笑い声が響き出した。
『なぁんにも知らない憐れなミナ!』
『ぜぇんぶ無駄なのに気付かないミナ!』
『可哀想!あぁ可哀想なミナ!』
『諦めたら楽なのにね!』
『そしたらまた始めからなのにね!』
『あはははは!!!ミナは可哀想!』
『知らないままのが幸せなのに!』
『中途半端なミナは可哀想!』
『可哀想!』
『可哀想!!』
四方八方から飛び交う言葉にミナはついに耳を塞いでしゃがみ込んだ。
「うるさい!うるさい!!」
どんなにミナが声を張り上げてもそれを消すほどの声がミナを嘲笑う。
『結局ミナも私たちと何も変わらないのに!』
「違う!!」
張り上げた声に笑い声はピタリと止んだ。
「私はあんた達とは違う!」
『何が違うの?』
割れた鏡の破片から覗く目がミナを捕られる。
キョロリと動く無数の目が静かにミナに問う。
『私もミナも同じなのに、何が違うの?』
「同じって…。例え、あんたが元人間だったのだとしても、私は生きてて、あんたは死んでんだよ」
『…………あー。そうかぁ』
ミナの答えに鏡は何かを納得したような声を出した。
『ミナは覚えてないんだ。それとも、忘れたフリ?』
「何を、」
『自分がこの世界のキャラクターだって』
「は?」
『ここはね、ゲームの世界なんだよ。私たちは作られた存在なんだ』
「なに、言って…」
『ミナだって本当は気付いてるんじゃないの?』
「…………意味、分かんない」
ぞわりとした寒気がミナを襲う。これは、今のミナの根底を覆すような、そんな話だ。
ミナはより一層強く耳を塞いだ。
『この世界はホラーゲームの世界。ミナは主人公なの。外の世界にはプレイヤーが居て、ミナはその人の思った通りに動くキャラクター』
それでも四方からする鏡の声はするりとミナの耳に入ってくる。
ミナは、鏡の言うことを理解することが出来なかった。
「わ、たしは、人間、だ。生きてる、人間だ」
『そうだね』
鏡はあっさりと肯定した。
『この世界でミナは生きてる人間だよ。そういう設定なんだから』
「違う!私はちゃんと、自分の意思で…!」
『それは本当に自分の意思なの?』
鏡が嗤う。自分は全て分かってるとでも言いたげな口調でミナを見下す。
『ねぇ、ミナはどうしてあの音を無視して昇降口へ向かわなかったの?』
「え…」
『行けないよね?だって、あれはお母さんに会うために必要なイベントだったんだもの。そして、あと一つ、残ってるイベントがある』
ミナの脳裏に鞄に入った体育館の鍵が思い浮かぶ。
「……そんなの、関係ない。私はもう、帰るんだ。帰って、お母さんに…」
『……ミナはどうしてお母さんに会いたいの?』
「どうして…?」
『ミナはそれがハッピーエンドだって知ってるんだよ。だからミナはお母さんに会いたいんだ』
「ちがう。わたしは、おかあさんに、ただ、あいたい、だけ…」
鏡の言うことを何一つ理解出来ないまま、ミナは言葉を返した。
それを鏡は嘲笑う。
『予言してあげよう!ミナがお母さんに会って思うのは安堵でもなく絶望だよ』
確信を持った言い方だった。
『きっとミナはその時、私の言った言葉を真に理解する。それはとてつもない絶望だろうねぇ。それを目の当たりに出来るのをとても楽しみにしているよ』
砕けた鏡に写る唇が歪に歪んでいる。
『あぁ。そうだ。これだけは言っておかなくてはね』
楽しそうに唇を歪めながら、鏡は言う。
『体育館には向かった方がいい。いや、向かうしかないと言うべきか…。まぁいい。行くことは確定しているのだから。そこで、君は知るだろう』
「なにを、」
『この世界がゲームの世界であることを』
その言葉を最後に鏡は姿を消した。
鏡の言葉がぐるぐると頭を巡り、ミナはしばらくその場を動くことが出来なかった。