魔王の娘
レイがギルドをあとにしてから1時間ほどが経過した。あれほどあった飯はほとんど食べて食後の紅茶を楽しんでいた。
「遅いね、レイちゃん」
エナが紅茶を啜り言う。
もしかしたら今日初めて来た街だから迷子になっているのかもしれない。
「まあ、あいつのことだから大丈夫だと思うよ」
「ところで仁くんとレイちゃんの関係ってなんなの? 兄妹っていう感じはしないのよね〜、まさか彼女とか!?」
身を乗り出して俺に問うエナ。顔が近い! 童貞にはこれでもダメージデカいからやめてほしい。いや、やめなくてもいいな。
「たしかに兄妹ではないが...。でも彼氏彼女の関係でもない。残念だったな」
俺が悪戯っぽく言うと期待が外れたのか口を尖らせる。
「じゃあなんなのよ...、ここまで来たら逆に気になるよ」
そこで俺は考える。果たして言っていいのだろうか。おそらくエナとは長い付き合いになりそうな予感がする。
社畜歴10年の勘だ。
ここで隠し事をするのは得策ではない。
「じゃあ言うけど、これから言うことは全部本当のことだからな?」
前置きをしておく。あまりに現実離れしていて頭がイカれたやつと思われるかもしれないからだ。
エナはゆっくりと頷く。
そこで俺はすべて話した。
レイが天使で俺を魔法を授けに来たところを俺が半ば無理やりにこの世界に連れてきたこと。
あ、もちろん童貞っていうのは言ってない。そんなこと言った日にはゴミを見るような目で見られてしまう。
暫く無言だったエナは思考の整理が出来たのか、大きく息を吐く。
「大体はわかったよ。というか仁くんたち〝も〟この世界の人じゃないんだね」
「〝も〟ってことはエナも?」
しかし俺の考えは違ったようでエナは首を横に振る。
「いいや、あたしの先祖がそうだったみたい。魔王を倒した勇者が異世界から来たらしいよ」
異世界行って勇者になったなんてカッコよすぎだろ。魔王を倒したということは人類の英雄ということだ。その英雄の末裔と知り合いなんてなんだか鼻が高い。
「結局その勇者は元の世界に帰ったのか?」
「いや、そんな話は聞いてないよ。若くして亡くなったらしくて。当時流行っていた病にかかって」
魔王を倒した勇者でも病には勝てなかったというわけか。
勇者はどういう人なのだろうか。今となっては叶わないことだが、会ってみたいという気持ちになった。
「あ、レイちゃん帰ってきたよ」
エナがギルドの入口を見て言う。
俺も視線をそっちに向ける。すると少し元気になったような気がするレイがいた。
レイは俺たちの姿を見つけると、こっちに来て席に座る。
「大丈夫か?」
「? 何がです?」
「いや、なんか元気がないように見えたから」
「少し考え事をしていまして。心配かけてすみません」
レイはそう言うとポケットから巾着を取り出して机の上に置く。
「銀貨1枚だけ使っちゃいました」
「気にするな、明日必要品買いに行くから何買うか決めとけよ」
「わかりました」
普通に戻ったレイを見てエナは「ところで」と話題を変える。
「仁くんたち、今日の宿決まっているの?」
「あ...全然考えてなかった」
さすがに宿に泊まらないということはできない。今日は色々なことがあったから布団に入って惰眠を貪りたい。
「よかったらあたしの泊まってる宿に来る? たぶん空き部屋があったはずだから。それにあたし常連だからちょっとは割引してくれるはず」
「本当か? 助かる」
一瞬、一緒の部屋だと思ってドキッとしたが俺の淡い期待は音を立てて崩れ去る。
「...仁さん、今やましいこと考えましたね?」
ジト目で俺を睨むレイ。なんだこいつ読心術でもあるのか。
「とりあえず時間も時間だし行ってみましょう」
俺たちはギルドをあとにした。
ーーー結果から言うと宿は空いていた。
しかし、一部屋しかなくて困ったもんだ。
この時間帯、ほとんどの宿屋は満室で今から新たな宿を見つけるのは難しいらしい。
幸い、空いていた部屋は2人用なので寝る分には問題ない。
だが。倫理的な問題が発生している。
1つの部屋に男女が。もちろん何も起こるわけがなく。という展開があるのだ。
レイは可愛い。俺もレイ相手で何もしないという自信はない。
1回、エナとレイがこの部屋を使うという案があったが驚くことにレイがこの案も断ったのだ。
まさか、こいつ。俺に気が。あるわけないか。ということで俺とレイが2人部屋を使うことになった。
「妙なことしたら殺しますよ」
冗談じゃないトーンで恐ろしいことを言うレイ。
「天使が殺すとか言っていいのか? 紛いなりにも神の遣いだろ」
「神も身の危険が迫ったら鉄槌を下せと仰っていました」
「まあ、それはそれとして1つ聞いていいか?」
「なんです?」
「おまえ、本当にレイか?」
俺のその一言で部屋は静まり返り、まるで時間が停止したような感じだった。
「......どうしたんですか?」
「いや、確証があるわけじゃないが...なんというかレイはレイなんだけど中身が違うというか...俺も上手く説明できないけど」
この気持ちになったのはレイがギルドに戻ってきた時からだ。
目の前に立っているレイを見つめると肩を震わせて、大きく嗤いだした。
「アハハハハッ! まさかこんなやつに見破られるとはな!」
レイの周りから闇のようなオーラが出現して目が怪しく紅色に光る。
肌を刺すようにオーラが満ちる。
「レイはどこにいる!? おまえは誰だ!?」
「質問が多いのぉ。我は魔王の娘だ。勇者に封印されていたがの。この娘、レイとかいったか。そいつの精神は我の中にある」
「何が目的だ?」
「目的...? そんなものない。我が愉しければそれでよい。それ以上に求めるものなどない」
そう言って彼女は新しい玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべる。
「1発で我を見破った貴様だ。特別に我の眷属としてやってもかまわんぞ」
「魔王の眷属なんて仲間が聞いたら殺されそうだな」
エナに知られたら8回くらい殺されるだろうな。
「まあ、貴様の意思など関係ない。無理矢理眷属にするだけだ」
レイは指を鳴らす。刹那、浮遊感に襲われ顔をしかめる。そして俺はどこかの地下室のような場所に転移していた。
部屋の床いっぱいに魔法陣が描かれ、その中央には黒髪の少女が座っていた。その頭には小指の第一関節ほどの真紅の角が2本生えていた。レイはその少女の隣に行く。
「それがおまえの正体か...」
雰囲気でなんとなく分かった。
少女は満足気に口角を上げる。
「この魔法のせいで我は外に出られない。そのためには眷属を集めて破壊するしかない。その糧になれ」
少女は右足で地面を叩くと魔法陣の周りにオーラが発生する。
どうやら閉じ込められたようだ。
「こちらは2人に対して貴様は1人だけ。勝敗は決まっているが抵抗するのか?」
「生憎こっちの世界に来て1日だからな。もう少しは堪能したい」
「そうか、残念だ。ならば死ね」
少女は右手を上げる。少女の周りから5つほどの大小様々な魔法陣が展開される。魔法陣から黒い氷柱状のものが無数に俺目掛けて放たれる。
慌てて俺も魔法陣を展開して同じ氷柱状のものを放つ。
相殺され、お互い無傷だ。
ぶっつけ本番だったが上手くいった。
「ほう、少しは骨があるな。だがーー」
そこで俺はさっきまで少女の隣にいたレイの姿がないことに気付く。
「分が悪かったな」
俺の背後にレイが回り込んでいた。
そして祈るように両手を組んだ。瞬間、俺の足元に黒い魔法陣が展開され、怪しく光る。
グラッ!!
全身から力が抜けるような感覚に襲われ膝をつく。
「なんだ...これ...」
「元々は回復魔法だが、堕天したせいで反回復魔法になったようだな」
「堕天...?」
よく見ると純白の翼だったものが黒い禍々しい翼になっていた。
「貴様の魔力は我の糧となる。しかし凄いな。力が溢れてくるぞ...。少々セーブ出来るか分からないが、まだ死ぬなよ」
少女は巨大な魔法陣を展開して黒い稲妻を放つ。喰らったら間違いなく死ぬ。本能がそう告げる。
(でもどうする!? 水魔法なら感電してしまう!)
防ぐためには同属性の魔法をぶつけるしか。しかし、俺の知っている雷魔法はアレしか知らない。
(考えてるヒマはない! やるしかねぇ!)
「穿て、我が雷は槍となる!」
雷属性の魔法を展開する。エナには悪いがパクらせてもらう。
成功して、一閃の稲妻が放たれる。
これも同等で相殺される。
「力を抜かれてこの威力か...」
少女は余裕そうに俺を見つめる。
俺はというと大きく肩で息をしている。汗が頬を伝う。
四つん這いになり、呼吸を整える。
しかし、そんな隙は与えてもらえずレイの反回復魔法が発動される。
だが身体が言うことを聞かない。
「ぐああぁぁぁぁッ!!!」
「ふん、残りカスだったか...」
もう言葉を発する力もない。俺の意識は堕ちていった。