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オアハカ幻想

作者: 三坂淳一

「 オアハカ幻想 」(時代背景は1978年11月)


 「セニョール・トヨタ! ようこそ。ご予約は承っております」


 豊田栄一は、オテル・マルケス・デ・バリェのチェックイン・カウンターの前に立ち、名を告げた。

 ホテルのフロント・マネージャーが愛想よく、豊田を迎えた。

 豊田の部屋は319号室だった。鍵を受け取り、大きな階段を上って、三階に上がって行った。中庭を見下ろす回廊を歩き、部屋に入った。

 ホテルはコロニアル風の古風な造りであったが、部屋は現代的な感じで快適な雰囲気だった。壁は白を基調としており、清潔感が漂っていた。

 豊田はバッグを窓際のベッドの上に放り投げ、ドアに近い方のベッドにごろりと横になった。ベッドのクッションは堅めで、少し腰痛持ちの豊田には安心感を与えた。胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。少し、眠くなった。


 今日は朝早くメリダを発ってきた。その疲れが今ごろになって出てきたらしい。豊田は寝そべりながら、部屋の中を観察した。

 ツイン・ベッドの部屋で、ベッドのフレームは木製であったが、どっしりとしていて頑丈な造りだった。ベッドのカバーは白をベースとし、グレイとマリン・ブルーの縞の模様が入った、シンプルなデザインで窓のカーテンとペアとなっていた。なかなか洗練されていると思った。ベッドの上には、このオアハカ州の豪華な民族衣装を纏ったインディオの水彩画を入れた壁掛けが掛けられている。壁はマーブル・ホワイト、電話は古風な黒の電話、ベッドのサイドテーブルには燭台が置かれ、その炎の代わりに小さな裸電球が差し込まれているといったインテリアだった。窓にはブラインドが付けられており、その隙間から洩れてくる陽の光が部屋の床面に明暗の縞模様をつけていた。


 季節は11月となっていたが、部屋の中は暖かく快適だった。

全て、のどかで安らぎに満ちていた。

 今は2時。4時まで寝て、それから行動しよう、と思いながら豊田は快い疲れの中で眠りに落ちていった。


 小鳥の声で目を覚ました。

 ベッドのサイドテーブルに手を伸ばし、腕時計を探った。

 4時半になっていた。

 汗をかいていた。起き上がり、浴室に行って、冷たいシャワーを浴びた。それから、ベッドに戻り、腰をかけ、タバコに火をつけた。それから、日本で買った旅行案内書を取り出し、オアハカの頁をめくった。遺跡めぐりは明日として、今日はソカロ(プラサ・プリンシパル、中央広場)周辺を歩きまわることに決めた。窓のところに行き、ブラインドを指で押し下げて、外の風景を見た。大分、太陽は西に傾いていた。夕方の静かな風景を暫く眺めた。夕方の風景はいつ見ても美しい。日本でもメキシコでもその美しさに変わりはないと豊田は思い、遠く離れた日本の夕方の懐かしい風景を想った。


 フロントに鍵を預け、ホテルを出た。

 このオテル・マルケス・デ・バリェはソカロに面しており、古風な造りだが、いかにもコロニアル風の趣があり、豊田の好みに合っていた。彼は旅行案内書を片手にぶらぶらとソカロを歩き、カテドラル(大聖堂)を見物した。くすんだ緑の石材で造られた、この寺院はとりたてて豊田には感動をもたらさなかった。メリダのカテドラルの方が良い、と彼は思った。

 5ブロックほど歩いて、サント・ドミンゴ教会に行った。この教会の方がずっと良かった。青と白の格子状のドームが二つ、オアハカの夕焼けの空に映え、溶け込むかのように空に屹立していた。暫く、そのどっしりとした壮麗な姿を観ていた。それから、教会の中に入って行った。1575年から約一世紀という長い年月をかけて建立されたと云う、この教会はメキシコ・バロックの最高傑作と賞賛されている。聖ドミンゴを中心として聖人を配した「生命の木」の天井に先ず圧倒された。木彫りのレリーフに金箔を惜しみなく貼りつけたこの天井は見る者を感動させずにはおかなかった。その後で、豊田は黄金で造られた主祭壇とサンタ・ロサリオ礼拝堂を観た。全てが黄金で包まれており、眩いばかりの黄金の輝きは観る者を眩惑させるに十分であった。オアハカは金が採れる産地ということで知られたところであるが、これほどまでの黄金を集める、その執念にも似た情熱には驚くばかりだった。

豊田は、ふと、奥州平泉で光堂を観た芭蕉の驚きを想った。侘び・寂びを愛した芭蕉も、この時ばかりは黄金の妖しい輝きに眩惑されたことだろう。

 教会を出た時、豊田はある種の解放感を覚えた。少し、溜息をついた。


 隣接したオアハカ地方博物館に入った。

 ここにはモンテ・アルバン及びミトラの両遺跡からの出土品が展示されている。

 中でも、モンテ・アルバン遺跡から出土した秘宝は素晴らしく、豊田は時を忘れて見入ったほどであった。宝石を散り嵌めた王冠とか金銀のアクセサリー、薄さ1ミリ程度まで磨きぬかれたガラス細工などは、この地方を支配したサポテカ族、ミシュテカ族の高度な文化を語ってあまりあった。その他、インディオの民族文化に関する展示も数多くあり、豊田は興味深く観てまわった。

 

豊田は二階の回廊に出て、夕焼けの空を眺めた。

中庭には噴水があり、赤と黄色の花がその噴水の周りをとり囲んでいた。

隣のサント・ドミンゴ教会の二つのドームがアーチ型の白い回廊の屋根から、その華麗な姿を覗かせていた。

豊田は階下に降り、噴水のある中庭を歩いた。ピンク色の大きな花をつけた木がそこかしこに立っており、豊田をロマンチックな気分にさせた。この中庭をアマポーラと歩きたいと思った。メリダで豊田の帰りを待つアマポーラの顔を想い浮かべ、少し切ない気持ちになった。今頃、アマポーラは何をしているだろう、音楽でも聴いているのだろうか、それとも、妹のエマと他愛ないお喋りでもしているのだろうか?


 博物館を出た時には、日はとっぷりと暮れ、既に夜になっていた。

 豊田はソカロから家路を辿るインディオとすれ違いながら、ソカロに向かって歩いた。ソカロは夕食前のひとときを散歩する人々で満ちていた。ソンブレロの形をしたソカロ

の休憩所のベンチも人で満席となっており、豊田はやむなく、道路に面したカフェテリア

のテーブルの椅子に腰を下ろした。すぐにウエイターが注文を取りに来た。カフェ・コン・

レチェ(ミルクコーヒー)を頼んだ。タバコを喫いながら、人で賑わう夜のソカロを眺め

た。オアハカはインディオの人口比率がメキシコで一番多いと云われている街であった。


 街は昔のコロニアルの面影を残しており、街路は碁盤目状に区割りされていた。メリダ

と同じで、道は極めて判りやすいな、と豊田は地図を広げながら思った。

 海抜1550メートルということもあるのか、夜になるとかなり涼しい風が吹いていた。

 豊田は白のサファリジャケットを着た。

 ソカロの中心から、快いマリンバの音が聞こえてきた。今夜はマリンバの演奏でもある

のか、豊田はコーヒーを飲み干して立ち上がった。チップ込みの金をテーブルの上に置き、

豊田はカフェテリアを去り、マリンバの音のする方向に歩いて行った。

 

一台のマリンバを三人で演奏していた。暫く、足を止め、マリンバの柔らかで耳に快い

響きを楽しんだ。その軽やかでテンポの良い響きは豊田の心を躍動させた。演奏の傍らで

彼らの演奏が入ったカセットテープが販売されていたので一枚買った。豊田は音楽好きで、

メリダでもメキシコシティといった旅行先でも気に入ったグループのレコードとかカセッ

トテープがあれば、即座に買っていたのである。


 アマポーラと初めて言葉を交わしたのも、実はこの音楽好きが絡んでいたのであった。

 9月の中旬頃、学校の講義の後、管理棟のソファーに座って、彼と同じ社会人研修生の

陸奥と話しながら寛いでいると、学生グループの奥村志保美が近づいてきて、今夜、アマ

ポーラの誕生パーティがあるので行きませんか、と誘いの言葉をかけてきた。陸奥は即座

に同意し、豊田も陸奥が行くならば、ということで一緒に行くこととした。

 

陸奥と語らって、セントロ(街の中心部)に行き、酒を買ってアマポーラの家に行った。

 アマポーラは人類学科の二年生であり、顔は知っていたが挨拶程度であり、話はしたこ

とは無かった。

 アマポーラの家の居間は親しい友人でいっぱいだった。豊田と陸奥が行くと、アマポー

ラの母親が出迎えて歓迎してくれた。

 「ようこそ。貴方がたのお仲間も大勢居ますよ。さあ、お入りなさい」

 アマポーラの母親に促されて、パーティが開かれている居間に入っていくと、柾木義彦、

斉藤雅彦、越出美加、山田ひとみ、早川緑、そして奥村志保美が居た。他に、アマポーラ

のクラスメートが男女合わせて5、6人ほど居て、居間は賑やかな雰囲気に包まれていた。

 

アマポーラが嬉しそうに近づいてきて、陸奥と豊田に礼を言った。豊田は日本から持っ

てきた扇子をアマポーラにあげた。アマポーラはその扇子を開いては閉じ、閉じては開く

といった仕草を繰り返し、とても喜んだ様子を示した。豊田はその仕草を見て、可愛いと

思った。


 「エイイチ、ギターが上手なんだって? シホミから聞いているのよ。何か、弾いて歌

ってくれない?」

 アマポーラが豊田に歌をねだった。ホセと呼ばれた男の学生が豊田にギターを渡した。

 豊田は照れに照れたが、カンテ、カンテ(歌って)というみんなの催促にあって、ソフ

ァーに座り、ギターを弾きながら唄った。豊田はなかなかの美声で、原語でベサメ・ムー

チョを唄った。

 

この唄はメキシコ人のコンスエロ・ベラスケスという女性の作詞・作曲になるもので、

日本では一番ポピュラーなラテン・ソングといってよい、有名なカンスィオン(唄)であ

る。


 豊田の弾き語りに合わせて、全員が歌った。アマポーラも楽しそうに豊田のギターに合

わせて歌った。歌い終わると、すぐアンコールされた。

豊田は、日本の歌です、と前置きして、井上陽水の「二色の独楽」を唄った。唄いなが

ら豊田はふと、日本の柔らかな故郷の風景を想い、思わず涙が滲むのを覚えた。澄んだ声が時々かすれた。その場に居た日本人には豊田の気持ちが痛いほど分かった。誰もが豊田の唄に郷愁を感じていたのであった。

 陸奥が小声で唄い、励ましてくれた。

 豊田が最後のフレーズを唄い終わった時、大きな拍手が起こった。アマポーラの母親も、

ムイ・ビエン(とても素晴らしい)、ムイ・ビエンと言いながら、豊田に駆け寄り、頬に軽

くキスをした。

 その夜、豊田はスターであった。


 オアハカのマリンバ演奏が終わった。豊田は去りがたい気持ちを抑えつつ、人込みの流

れに任せ、その場を離れた。

 ホテルに戻り、レストランで夕食を摂った。食欲があまり無かった。ワインを飲みなが

ら、海老と牡蠣のカクテルだけにしておいた。レストランの中は閑散としており、客と言

えば、豊田の他、数名の男女が居るばかりだった。7月末のゲラゲッツァの祭りの頃はど

このホテルも満室とのことであるが、11月の今はシーズン・オフであり、レストランの

ウエイターも時々軽くあくびをしていた。暇を持て余しているんだろう。豊田は微笑みな

がら、ワインを飲み干した。

 部屋に戻り、シャワーを浴びてベッドに横になった。すぐに寝付いた。


 翌朝は、部屋の窓のブラインドから洩れてくる陽の光で目を覚ました。

 ホテルのレストランで、コンチネンタル風のあっさりとした朝食を摂ってから、ソカロ

に行き、ベンチに座り、暫く本を読んだ。朝のソカロは昨夜と異なり、人影も少なく、く

つろいだ時間を過ごすことができた。

 9時半頃、メソン・デル・アンヘル・ホテルまで歩き、モンテ・アルバン遺跡行きのバ

スに乗った。


 モンテ・アルバンの遺跡はオアハカ市の南西約10キロの小高い丘の上にあり、オアハ

カ盆地を見下ろす雄大な遺跡だった。紀元前500年から1300年の歴史を持ち、最盛

期は紀元500年から750年と云われている。サポテカ族が創り、ミシュテカ族が継承

した、この遺跡には大小13ものピラミデス(ピラミッド)がある。


 豊田はバスから降りて、「南の大基壇」と呼ばれる大ピラミッドの方に向かってゆっくり

と歩いて行った。

 地平線に白い雲が見える他は、青空が限りなく広がっていた。

 枯れた芝草が一面に広がり、丸く生い茂った樹木が芝草の上にぽつんぽつんと立ってい

た。ピラミッドの石垣を白いセメント状漆喰が輪郭をなしている様を見ながら、豊田はこ

の遺跡の最盛期のことを想った。


 今は白く見えるピラミッドは全て建造当初は彩色されていたという事実がある。

 あの有名なテオティワカンの遺跡の大ピラミッドも全てカラフルに彩色されていたと云

う。その色はどんな色だったのだろうか? 壇毎に違った色で塗られていたのだろうか?

 豊田は「南の大基壇」を正面に見ながら、頭の中で配色していた。楽しい想像であった。

 豊田はピラミッドに登り、頂上に立って、周囲を眺めた。近郊の山々はなだらかな起伏

を持ち、薄青く霞んで見えた。なだらかな起伏の草原と似合って、どこか優しい風景を形

づくっていた。そのなだらかさの中で、この直線的で幾何学的な角状のブロックを載せた

ピラミッドはそれほど異質な感じは与えていなかった。


 豊田は「踊る人」のレリーフの石板の前に立ち、眺めた。猿のようにも、人のようにも

見える、このレリーフはどことなく人をくった感じがあり、その滑稽さで見る人を楽しま

せていた。右に傾いた、茶褐色の「踊る人」の石板を写真に撮った。


 この遺跡の端に大きなサボテンが群生しており、豊田はその蔭で休憩した。遠くの霞ん

だ山々が優しく柔らかに見えていた。豊田はアマポーラのことを想っていた。


 「エイイチ、日本のことをもっと教えてよ。あなたの生まれ、育った国のことをもっと

知りたいの」


 あの誕生パーティの後、豊田とアマポーラは急速に親しくなっていった。豊田は学校に

勤勉に行く方ではなかったが、アマポーラに会うためには学校に行かざるを得なかった。

 陸奥と辻が冷やかすくらい、豊田は勤勉な学生になった。授業が終わった後、豊田とア

マポーラは学校のプールサイドのベンチに座って話し込んだ。

 暑かったメリダにも漸く、秋が来て、夕方になると少しは涼しい風も吹いた頃のことで

ある。


 「どういうことを知りたいの?」

 「あなたの住んでいる街とか、あなたの会社のこととか、あなたの家族とかいったこと」

 豊田はアマポーラの質問に英語交じりのスペイン語で一生懸命に説明した。お蔭で、ス

ペイン語に関しても、少しは上達が速くなったくらいであった。その国の言葉を修得する

早道はその国の女性と知り合いになることだ、ということはよく言われていることだが、

これは豊田にも当てはまっていた。一生懸命に説明する豊田を見詰め、微笑を浮かべてア

マポーラは熱心に聴いた。豊田は自分の話に新鮮な驚きを浮かべては生き生きと反応する

アマポーラの表情をお茶目で可愛いと心から思った。


 10月になった頃、豊田はアマポーラにデートを申し込んだ。


 「明日の土曜日、暇かい? 良かったら、一緒に映画でも観に行かない? 丁度、オリ

ンピア劇場で「グリース」をやっているんだ。あのトラボルタ主演の映画だよ」

 「知っているわ。丁度、私も観たかったの。連れていってくれる?」

 「勿論。じゃあ、ポップというカフェテリアで待ち合わせることとしようか。ポップと

いう店は知っているよね。ユカタン大学の前の店さ」

 「ええ、勿論、知っているわよ。ユージローとかシンイチローもよく行っている店よ」

 「じゃあ、10時ということで、いい?」

 「10時ね。必ず行くわ」


 翌日、豊田は10時になる10分前には「ポップ」に居た。大きなカフェ・コン・レチ

ェのカップを前に、時計ばかり見ていた。

 アマポーラは10時20分頃になって漸く現れた。彼女は少女同伴だった。

 「エイイチ、遅くなってごめんなさい。これが私の妹のエマよ」

 豊田はデートに身内を連れてくるということを、その時初めて知った。一瞬、しらけた

気持ちになったが、エマもなかなか可愛い少女だったので、話す内にしらけた気持ちが段々

ほぐれていった。豊田はウエイターを呼んだ。アマポーラはレモンティー、エマはハマイ

カという甘酸っぱいドリンクを注文した。その日は、映画を観た後、昼食を一緒に食べて

別れた。エマがデートについてきたことを陸奥に話したら、それがスペイン語文化圏の慣

習さ、と笑いながら説明された。


 「豊田君、これは喜んでいいことなんだ。つまり、ノビオ(婚約者)となる前のテスト

時期なんだよ。アマポーラは魅力的な娘だから、豊田君、しっかり頑張りたまえ」

 と、陸奥はにっこり微笑んで言った。豊田は、そうかな、と思ったが、何か釈然としな

い気持ちを抱いた。その後も数回、デートを重ねたが、いつもエマがにこにこしながらつ

いて来た。メキシコのデートは高くつくものだな、と豊田も苦笑したが、郷に入っては郷

に従え、という格言を思い出し、仕方が無いと諦めることとした。


 二時間ほど、モンテ・アルバン遺跡に居て、それからバスでオアハカに戻った。

 午後1時に近くなっていたので、昼食を摂ることとした。豊田はエル・メソンというレ

ストランに入った。オアハカはチーズで有名なところであり、チーズを素材にした郷土料

理が幾つもある。豊田はこの店でリコメンドされたチーズ料理を食べた。溶けたチーズの

風味がほどよく食欲をそそり、豊田はスペリオール・ビールを飲みながら、豊穣な味を堪

能した。


 午後は、ルフィノ・タマヨ博物館とラ・ソレダー教会を見物した。ルフィノ・タマヨ博

物館はメキシコの著名な壁画家、タマヨの考古学コレクションを展示した博物館で、サポ

テカ、ミシュテカの文化の遺物が展示されている。


 ラ・ソレダー教会はその名の通り、「孤独」が人々を魅了している。

 この教会には、オアハカの守護神とされる「孤独の聖母」が祭られている。

 その「孤独の聖母」の表情が人々を魅了してやまないのである。

「孤独の聖母」が纏っている豪華な衣装が、その孤独感の漂った表情を一層孤独にして

いるかのように、豊田には感じられた。豪華な黄金の冠、黒を基調に金と銀の刺繍に縁取られた豪奢な衣装を纏い、両手に百合の花を携えている「孤独の聖母」。


数百のダイヤモンド、大粒の真珠に飾られているこの「孤独の聖母」は褐色の膚をしている。

この聖母の眼は伏せられ、少し俯いた表情には深く、静かな悲しみが湛えられている。綺麗な鼻筋、細い眉、清らかに痩せた静謐な表情には、どこか日本の能面にも似た趣、

悲しさ、哀しさがある、と豊田は思った。

 豊田はこの「孤独の聖母」の前に暫く立ち尽くした。


 かなしさは愛しさに通ずる。愛しさと書いて、かなしさと呼ばせている文章も昔見た記

憶がある。

豊田は日本でのマリア信仰をふと思った。日本では本来キリスト信仰であるべき信仰が

マリア信仰となった。キリスト像に比して、マリア像の何と多いことか。マリア観音さえある。

このメキシコでも、愛を説くキリスト教はマリア信仰に変貌していったのではないか。

愛は畢竟、無私の愛、無償の愛を至上のものとする。永遠の母性がそれに相応し、母性の愛を説く方が、それまで多くの神を信仰していたインディオたちには理解しやすかったのではないだろうか。

我が子、イエスを失う運命にあったマリアに、せめてもの気持ちとして、黄金の冠を被らせ、金糸、銀糸の刺繍で飾った絢爛たる衣装を着せた、インディオの血を引く民の心情、心意気を強く感じた。


 「どうも、この国はよく分からない」

 トロバドールという、通い慣れたバル(酒場)で陸奥たちと飲んでいる時、陸奥が呟い

たことがある。

 「米国人をグリンゴ(ヤンキーという蔑称)と呼んで、心の中では嫌っているくせに、

その実、米国の援助無しには到底やっていけない経済体制の中で、米国べったりにならざ

るを得ない悲しい状況。心の中では、反米、しかし、表面的には新米。なにせ、メキシコ

革命の動乱時、国土の半分を米国に強奪されているんだから」

 「確かに、陸奥さんの言われるように、メキシコ人の心情は非常に複雑なものがあると

思います。特に、米国人に対しては、相当なコンプレックスを抱いていますね」


 豊田がタバコをくゆらせながら言った。

 「でも、それは日本人にも言えることではないでしょうか? 米国人を含め、白人に対

する根強いコンプレックスはメキシコ人同様、我々も持っています。それと裏腹に、同じ

膚の色を持つアジア系の人々に対する、いわれのない蔑視。むしろ、民族の品性として決

して自慢できるレベルでは無いと思っています。昔、会社の同僚と話したんですが、娘が

白人と結婚したいと言ったら、戸惑いながらも結局は同意するだろう、しかし、自分の娘

がアジアの男と結婚したいと言ったら、どうだろう、果たして、白人に対する時と同様の

展開になるだろうか、と。その同僚は絶対反対し、妨害すると言うんですね。僕も、多分

その同僚と同じ態度をとると思います」

 豊田のこの意見に、陸奥も辻も黙ったまま、じっと耳を傾けるのみであった。


 「また、外国人の目から見たら、我々日本人も先ほど陸奥さんがおっしゃったように、

相当分かりづらい民族として映っているんじゃないでしょうか。つまり、それはその国の

常識に対する理解力の問題だと思うんです。その国を理解するということは、その国の常

識を少しずつ理解していくことではないかと思います。メキシコ人としての常識と、日本

人としての常識がずれて違っているということが根本的な原因ではないでしょうか?」

 「うん、なるほど、豊田君の言う通りかも知れないな。その国の常識を身につけること、

それが無い限り、その国はいつまでも遠い国であり、その人はいつまでも異邦人であり続

ける、ということになるんだろうねぇ」

 陸奥が豊田のグラスにスペリオール・ビールを注ぎながら言った。


 豊田はトロバドールで陸奥たちと交わした会話を思い出しながら、「孤独の聖母」を見詰

めていた。


 豊田は深い感慨を抱きつつ、ラ・ソレダー教会を去った。ソカロに戻り、その足で少し

離れていたが、メルカード(市場)まで歩いて行った。食料品、日用品を売る市場と食堂

街の市場、民芸品を売る市場がほとんど隣接していた。

 豊田は、メルカード・デ・アルテサニアス(民芸品市場)をぶらぶらと見物しながら歩

いた。オアハカは陶器でも知られたところであった。フチタンの緑色の陶器、コヨテペッ

クの黒陶など、彩り豊かなものの中に味わい深いモノトーンの陶器も交じり、旅行者の好

奇の目を牽くものばかりであった。その他、オアハカ織りのボルサ(シュルダーバッグ)、

毛織の敷物のサラッペ、女性用のショールのレボッソ、豪華な刺繍が入った民族衣装・ウ

イピルといったように、インディオの香気が漂う、色彩豊かな土産物も沢山あった。


 歩き疲れ、豊田は市場のカフェテリアで少し休んだ。

 アマポーラと妹のエマに何かお土産でも買っていこうか、と思った。ふと、お土産の心

配をしている自分に気づき、可笑しくなった。日本ではお土産など買ったことのない自分

が今お土産の心配をしている、という変化が面白かった。アマポーラとエマの喜ぶ顔が見

たい、ただそれだけのことに過ぎないのに。


 アマポーラ。ひなげし、又の名を、虞美人草。この19歳の少しお茶目な女子大生が今

の豊田には最大の関心事となっていた。唐十郎率いる状況劇場の芝居の中で、麿赤児が「愛

している」という言葉の代わりに盛んに連発していた言葉を思い出していた。麿赤児は愛

する女性に対して「お世話したい」という言葉を連発していたのだった。豊田は大学に入

学したばかりの時に新宿で観た芝居を思い出し、独り微笑んでいた。

 アマポーラ! 俺は君をお世話したい、と思っているんだよ。


 太陽は既に西の空に傾きかけていた。黄昏が迫っていた。

 豊田は海抜1550メートルのオアハカ盆地の夕焼けを見ながら、ホテルに帰った。

 ホテルのフロントで鍵を受け取り、階段を上ろうとした時、階段をこちらに向かって降

りてくる一組の男女の姿が目に入った。思わず、声をかけた。男女はメキシコシティ研修

組の坂田信行と加藤睦美だった。坂田は省庁からの研修生でいわゆるキャリア、睦美はメ

リダの柾木、田中の同級生で大学四年の女子大生であった。


 「いやあ、豊田さん、おひさしぶり!」

 坂田が立ち止まり、軽く会釈しながら挨拶した。

 「ここで、会おうとは思わなかった。元気そうでなにより。加藤さんとも、オアステペ

ック以来だねぇ」

 「本当に偶然ですねえ」

 睦美も思わぬ出会いに驚いたようだった。

 「いつから、こちらへ?」

 「今、着いたばかりなんです。豊田さんは?」

 「昨日なんだ。今、民芸品の市場を見物して、帰ってきたばかりなんだよ。で、坂田さ

んたちはいつまで?」

 「明後日まで滞在する予定です。豊田さんは?」

 「僕も、明後日までの予定だよ。これから、どこへ?」

 「僕たちも今から民芸品のメルカードに行くつもりなんです。睦美が何かオアハカの民

族衣装を買いたいというので、下見に行くんです」

 「そうかい。じゃあ、明日、朝食はこのホテルのレストランで摂るんだろう。その時に

いろいろと積もる話をしようや。じゃ、また!」


 豊田は坂田たちと別れ、部屋に戻った。坂田と睦美が交際しているという話は、辻から

以前聞いたことがあるが、こうして一緒に旅行までしている仲に発展していようとは思わ

なかった。親元から離れ、異国の地で暮らしている若い留学生同士なので、ありうる話だ

った。坂田は省庁から派遣されているキャリアで将来を約束されている若き官僚であり、

睦美から見たら、良き結婚相手であったのだろう。睦美のキュートな顔を思い浮かべ、豊

田は坂田に軽い嫉妬を覚えた。


 豊田は部屋に戻り、ベッドに寝そべって窓の外の夕陽を眺めた。

 赤く大きな夕陽だった。

 アマポーラの姿を思い浮かべた。豊かな胸と艶やかな唇を想った。

 「エイイチ、何か日本の歌を唄って」と言うアマポーラの声は甘く響く。

 「エイイチ、あなたを愛しているのかどうか、私、判らないの」と言うアマポーラの声

は少し意地悪く響く。

 「エイイチ、おなかが空いちゃった」と言うアマポーラの声は可愛くお茶目に響く。

 豊田は熱い気持ちでアマポーラのことを想った。

 

俺たちは、これからどうなっていくのだろうか。果たして、アマポーラと結婚できるの

だろうか。結婚したらどうなる? 日本で結婚するのか、それとも、このメキシコで結婚

式を挙げることとなるのか。結婚できたとしても、アマポーラは日本の暮らしに慣れるこ

とができるのだろうか。豊田は会社の社宅の生活を思った。郊外の住宅団地にあるアパー

トの暮らしを思った。


 アマポーラはきっと好奇心に満ちた眼で見られるに違いない。異国から来た花嫁、日本

語の話せない花嫁、旦那を呼び捨てにする花嫁、ひょっとすると主人を奪いかねない外国

の女、と社宅の奥さん連中からは冷ややかな眼差しを向けられることだろう。


 外国人に対しては決して寛容ではない日本という国を思った。むしろ、無関心でいて貰

った方が良い。社宅の奥さんたちに、あからさまな好奇の眼で見られるアマポーラは果た

して精神的に耐えていけるだろうか。2DKの畳の生活。アマポーラの育った家からは想

像もできない狭苦しい生活にアマポーラは不満を言わず、遣っていけるだろうか。


まだ、問題は多い。親父もおふくろもいきなり外国人の嫁さんを連れていったら、おそ

らく腰を抜かすだろう。もう、そろそろ彼女のことを手紙に書いておいた方が良いだろう。

それとなく、匂わせておけば、驚きは大分緩和されるに違いない。いつ、手紙を書くべきだろうか。結婚に関して、アマポーラの「イエス」を貰った時点か、もうぼちぼち予告しておくべきなのか。


 姉貴は喜ぶのに違いない。子供の頃から常々、妹が欲しいと言っては、嫌がる俺に自分の服を着せて女の児の恰好をさせては喜んでいた姉貴のことだから、外人の妹でも戸惑いながらも可愛がるに決まっている。

 そうだ、姉貴には知らせておいた方が良いだろう。もしかすると、メキシコのセニョリータと結婚するかも知れない、と。姉貴は親父とおふくろに、それとなく伝えてくれるだろう。俺の手紙を読む、姉貴の顔が目に浮かぶ。「栄一、やったね!」と指をパチンと鳴らすかも知れない。そう言えば、姉貴はもうすぐ28歳になる。もうそろそろ、結婚しないとやばいかも。親父もおふくろも心配しているが、姉貴自身はどこ吹く風と全然気にしていない様子だ。友達と共同でブティックを開いており、弟から言うのも変だが、なかなかカッコいい女なんだが。縁がないというのか、いまだに独身でいる。アマポーラも長女だ、長女同士ということで、姉貴とはうまくやっていくかも知れない。


 結局、アマポーラが日本に来て、うまく遣っていけるとしたら、いかにして社宅の奥さんたち、うちの親父、おふくろとうまく遣っていくかにかかっているのだろう。俺が楯となって、アマポーラを守り、親睦・融合を図ってやらなければならない。社宅の方で言えば、最初に近所の人を招待してパーティを開いてアマポーラを紹介した方がいいだろう。とにかく、友好関係を築くことが大切だ。どんなパーティを開いたら社宅の奥さんたちは喜ぶのだろうか。メキシコ料理の宴というのはどうだろう。珍しいから、みんなきっと喜ぶだろう。特に、タコスがいいだろう。メキシコ料理ではないが、パエージャも日本では人気がある料理だ。パエージャもいいだろう。料理の上手なアマポーラのことだから、張り切って作ってくれるだろう。


 そんなことを考えていたら、あたりはすっかり闇に包まれていた。

 豊田は空腹を感じた。部屋を出て、階下に下りていった。また、ホテルのレストランで夕食を摂った。昨夜と同じ、海老と牡蠣のカクテルを注文し、スペリオール・ビールを二本飲んで夕食とした。


 部屋に戻り、アマポーラの家に電話をした。

 妹のエマが出た。

 電話口でエマが叫ぶように言った。

アマポーラが通りで車に跳ね飛ばされ、今、意識不明で病院に担ぎ込まれたということだった。

豊田はエマに明日帰ると告げ、すぐフロントに行き、事情を話し、メリダ行きの飛行機便の予約を取って貰った。

部屋に戻った豊田はいろいろな想念に悩まされた。


アマポーラが取り返しのつかないことになったら、俺はとても生きてはいられない。アマポーラが車に跳ね飛ばされていた頃、俺はアマポーラとの結婚に関してあれこれと夢想していた。

アマポーラがうまくやっていけるように、俺は楯になるんだと勝手に意気込んでいた。

今、アマポーラは生死の境をさまよっており、苦しんでいるというのに、俺は遥かメリダから離れ、このオアハカの地に居て、アマポーラに何もしてあげることができない。

いろいろと勝手な想像をして秘かに楽しんでいた俺は何て最低の男だ。豊田は自分を責めた。


その夜は一睡もせず、朝を迎え、一番の飛行機でメリダに帰った。

そして、タクシーを飛ばし、エマから訊いた病院へ向かった。

転げ込むように、病室に入った。

アマポーラが横たわっていた。意識はまだ戻っておらず、鎮痛剤で深い眠りの中に居た。

豊田は椅子に腰を下ろし、ベッドのアマポーラを見た。頭には包帯が巻かれ、擦りむけた皮膚をガーゼで覆っているアマポーラは痛々しかった。それでも、安らかに眠っている彼女を見て、豊田は安心した。安堵感と共に、急に涙がこみあげてきた。涙が豊田の顔を濡らした。俺は今、泣いている。自分でも照れくさいほど、涙が溢れ、止まらなかった。俺は一生分泣いているようだ、と豊田は思った。アマポーラが少し動き、ほっと小さな溜息をついた。豊田はアマポーラの手を取り、そっと両手で温めた。どんなことになろうと、俺は君と共に居る、君を愛しているのだ、病院から出たら、君のノビオとして君の気に入るように振舞うつもりだ、だから早く意識を回復してくれ、と念じながら、アマポーラの手を両手で包んで温めていた。

それから、豊田は数日の間、アマポーラの病室を離れなかった。


アマポーラが意識を取り戻したのは四日後であった。

そこに、豊田の顔があった。


アマポーラの回復は早かった。二週間後には退院の運びとなった。その間、豊田は毎日病院にアマポーラを見舞い、励まし続けたことは言うまでもない。

アマポーラの両親、エマを始めとする兄弟姉妹も豊田をアマポーラのノビオと認めるようになった。そのことは豊田とアマポーラの喜びとなった。

退院し、再びデートを重ねる二人にエマはもうついては来なくなった。


「アマポーラ、君は僕と一緒に日本に来るかい?」

メリダのソカロにあるS字型の「恋人たちの椅子」に座った豊田が傍らのアマポーラに訊ねた。

「勿論よ。夫婦は一緒に住むものよ」

アマポーラが豊田の手を軽く握り締めて言った。

「日本の暮らしはこことはかなり違うよ。日本はとにかく集団で暮らす国なんだ。個人のプライバシーはあってないようなものなんだ。アマポーラ、君はかなり好奇心に富んだ目で見られることは間違いない。君が日本で問題なく暮らすためには、集団の中に溶け込み、あまり目立たずに暮らすというテクニックを身につけなければならない。勿論、僕は君をバックアップするけど」

「エイイチ、あまり心配しないで。子供扱いは嫌よ。愛。愛は困難に打ち克つのよ。エイイチの愛に支えられて、私は日本の新しい生活を始めていくわ」

こう言って、アマポーラは豊田の頬に軽くキスをした。


ふと、気がつくと、足元に栗鼠がいた。くりくりとした眼で二人を見ていた。

豊田は幸せだった。今が人生の一番良い時かも知れないな、と思った。もう、要らぬ心配をするのは止めよう。アマポーラの言う通りだ。愛がある限り、愛が続く限り、何とかなっていくものだ。愛が続かないとしたら、それはアマポーラのせいではなく、俺が悪いに決まっている。今、俺の心は愛でいっぱいだ。俺は、アマポーラ!、君を一生、「お世話したい」のだ。

豊田はアマポーラの肩を抱き、照れ屋の彼としては一世一代の勇気を奮って囁いた。


「アマポーラ、テ・キエロ(君を愛している)、アスタ・モリール(死ぬまで)」


 ソカロにようやく夕暮れが訪れた。

 ソカロを囲む街灯にも灯りが燈され、これから亜熱帯の国の長い夜が始まろうとしている。




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