転
大変遅くなりすみません。
明日上げる予定の四話目で完結の予定です。
身が震える。アラン、アランと言ったか?あの女。今私の婚約者の名前を上げたのか?
「おい、ノックス。大丈夫だ。手の力を抜け。皮膚に爪が食い込んでいる。跡になってしまうぞ。掴むなら僕の手を」
「アラン」
ノックスが婚約者の名前をポツリと呟くと、ヴァンは口を閉じ悲しそうに目を伏せた。気分が悪そうに俯いたままのジュールを介抱しているアガサも、眉を下げてチラリと私を見た。分かっている。シャルロットは、私の友人だと名乗っていた。だが、だがそのシャルロットは。友人である私の婚約者が欲しいと高らかに宣言する。口を歪ませて。
「エドガー、はて。宰相の息子には婚約者がいた気がするがな。まあよい、アラン・エドガーをここに連れて来い」
王は後ろに待機していた衛兵にそう命令する。だがその衛兵が動き出すよりも早く、未だに薔薇園のアーチで静観していたアランが手を上げ、自分の足でシャルロットに近付いて行った。それだけで私の心臓が嫌な音を立てる。
「陛下、アラン・エドガーはここにおります」
「おおそうか。アラン。お前には婚約者がいた覚えがあるが」
「ええ、おりますよ。あちらにいらっしゃる、愛しのフレイア様です」
「フレイア、そうか。マスカドール公爵の一人娘か。フレイア、こちらへ来い」
フレイア・マスカドールとは私の真名だ。王よりそう言われれば、私は従わざるを得ない。立ち上がりテーブルを離れる時、ヴァンに腕を掴まれた。心配そうに見つめられる。だが、そんなヴァンを安心させる為にこりと微笑んで見せた。
それは歪な笑顔だったかもしれないが、私はヴァンの手を解き歩き出す。
軽く衣服の乱れを正しつつ、王の横へ立ち礼をした。
「参じました、マスカドール公爵の娘。フレイア・マスカドールです」
「うむ、両親の容姿を存分に受け継いだ美しい令嬢だ。だが、君も、アランも。これまでの話は聞いていただろう」
チラリと横目でアレク様を見る。アレク様は取り巻き達に支えられ、ようやく立っていられると行った様子だ。アノア令嬢は折角のドレスが汚れる事すら既に気にならないのか、地面にへたり込んでいる。第四王子は言い寄る取り巻きの令嬢達に口では止めるよう促すが、鼻の下を伸ばしている。私は彼からはすぐ視線を逸らした。見ていられたものではない。
「アランとの婚約を破棄しろと、私に仰りたいのですか?」
「物分りが良くて助かる。マスカドール公爵には私から直々に言っておこう。頷いてくれるな?」
「・・・」
どうしたものか。確かに私はアランの事が好きではない。それに婚約が破棄できるものなら破棄してしまいたいとずっと思っていた。だが、こんな状況に追い込まれるとは。確かに嫌いだが、この男がシャルロットの物になるのは許せない。それに全てがシャルロットの思い通りに流れる事も。今度はアランへと視線を投げると、何故かアランはいつもの笑顔を無くし無表情のまま私を見つめていた。濁った深い緑色をじっと見ていると、それだけで吸い込まれそうな錯覚になり慌てて逸らす。何故、何故あいつは今そんな表情をしているのか分からない。だがやはり。そうだ。今のままでも既に二人の人間の人生をシャルロットの言葉一つで狂わせたのだ。私の人生だって狂わされては困る。こんな、最高のトリックもちゃんとした動機も存在しないシナリオ如きで私を自由に操れると思うな。
「そうですね、ええ。確かに私はアランの事を愛しておりませんし、婚約を破棄する事に胸を痛ませる事もありません」
「ならば、」
「ですが陛下。私の婚約者は景品ではないのです。私の父と、アランの父が話し合い定めた婚約。何故他人である者達によって白紙に戻さねばならないのです?アレク様とシャルロットの婚約破棄に私達は無関係。巻き込むのは御門違いですわ。王家に意地汚く慰謝料を請求する様なシャルロットの慰めにくれてやる男なら、そこらの男爵令息で十分では?」
「貴様、この!」
「無礼者」と王が続けるよりも早く、すっかり静まり返ってしまった庭園に誰かの足音が響く。はっと意識を周囲に戻すとアレク様の取り巻きの一人がシャルロットに向かって走り出していた。
ひっ、周りが悲鳴を上げる。衛兵が慌てて動き出すが間に合わない。私ですら目を閉じようとした時、どさりと鈍い音が響いた。なんと、シャルロットに飛びかかった取り巻きの男はそのまま返り討ちにあい、地面に強く叩きつけられているでないか。まさかの腕も立つ主人公の設定だったとは、と私は心の中で場違いに驚く。哀れな境遇を考慮し襲いかかった取り巻きの肩を持ってやりたい所だが、その場の激情すら押し止められないのはどうなのか。いいか、脇役仲間よ。
だから返り討ちにされるのだぞ。
床に伸びる取り巻きの令息を見てふんと鼻を鳴らし、シャルロットは手櫛で軽く髪を整えた。
「あらあら、私が幼少の頃より武術を嗜んでいる事をご存知ないのかしら。まったく、無謀な人ね」
「シャルロット様!お怪我は?」
「大丈夫よみんな、ありがとう」
いつの間にか私のすぐ隣まで近寄っていたアランを押し退け、私は倒れたままの取り巻きの側へ駆け寄った。気絶しているとしても、打ち所が悪ければ大怪我をしている可能性がある。特にシャルロットのような形だけ覚えた素人の下手な技を身に受ければ、繊細な手加減が何一つない為受けた人間は最悪の場合死んでしまうと聞く。そんな事には目もくれず高らかに自慢するシャルロット達の事は無視し、すぐその取り巻きの体に異常な怪我が無いか確認した。
大丈夫だ。気絶していたのではなく、鳩尾を殴られた事で一瞬息が止まっていただけのようだ。それもあまりよくはないが、気絶するよりはましだろう。
とはいえ、シャルロット。
例え襲われたとしても子息を素手で殴り飛ばすなど。本当に褒められた事では無いな。すぐその男は起き上がろうとしたので、私も背中へ手を添える。
「フレイア様。俺がやりますよ」
すぐアランが側に寄りそう言うので、男の体は任せた。確かに令嬢の私では彼の体を支えるのは心許なかったので助かる。この時だけは褒めておこう。
「まったく、逆上しシャルロット嬢に危害を加えようとするなど。この者も同じように縛り首がお似合いか」
「そうですわ!シャルロット様が美しい武術を身につけていたからこそ無事に済んだ事。危険です!残り二人も含め全員縛り首ですわ!」
「そうよ!」
取り巻き達はより顔を青く染めた。彼らが哀れで仕方がない。こんなの、最悪だ。私は衝動的に怒鳴り散らしてしまいそうな詭弁をどうにか抑える為俯いて耳を塞いだ。すると思ったよりも力が入っていた私の手を、上から覆ったアランの指がやけに恭しく剥がす。またすぐ彼らの忌々しい声が耳に飛び込んできた。
「フレイア様、駄目ですよ。ちゃんと見ていただかなくては困ります。何の為に俺がここまで努力をしたと?」
「何を言って」
すっかり静まり返っていた庭園に、その時第三者のよく響く声が広がった。
この舞台に上がってしまっていた皆を含め、庭園にいる者達の視線がその声の主に集まっていく。それでも物怖じせず真っ直ぐこちらを見つめる女性に目を惹かれた。
「お父様、少しお待ちになってくださいます?」
「アミュレット、お前もここにいたのか。まったく知らなかったぞ」
堂々とした態度で会話の流れを見事断ち切ってみせたのは、先程までずっと青い顔で弱り切っていたジュール。いや、この国の第一王女のアミュレットだった。彼女の銀髪が動きに合わせて美しく輝く。
「先程から黙って聞いていれば、お父様もお母様も、どうかしています。自分達が何を血迷った事を口にしているのか自覚がおありですか?」
「アミュレット、何を言っているのだ。私は王として然るべき」
「それが、本当に然るべき?婚約破棄を男側に宣告させてから、つらつら後出しのように証拠を上げ揃えた令嬢を褒め称え、愛しい人の言葉を信じ婚約破棄をしたアレク兄様を平民に落とす?男爵令嬢は縛り首?そして、大した教養も人望もない第四王子を王太子として、あろう事かマスカドール公爵令嬢の婚約者をシャルロットが所望だからと融通を利かせ、婚約を破棄しろ?馬鹿馬鹿しい。真に愚かなのは貴方ですお父様」
そのアミュレットの言葉にゆっくりとアレク様も顔を上げる。そして無能扱いされた第四王子は顔を赤く染め、卑怯者だと罵られたシャルロットは醜く顔を顰める。だが一番。王がなによりも怒りを露わにした。
「何故そんな事が分かるアミュレット。お前は末妹として可愛がられ、我儘なだけの王女に育った。そんなお前が何を分かると言うんだ」
「いいえ、陛下。これ以上アミュレット様を悪く言うおつもりなら、我がマスカドール家も黙ってはおりません。ねえ、ルーカス。貴方もそう思うでしょう」
ルーカス。そう呼ばれた男はすっと立ち上がる。氷のように冷たい美貌をいつもよりも冷たく歪め、ルーカス。ヴァンと私達に呼ばていた男はゆっくりとした歩調で私達へ近付いた。
「その通りだ。その事件、ノースロップ公爵家も参加させてもらおうか。丁度王道に飽き飽きしていた所なんだ、王の失脚なんていいスパイスになるだろう。
お前はどうする?ナクサス令嬢」
ナクサスと呼ばれた横に座る令嬢もおっとりとした瞳をにこりと歪め、ええとゆっくり立ち上がった。ふわりと彼女の雰囲気に合った柔らかいドレスが動きに合わせて揺れる。
「そうですわねえ。では私ナクサス侯爵家第二令嬢、レミーナ・ナクサスもお力添えさせていただきましょうか」
私は少し高圧的に、未だ不機嫌そうに顔を顰めたまま私をじっと見つめる変な様子のアランに、お前も協力しなさい。とだけ言った。するとようやくアランのその顔に表情が戻る。
「ええ、勿論。俺はいつでもフレイア様の味方です」
「そう。なら私の踏み台になってもらうわよ」
「はい、喜んで。フレイア様に踏んでいただけるなら本望です」
気持ちの悪いやつだ。そんな言葉は無視して。ルーカス、基ヴァン達に視線を戻してから微笑んだ。ジュールもまた嬉しそうに微笑む。
「助かったわ、みんな。まさか重い腰を上げてくれるなんて」
「いえいえ、アミュレット様。『小説愛好会』の仲間ですもの。大切な同士が減ってしまうのは悲しいですし、私、先程から凄く腹が立っていましたので。単なる鬱憤晴らしですわ」
「僕もフレイアも。大切な同士が減ってしまう危機はどんな手を使ってでも止めたいと思っていた。それに、こんな茶番劇を長々と見せられたんだ。ここにいる他の貴族も同じような思いなんじゃないか?」
ええ、と私はヴァンの言葉に頷いた。
「王といえど、これだけは頷けませんもの」
「そうね。お父様、少しは頭が冷えましたか?今の状況は理解出来ます?」
王という身分は絶対であるが、それは多くの人間の上に立っているからだけに過ぎない。例えばその下の者が一人でも欠けてしまったり、反旗を翻したりしようものならあっという間に上の者はバランスを崩し落ちていく。
王は今その支えとなる沢山の貴族の子息令嬢に強い反感を抱かせた。この事を少しでも親の耳に入れない子はいないだろう。私だって帰ったらすぐ父上に話すつもりだ。だって、婚約破棄だぞ?あの小説の中だけだと思っていた事が現実に起こり、私やアランを見事に巻き込んでみせたのだから。そんな面白い事。同じく小説が好きな父上も心底笑ってくれるに違いない。報告が楽しみね。
だが私達の確かな怒りを興醒めさせるように、王はあっさりと顔を曇らせた。
「・・・そうだな。何をそんなに血が上っていたのか。王らしくもない、その場任せの発言をしていた事は認めよう。そして気が付かせてくれたアミュレットには、深く感謝する」
「ならばお父様。冷静でいられなかった父王の代わりに私に発言権を委ねてくださいます?」
「ああ、よかろう」
「へ、陛下?」
今度はシャルロットが焦った様子でその話の流れに口を挟む。それはそうだろう。見事第一王子と男爵令嬢を返り討ちにし、自分は思い人と結ばれるハッピーエンドを成し遂げたのだ。今更撤回されるような事があれば困るだろう。全て計画が流れてしまうのだから。慌てて軌道修正をしようと躍起になるはずだ。だがそんなの許さない。いい気味。シャルロットが悔しそうに顔を歪めるほど、冷や汗をその厚化粧の顔に垂らすほど私の心は晴れわたっていく。
私の機嫌があからさまに良くなった事に気が付いたアランが、自分の事のように嬉しそうに笑う。何だか子供相手にしているようなその態度に腹が立つ。
「シャルロット、と言ったわね。お前、私が父王に許可を得たのに。何か文句があるというの?私が第一王女という立場である事を知っていてそう言うの。中々度胸のある令嬢ね。友人の婚約者が欲しいと王様に強請るだけあるわ」
「ええ、そうね。シャルロット。後でゆっくり話しましょう」
冷や汗を垂らしながら、私をギロリと睨むシャルロット。ああ、怖い怖い。怖いから間にアランを挟みましょう。私に腕を引かれ間に挟まれた状態のアランににこりと微笑まれたシャルロットは、すぐに睨み顔を仕舞い顔を赤く染めた。こんな状況でも自身の恋心を優先させるなんて、安い女だ。
「では第一王女アミュレットが命じます。頭を冷やす為に必要な時間としてアレク兄様は三ヶ月の幽閉。第一王子を唆し公爵令嬢を陥れようと図ったアノア令嬢は平民落ちとします。アレク兄様の取り巻き達も、同じように婚約破棄したのだから幽閉。期間はそれぞれの父親と相談しなさいな。それとシャルロットへの詫びは金にしましょう。王家に慰謝料を求めたのでしょう?随分と実家は財政が苦しいと伺える。ならばそんな哀れな令嬢には、金を差し上げるのが一番ね」
酷い言い分だ。だがとても気分が良い。散々侮辱されたシャルロットはこれでもかと顔を赤く染めると、気が狂ったように叫び出した。
「でもアランは!アランはそんな女より私の事を愛してくれているはずよ!ずっと前から側で寄り添い支えてくれたわ。今回の婚約破棄だって!アランの助言や手助けがなくてはここまで上手く事を運べなかった!アランは、アランは私の事を愛してるのよ!フレイアみたいな薄情な女よりも!」
ね?アラン。とシャルロットはアランに擦り寄った。そして腕に絡まり媚びを売るように見上げる。
「ああ、本当。残念だ」
アランは薄い笑みを浮かべると、縋り付くシャルロットを押し退けた。