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相生様が偽物だということは誰も気づいていない。  作者: 大野 大樹
十章 赤い水
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4.赤い水

 チャイムの鳴る音に、はっと気づいた。

 もうすぐ午後の授業が始まる。

「自分で強くなる、か」

 校舎に向かって歩き始めながら、声に出して呟いていた。

 もっともだ。あるかどうかわからない「赤い水」を探すことがどんなに無駄なことか‥。

 月桂は、俺の臣霊としての記憶は赤い水だと言っていた。赤い水と青い水は混じらない。と。

 それは、そもそも本当だろうか。

 記憶といえば、紅葉ちゃんのことが頭をかすめた。

 紅葉も一時(というには長い期間)、記憶を失っていた。

 ‥紅葉ちゃんは、どうやって記憶を取り戻しただろうか。

 ‥たしか‥俺の顔を‥正確には紅葉ちゃんの顔を見て‥。

 元の記憶が無くなったわけではない。記憶がどこか奥の方に行ってしまっただけ‥。

 紅葉ちゃんにとっての「紅葉ちゃんとしての記憶」が赤い水、そして、四朗として過ごした日々は青い水。今それは、あふれることなく一緒に紅葉ちゃんの中にある。

 そういうものじゃないだろうか。

 混ざらないだけで、そこにはずっとあってただ、膜の様なふたがされているだけ。母さんが、赤い水だけを取れるはずがない。

 膜が取っ払われたとき、コップの奥からこぽこぽと湧き上がってきた。まるで、温泉の源泉のように‥。だって、それは彼女の奥底にあったから。

 ‥そして、俺の奥底にもそんな赤い水はある‥。

 赤い水は今どこにあるんだろうか。



 俺の記憶を起こす「鍵」は、母さんは「名前」だと言っている。本当にそうなんだろうか。

「四朗君。思い出すの‥協力するよ」

「紅葉ちゃん? 」

 どうしてここに。

 いるはずのない人の声に、一瞬息をのんだ。

「ちょっと早く来すぎちゃったね。授業が終わるまでこの近くで待ってるよ」

 紅葉は、ちょっと困ったような顔をして笑った。

 一瞬、本当に彼女だろうか? と思った。目に見えたものを素直に信じられないのは、もはや習慣だ。(悲しいことだ‥)

「今日、休みを取って来たんだ」

 居てもたってもいられなかったから、と紅葉ちゃんは付け加えて、ちょっと笑った。

「貴方は、私とよく似ているから。だから、貴方の気持ちは、何だかよくわかるんだ」

 かって自分も、自分の事が分からなくて、凄く悩んだ。

 だから、四朗の気持ちはよくわかる。

 なんて言って笑う、どこまでも優しくお人好しな紅葉ちゃん。

 正直、複雑な気持ちになった。

 そっとしておいてほしい。と思う気持ち。嬉しいと思う気持ち。でも、彼女を見たときに一番に感じた感情は、それ以外の感情だった。

 紅葉の横顔を見たとき感じた「懐かしい」という感情。

 ‥懐かしい? 

 こぽり。

 赤い水が心の奥で一つ湧き上がった。

 ないはず、の赤い水。

 どくり、と心臓が重い音を立てた。体が動かなくなる。

 ただ、心臓の音だけがうるさい程聞こえる。

「よく似ているっていうか‥。他人だと思えない‥時もある」

 困ったような顔のまま、ぽつりぽつり、紅葉は自分のあまりに無計画な行動を言い訳をするように語る。自分自身でも、自分のこの感情が不思議だったんだ。

 居てもたってもいられず、気が付いたら四朗に会いに来ていた。

 なんて。

 こぽり。

 また一つ。

 四朗の体はもっともっと体が重くなる。

「風が出てきた‥」

 紅葉の長い髪が風に広がる。

 日に透けるとシトリントパーズに見える瞳。

 その身に纏う優しい雰囲気。

 こぽり。

 赤い水が胸を‥心を満たしていく。

 立っているのを拒否したくなるくらい体が重くなる。この体は、自分のものなのだろうか‥。

「どうしたの、四朗君。大丈夫? 具合悪いの? 」

 目の前の紅葉が心配げな視線で四朗を見る。

 


 ‥なんで、紅葉ちゃんを見ると、この身の赤い水はこんなに騒ぐんだろう。

 ‥俺は、紅葉ちゃんじゃないのに。

 ‥紅葉ちゃんは「自分」の姿を見て、本来の記憶を取り戻した。取り戻す用意が出来ていたから。

 ‥そして、俺も今、きっと取り戻す用意が出来たんだろう。今まで紅葉ちゃんを見ても何も思わなかったのに、今はこんなに‥。

 ‥恋ではない、懐かしくて、酷く気持ちが悪い。‥紅葉ちゃんは‥

 他人じゃない。でも、勿論自分じゃない。そっくり同じの、他人。

 こぽり。

 ‥俺は‥

「ねえ‥さん」

 どんどん重くなるからだに耐え切れず、四朗はゆっくりと意識を手放した。

「四朗君! 」



「多分、紅葉は妹の‥楓の生まれ変わり。姉さんもそう思ったと思う。でも、姉さんは、「紅葉の人生は紅葉のもので、あの子のものではない‥。悲しいけれど、紅葉をあの子の代わりには思えない」って言った。‥その通りだわ。私にとって、もう四朗も、楓じゃない‥」

「楓の代わりに出来た臣霊だとしても‥楓じゃない。私にとっては。でも、臣霊である四朗は自分が楓の代わりだという呪縛から一生解き放たれることはない」

 だから、臣霊であることを忘れてほしい。そう思った。

 私は、そもそも椿の事を本当に知っていたのだろうか。

 いつも笑っていた楓。

 楓はいつも前向きで

 って思っていた。

 私は、楓の事を何でも知っている。

 そう思っていた。

 だから、私はその記憶をもとに、楓の代わりである完璧な臣霊『楓』を作れた。

 でも違った。違っていたと今ならわかる。

 終わりが分かっていたから、いつも笑顔でいようと思った。前向きなんかじゃなかったんだ。あれはあの子の意地だったんだ。笑顔で「最後」まで走りきることあの子のせめての戦いだったんだ‥。

 今の紅葉を見ていて思った。笑ったり、泣いたり、‥恋したり。弱かったり、でも、びっくりするほど強かったり。

 紅葉は生きている。

 私は結局あの子のことを、見ていなかった。

 ただ、夢や理想のようにあの子を見ていた。

 あの子だって、ただの人間だったのに。

 そして、私も、もちろん紅葉も四朗もただの人間。

 代わりなんかじゃ、ない。誰も、誰かの代わりじゃない。

「どうしよう‥。どうすればいいの? 教えてよ‥。楓‥」

 


 ‥ねえ‥さん



 桜は振り向いた。

 声がする方‥鏡の前に走って行って、覆いをむしり取る。

 心臓が跳ねるのが分かった。

「楓‥! 」

 ゆらっと「楓」が微笑む。

 そして、そのぼんやりとした影のようなものが、次第にはっきりと映る。

 シトリントパーズの目。愛らしい表情。明るい栗色の髪は長く背中にかかるくらい。目を細めてゆったりとほほ笑む、紅葉によく似た少女。

 どうして楓が?!

 目の前にいたのは、「楓」だった。

 本来見えないはずの臣霊の姿が見えるのは、彼女が桜の守護臣霊だからだ。

 つまり、今四朗は‥。

 四朗はどうなったの?

 鏡? これは、鏡の秘術? 

 驚いて言葉を失う桜に、楓はにっこりと微笑んだ。

「ああ、すっきりした。姉さん。どうして、私の名前を呼んでくれなかったの? もう私を嫌いになったの? あんな人たちに、いいように周りをうろうろされて。私ならすぐに片づけられるよ? 」

 懐かしい、幼い少女の声‥。ああ、これは、楓の声だ。

 あっさりと記憶が戻ってきて、気が付くと涙を流していた。

「ああ」 

 昔の自分が未来の自分にあてたビデオレターを見せられたような恥ずかしさ。

 そう、私はなぜかそんな感情をもって楓を見た。

 まるで、そこだけは時間が止まったみたいに‥。

 これが、「臣霊」

 変わらない「記憶」

 私は、四朗の記憶を閉じ込めて、結果、その奥底にあった「楓」の記憶を閉じ込めた。

 間違えたままの、私の考えた「楓」の記憶。それは、一緒に暮らしていれば変えて行けたかもしれないものだった。だけど、私は四朗様に四朗の事を‥四朗を産んだ自分の事を‥嫌われたくなくて、マスターである自分だけしか見えない臣霊としての本質を封印した。

 人は忘れる。記憶は上書きされる。

 あの時は、そんなこと‥そんな当たり前のことが頭から抜け落ちた。

 ‥本当に自分本位の事をした。

 その結果、四朗はどうなった?

 大事なことをずっと思い出せない焦り、戸惑い。

 永遠にこの記憶に行きつくことのない絶望感。

 そして、この記憶は変わらないまま残った。

 上書きされ、ゆっくりと四朗に変わっていかずに、残った。

 それは酷く違和感があっただろう。四朗の苦しみは容易に想像できる。

 同時に感じた、「楓」に対する違和感の正体はさっき分かった。

 桜が「作り出した」楓像。

「ああ、私は勘違いしていた。楓のことを総て分かっているって、思い上がりもいいところ」

「私が知っている楓は、でも、楓の総てじゃなかった」

 動く紅葉を見て、それが分かった。

私たちは今、あの時以上を生きる紅葉を見ている。そして、もう彼女は楓じゃない。紅葉だ。

 紅葉は楓の生まれ変わりだけど。楓ではない。

「‥そう、それが分かったんだね。でも。私はこのままじゃ消えていけないよ。ね、私が生まれてきた意味を教えて? 何をすれば姉さんのためになるのか言って? 守護臣霊はあなたを守護するためにあるの。だから」

「あの人たちを消してって、言って? 」

「望んでないよ。望んでないの。楓‥」

 ぼたぼたと止めどなく涙が畳を濡らした。

 桜はそれを拭おうともしなかった。

「何を私に望むの? ねえさん」

 楓が私に微笑む。

「‥。生きて‥。生きて、‥四朗! 」

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