2.ライバルは「田中君」
四朗様が好き! 四朗様と結婚したい!
幼馴染の妹は、そう何度も四朗に言ってきた。そう、それはそれは何度も。だから、四朗も菊子の気持ちは知っている。
知っているけど、そればかりはどうしようもない。「自分にしてあげられることは何もない」と思っている。
まあ、そんな気持ちも今だけのことで、そのうち菊子ちゃんには他に好きな人が自然と出来るだろう。と思ったのは十歳の、まだ入れ替わりもしていない頃から変わっていない。
そういえば、入れ替わっている間、忙しくってそのことを忘れていた。
‥それどころか、このところ菊子に会うこともなかった。
だから、四朗はすっかり菊子の気持ちを忘れていたんだ。
だから、武生の部屋の前で武生たち兄弟の会話をつい聞いてしまったときには、もう目が飛び出るかっていうくらい驚いた。
案内してくれた、武生のうちのお手伝いさんの女の子、夏目ちゃんもさぞかし驚いただろう。
聞こえてきた内容にも、だけど、常にはにこやかな四朗が血相を変えたことについて、だ。
僅かに夏目ちゃんが四朗を見たのが分かり、四朗は目線だけで「もういいよ」と夏目に合図する。そして、夏目がその場を離れるのを見届け、静かに襖の引手に手をかけて中の会話を聞く。
武生はよっぽど動揺しているのだろう。でなければ、部屋の前に立ち止まって盗み聞きする気配に気づかないわけはない。常の武生なら間違いなくそうだろう。
「お兄さまは四朗様のナイトという役割なのです。だのに、兄さまはちょっとこの頃、四朗様をお守りできていないように思いますわ! だから、田中さんに四朗様が餌付けされたりするんです! 」
「え? 何。田中? 隣のクラスの田中君がどうしたの? っていうか、餌付けって何。四朗、田中君に餌付けされてんの? 」
はああ!??
本当に! 何言っちゃってるの、菊子ちゃん!
その言葉には、流石に勢いよく襖を開けはなっていた。
今までは怖いほど仕掛けられてきた菊子からのモーションが身を潜めていたことについて。
菊子においては、心変わりしたなんて事ではない。そんなことはは勿論ありえない。ただ、情報収集を怠らない菊子は、その情報の裏を取ること、その噂のもとをたどり噂そのものを消して回る、その作業が思いのほか忙しかったから、に他ならない。その時期がちょうど、入れ替わったころと重なっただけのことだ。
流石は相馬といったところか。情報戦なら負ける気はしない。こと、四朗に対することならば。
でなかったら、四朗程目立っていたら、通っている学園はおろか、他校にまでファンクラブが出来ていてもおかしくはない。
現に、相崎にはそういったファンクラブがあまたあるわけだが、そんなことは菊子にとってはどうでもよく、むしろ四朗に対する世間の注目を逸らす意味ではウエルカムなのだ。
ただ、通っている学園にある、ファン通信の存在は黙認してきた。定期的にだされる会報には目を通して「検問」することは忘れなかったが、その情報源は信用に足るものだったし、自分が知り得ない高等部の様子を知るうえで、なくてはならないものだった。
ファン通信のモットーが抜け駆け禁止というところも気に入っている。通信の一押しカップリングが、自分の兄と四朗様なのは、少し微妙なところではある。‥相手が自分ではないのは不満だが、まあ、変な虫がつくくらいなら‥兄を四朗様の虫よけの代わりにしておこう。
そう思っていたのに。
「お兄さまは四朗様のナイトという役割なのです。だのに、兄さまはちょっとこの頃、四朗様をお守りできていないように思いますわ! だから、田中さんに四朗様が餌付けされたりするんです」
私の怒りは仕方がないものだと思う。
無能な兄を信じてきた自分が憎らしい。
その兄は、今私の目の前でポカンとアホ面をしている。
「え? 何。田中? 隣のクラスの田中君がどうしたの? っていうか、餌付けって何。四朗、田中君に餌付けされてんの? 」
ほら、気付いてもいなかった。
しかもそこ、ぽかん、じゃなくて「気付かなかった! しまった! 」ってところじゃない?!
「いやいや! 餌付けとか、何のことかわからないから‥」
見目麗しい私の四朗様は、今、私と向き合って、その眉を少し寄せて、常にはない動揺した顔をしています。
愁いを帯びたその表情は、本当に‥美しい。
この人が、私の許嫁!
本当に‥素晴らしい。
「菊子ちゃん? 」
は! しまった、私としたことが、ぼうっとしてましたわ。
ああ、でもそれも仕方がないこと‥
だって、目の前の四朗様がこんなに美しいんだから‥。
こんなに近くにいるなんて、本当に久しぶり‥。
「‥帰るね‥」
四朗は、それ以降何を言っても心ここにあらずな幼馴染の妹に、ちょっと苦笑して、腰を上げた。
四朗様がお帰りになったと兄から聞かされたのは、それから数分後のことだった。
あら??
次に四朗が武生と会ったのは道場での練習の時だった。
あの後、学校で武生と顔を合わすことがなかった。なんだか照れくさくて、顔を合わせたくなかったような気もする。
四朗、田中君に餌付けされてんの?
なんだそれ、何言ってるんだ。俺にとっては不本意だし、田中君にも失礼だぞ。。
断じて、そんなんじゃあ、ない。
そうか、じゃあ手っ取り早く証明しよう。
四朗は思った。
もっとも、うまくいく確信はないんだけど。
四朗は、道場前に置かれた自動販売機にコインを入れた。
選んだのは、無糖のコーヒー。
いつも、武生が選ぶ銘柄だ。
ガシャンとことの外大きな音がしたが、道場の前で師匠と話しているらしい武生がそれを気にする様子はなかった。
黙ってプルタブを倒す。
カシャン
軽い音がする。
話が終わったらしく、師匠が道場に戻っていく。
「ん 」
四朗は黙って武生に近づき、黙ってプルタブのあいたコーヒーを武生の口元に持っていく。
「ん 」
もう一度、それを押し付ける。
「? 」
首をちょっと傾げながらも、無言で武生がそれを受け取る。
「ほらね」
それを見て、四朗がにやりと笑った。
「持ってこられたら、うけとっちゃうでしょ? 」
ほらね、と笑う四朗は嬉しそうだ。
なにが、ほらね、だ。
武生は小さくため息をつき、手に持たされたコーヒーを一口飲んだ。




