7.嫌悪感の正体
‥四朗様。今日鮮花が、四朗様の事、暗いって言ってましたわ。
華鳥が、苦笑まじりに心に話しかけてきたのは、四朗が風呂に入っている時だった。
「暗い。そんなこと言われたことはないけど、確かに明るくはないね」
四朗が笑った。
確かにこの頃迷ってばかりだ。ぼうっとしていることも多い。だけど、別に他の人にそれを知られてはいないだろう。「暗い」というのは、普段の‥誰もいない時の四朗を知っている臣霊だからこその物言いだろう。
しかし、酷いなぁ。
「それにしても、鮮花と会ったの? しかも、今日。臣霊同士でけっこう交流あるんだね」
‥今回は、また四朗様と紅葉様が入れ替わるということで、密に情報交換をしていますからね。普段は、そう会うことはないですよ。
華鳥が笑った。
「華鳥ってさ‥。俺の事知ってるの? あ、俺っていうか‥」
‥臣霊としての四朗様ってことですか?
「うん」
‥私よりも古い方なので‥実は存じておりません。
「そっか」
‥私が出来た時には、既にあの方は桜様の保護臣霊でいらしたはずですし。
「名前だけでも、わかる? 」
‥わかってもお教えすることはできませんわ。
「あ、そうだったね。ごめん」
‥ごめんなさいね。
‥お忘れくださいな。四朗様は四朗様ですわ。
「そうだね」
‥そうですわ。なぜそんなにこだわられるんですか? 大事なことはそんなことではないですわよ。
「‥そうだね」
四朗は、少し目を伏せて俯いた。
‥それにしても。
‥千佳さんは面白い方ですね。
華鳥が話題を変えるように楽し気な口調で言った。
「そうだね」
四朗が笑う。四朗にしても、あの話題は不毛だ。気にするな、忘れろと言われても気になるし、忘れられない。しかし、そんなことにばかりこだわっているのも不毛なのには違いない。
無理にでも考えないようにする。
それは、案外最善策なのかもしれない。
‥四朗様がいればそれでいい、って方現れるといいですわね。
「そうだね」
四朗は静かにほほ笑んだが
‥千佳さんは、もしかしたら、そうなってくださるかもしれませんね。
と言った華鳥の次の言葉は、あえて聞かないふりをした。
俺さえいればそれでいい。
そういう恋愛があれば‥。
だけど、それってやっぱり理想でしかない気もする。
嬉しかったのは確かだけれど、それですぐ気持ちが切り替わるわけでもないし、まして、千佳ちゃんに好意を抱くほど単純でもない。
ひとをそんなに手放しで信じられるほど、人間素直に出来ていない。
だけどその内‥。
それは、誰にとっていいことなんだろうか。百歩譲って本人たちはいいとしても、周りの人間はそれでいいだろうか。人間ではない者と、娘が結婚する。それでもいいか、と思えるだろうか。そんなわけがない。
俺は、愛する者にそんな覚悟はさせたくない。
恋愛のことを考えると気分が悪くなる。
実感も持てないし、それになんだか‥
罪悪感も感じる。
でもそれだけでなくて、嫌悪感も。
それがずっと不思議だった。自分の体に対する劣等感が原因だって今まで思ってきたけど、それだけじゃなかった。もっと、根本的なものだった。それが分かっただけでも、今回の母さんとの話は意味があった。母さんが、あの子に性別を持たせたくなかったから。恋という理念を、感情を、持たせたくなかったから。持つと信じたくなかったから。
あの子を、綺麗で平和でいさせたかったから。
(恋をすることが汚いことなのかはわからないけれど。‥本当に子供らしい発想じゃないか)
だから、俺も‥記憶はないけれども、なんとなくその根っこの部分だけは同じで、性別と性別という概念がないのだろう。
だけど、不思議なことに俺のこの感情は「恋」に対してだけじゃない。
俺は、これに似て、そして少し違う感情を持っている。否、持つようになった。
そして、今までその正体が分からず、その感情に「知らないふり」をしてきた。
あの時、紅葉ちゃんを恋愛対象に思えるかって聞かれたとき‥いや、それ以前に紅葉ちゃんに会ったときに感じた気持ちがそう。
恋愛対象に決してなり得ない違和感、そして嫌悪感。それは、恋に対する感情に似ている、だけど違う。
この感情をなんて呼ぶのだろうか‥。
『嫉妬』‥。
ふと思いついた、自分の感情に「ピッタリ」の言葉に愕然とした。
嫉妬? 俺が紅葉ちゃんに? でも、どうしてし、嫉妬しているのか? 何に対して嫉妬しているのか?
「女の子として育てられた」
母さんの言葉を聞いた、いや、聞いたあの言葉を今思い出して気づいた。
母さんの大事な「あの子」の代わりとしての俺、そしてその子は女の子だ。
俺の女の子版。それは、たぶん紅葉ちゃんだ。あれだけ似ているといわれるんだから、そうなんだろう。じゃあ、母さんは紅葉ちゃんがいればそれでいいんじゃないか? 。
みっともない。恥ずかしい。
母の愛を乞うて、他の者に‥自分より優れた立場にある人間に嫉妬するなど‥。子供じゃあるまいし。
自分が誰かすらも分からない。それすら知る権利を得ない。
それを知ることによって、俺は本来の俺に戻るかもしれないからと、母さんも華鳥も言う。でもそれはダメなことなのだろうか。誰にとってダメなのだろう?
桜が望み作った「あの子」の「代わり」としての臣霊。つまり、人間ではない偽物。だのに、今の俺はその記憶すらない臣霊の偽物。
俺は俺になればいいというなら、せめて臣霊でいさせて欲しい。臣霊に戻りたい。
形を成すほどの、愛情とそして、それに総てを教えた情熱。その『記憶』すら。今のこの空っぽの体にはない。
泣くこともできず、ただ、口元に微笑を浮かべる四朗の心の中まではわからない。だけど、その様子は、痛々しくて華鳥は見ていられなかった。
せめて、泣いてくれたらいいのに。
泣かせてあげたい。
空っぽの心を、華鳥はすとん、と乗っ取った。風呂から上がり、服を着替えて二階の紅葉の自室に戻る。
ぎしっとベッドが軋んだ音を立てた。
紅葉と四朗では体重が違う。まして、この頃四朗は筋肉をつけたから、紅葉としていた時より、体重が増えた。常の紅葉がたてる生活音とは違う音に、隣の部屋で本を読んでいた千佳が紅葉の部屋の戸を開けた。
ちょっと、あんた。くれちゃんのベッド、壊さないでよね。
そう苦情を言ってやるつもりだった千佳の声は、しかしながら出なかった。
紅葉の顔をした四朗のそんな顔を見てしまっては、‥何も言えなかった。
静かに、華鳥の涙が四朗の‥紅葉の頬を伝った。あとからあとから流れる涙を、華鳥は拭うことはしなった。
「くれちゃん‥」
言いかけて、そういえば、目の前の「これ」は紅葉の顔をした別人だと思い直した。だけど
目の前で泣く人を放っておけるほど、千佳だって非情ではない。
隣に腰かけて、黙って背中をさすった。
今は、この人の涙が止まればいい。
ただ、そう思った。




