7.口説いてみて?
「ね、口説いてみてよ。試しに、私の事。普通に、仕事とかじゃなく」
ほんの、「戯れ」だったんだ。
だけど、本当に嫌なら、嫌なことだったら、千佳だってそんなこと言うはずはない。
ちょっと見てみたい、って好奇心が八割、あと二割の正体については、千佳は考えなかった。
ただ、その好奇心に従ったっていいって、想いがあったのは確か。
その理由が、つまりその二割の正体だったんだろう。
「え? 」
四朗が首を傾げる。
でも、驚いたって表情ではなかった。
てんで相手にしてなかったのかもしれない。
直ぐに、いつもの丁寧な笑顔のデコレーションをした無表情に戻って、千佳を見た。
「ね? なんか、人を好きになる良さが分かるかもしれないよ」
千佳が、ふふっと笑って言った。
普通の人だったら、そんな至近距離で視線を合わされたら、緊張して固まってしまう。
でも、千佳は、‥四朗に慣れていたからか、「そんな顔してるんだろうな」って四朗の顔を見さえもしてなかったんだ。それに、見たところで固まりはしなかっただろう。
「そういうものかな‥」
ふふ、って四朗も苦笑する。
「物は、試し、でしょ? 」
言葉を交わしながら、ふと、‥千佳は自分が四朗を「誘っている」んだって気付いて
‥まずい。
って気付いた。
自分がしようとしていることの危険さに。
‥好奇心では済まない。これは、そんな相手ではない‥。
そう思った時には、遅かった。
ふっと、自分に影が落ちて来るのが分かった。
四朗の秀麗な顔が自分のすぐ近くにある。
思えば、こんなに四朗に近づいたことはない。
こんなに、まじまじと四朗を見たことはない。
真剣な瞳で見つめられ、しかし、照れ隠しに目を逸らすことが出来ない。
憑りつかれたみたいに‥目が離せない。
ごくん、思わず息をのんだ。
「俺は‥、君のことが好きなんです」
まるで、何かの呪文のように、頭に、身体に言葉が伝わってきた。
「ふうん‥、で、出来るじゃない」
だめだ‥今ここで四朗に「どう、これでいい? 」なんて「冗談」にされたら、とてもじゃないけど耐えられない。
自分から、離れなければ、
自分から「冗談」にしなければ
だから、千佳は自分から、四朗に「逃げ道を作った」
だのに‥
「ん‥? 」
終わったというのに、四朗の顔は千佳を見たまま、見つめたままだ。
千佳の精神ももう持たないのに、勘弁してほしい。
と、
四朗の指が千佳の顎に掛かる。
‥細くて、綺麗な指‥。
‥じゃなくて!
「ちょっと」
後ろに飛びのこうとする千佳の腰を、反対の腕でホールドしながら、四朗は千佳の目を見つめる。
「答えは? 」
「え? 」
「答えは聞かせてもらえないの? 」
もう一歩千佳に近づき、少し腰を落として、視線を合わせる。
千佳を覗き込む真剣な目。
はちみつ色の目に、つい千佳の目は吸い寄せられる。
いつも、微笑みをたたえて、少し弧を描いている唇も今は真一文字に結ばれている。
「いや、ってか、あの‥」
慌てて目を逸らそうとしたけど、身体は四朗に固定されているから動かせない。
しかも、悲しいことに目が離せない。
はちみつ色の目から、甘い視線から、逃げられない。
「あの時の答えも聞いてなかった‥教えて? 」
耳元で囁かれるのが、くすぐったい。
すぐ真横に四朗の顔がある。
鼻筋が通った整った顔立ち。綺麗な肌。涼し気な目元。
瞬きしたら音がするかもって位、睫毛が長くって、それにもドキドキする。
緊張して、動けないし、息も出来ない。
でも、黙ってたら、ごきゅって唾を飲みこんでしまいそう‥。
こんな至近距離で、それは恥ずかしすぎる。
「な‥何が? 」
だから、無理やり喉から声を絞り出して、その隙に息をちょっと吸った。
「何処かにいるんじゃない? あなたがいればそれでいいって人が‥って、千佳ちゃんが俺に言ってくた時、聞いたじゃない」
ふふ、と、もう蕩けそうな微笑みを向けられた。
「ん‥うん‥」
取り敢えず、頷く。
‥駄目だ、しゃべることすら困難だ‥。
「千佳ちゃんは、俺じゃ、駄目? 」
ふと、その目が不安そうに、ちょとかげる。
‥ずるいよ、ホントにずるい。
この人は、きっと、私しか、駄目だ。
私が嫌だって言ったら、きっと一生‥もう、一生恋なんてしないって言いそう。‥いや、言うだろう。
そんな人だ。
今だって、こんな感じだ‥慣れてるみたいに見えてるけど、‥実はすっごい、勇気を出してるんだって‥分かってる。勇気を出されても、私には断る権利はある。
あるんだろうけど‥。
‥ずるい。
断れないの、知ってて聞くなんて、ホントにずるい‥。
紅葉ちゃんによく似た顔で、そんな拗ねた顔するなんて、ホントにずるい。
私きっと、捨て犬拾っちゃうタイプよね~って‥今はそんなのどうでもいい‥。ってか、無理に現実逃避しても、気持ちが逸らせない‥。
「うう‥」
それに、
‥悲しいことに
「駄目じゃないわよ! 」
ええい!!
四朗の顎を、千佳は両手でぐいって引き寄せて、その形のいい唇に自分の唇を重ねた。
ほんの、一瞬。
触れるか触れない位の、軽い口づけ。
目の前の四朗の綺麗な顔が、ちょっと驚いた顔になる、
そして、それはそれは綺麗な顔で微笑む。
‥私も嫌じゃないから、ホントに困るんじゃない‥!
かっと顔が熱くなって、慌てて逸らそうとした顔に右手が添えられて真っ直ぐ見つめられる。
「千佳ちゃん」
ありがとうって聞こえるか聞こえないかって位の小さなささやきが耳元で聞こえて、恥ずかしさに目を閉じた。
背中に添えられた腕の力が強くなるのがわかり、気付けば抱き寄せられてたけど、千佳は逃げなかった。
唇に、ひんやりと柔らかな感触が当たる。
優しい優しい口づけだった。
‥紅葉ちゃんそっくりの男なんて‥まして、根暗なんて‥有り得ないって思ってたのになあ。
私たちは、それで、どうやら付き合うことになったらしい。
硬くて真面目な根暗‥いや、四朗君と呼ぶことにした‥は「結婚を前提に」なんて言ってる。
‥いつの時代の人だよ。結婚を前提にって。私はいいけど、他の人に言ったら、「重! 」って言われそうだよ?! (注 それでもいい、っていう人もかなりいそうだが、そんなこと千佳には分からない。千佳における四朗君の評価ってやたら低い)
後日、話を聞いた紅葉は歓喜して、武生さんはちょっと残念そうだったって聞いた。
「菊子に、どう言えばいいだろ‥」
‥って、菊子さんって誰。
だけど、‥残念ながらその子に四朗君を譲る気はないし、こればっかりはそういうもんでもないから仕方が無いだろう。‥私もこんなことになるなんて思わなかったし。
‥まあ、別れるってこともあるから、人生わかんないよ、ってだけは思うけど。
「紅葉の妹さん? お気軽過ぎない? ッて感じだけど、私は、四朗がそんな気持ちになってくれたのが嬉しい!! 」
勿論、誰よりも喜んだのは、四朗の産みの親・桜だった。
「大丈夫。今の時代、医学で何とかなると思うわ。作れるんでしょ? 男性器‥」
なんて言ってる。
「え、別にそういう行為、無くてもいいし‥子供とかも‥要らないし‥」
ドン引きだ。
‥魔女め‥、ホント、こいつが姑になるかもしれないのは考えものね。‥ああ、そうそう。ならない。元母だからね。
四朗君のお母さんは、相生の家に居るあの明るく優しい人。
それから、お父さんは四朗君と間違い探し? って感じの人。高校生の息子がいて三十代後半って‥しかも、三十代にも見えない‥。父さんとかに会わせたらどんな反応するんだろ。あれで父さん、普通の人だから「え? 何歳の時の子供? 」って、先ずは思うんだろうな。
弟が出来るってのは、魅力だ。
今まで末っ子だったから。
‥年は近いけど‥。
「大丈夫。今の時代医学で何とかなる」
と、四朗父がそのお綺麗な顔でとんでもないことを言った。
‥何、なんで同じこと言うの。あんたら似た者同士??! あの魔女と同じこと言ったわね!
「なるわね」
‥‥
優しく明るいお母様まで‥。
四朗君までが、真面目な顔で頷いて、
「検討する」
って言ったんだ。
‥しなくていいですけど‥。
「あ、俺も調べるから。ね、姉さん! 」
弟よ。私は、まだ、あんたの姉になるとは言ってませんが‥。
しかも、なんであんたたち揃いも揃って、その話を私にするのよ!!
(本当に「そんなこと」真面目に調べる博文や、真面目に検討する四朗のことを想像したら、ちょっと、羞恥で発狂しそうになるから、あえて考えないでおこう‥)
でも、医学って凄いから、千佳の子供として、華鳥が生まれて来る日も来るかもしれない、ってなんか、紅葉は無性に嬉しくなった。
そしたら、皆で楽しく暮らしましょうね。
華鳥、月桂と鮮花の微笑む顔をなんだか見た気がした桜だった。




