仕事
午後10時過ぎ――
「ただいま…」
疲れきった表情の高宮さんが帰宅してきた。
「……ん、おかえりなさい」
ずっとベッドの上での作業ばかりだったため、すっかり寝てしまっていた俺は高宮さんの帰宅を確認し、身体を起こす。
スーツを脱いだ高宮さんが振り返り、
「別に無理して身体起こさんでも良いんだぞ?…腰、まだ痛いだろ?」
俺の目を見てきた。
……腰…
そういえばそうだった。
昨夜、高宮さんとの行為により腰を痛めたんだ。
すっかり忘れていた。
「もう大丈夫みたいです。…あ、スーツ、片付けますね」
俺は笑顔で返答し、脱ぎ捨てられたスーツをクローゼットの中のハンガーにかけた。
「…大分仕事やってくれたんだな」
俺がスーツを片付けている間、高宮さんはベッドの上に散らばった書類を見ていた。
「あっ、すみませんっ…、散らかしたままで…」
急いで駆け寄る俺を、彼は優しく抱き止める。
「………っ!!た、高宮さんっ!?」
「…少しだけ。……少しだけ、こうさせてくれ」
……今日の高宮さんは少し変だ。
いつも以上に疲れているみたいだし、こんなにすぐに甘えてくるなんて…
俺は疑問を問い掛けてみることにした。
「…何かあったんですか?」
一瞬、彼の身体がビクンと震えるのが分かった。
「……あのさ」
彼が重々しく口を開く。
「新しく入ってきた矢野とはどういう関係なんだ?」
…夕霧さんのことだ。
「その話は前もしましたよね?ただの同級生です」
「元カノとかなのか?」
「いぇ、別に彼女とは何もありませんよ。この先もずっと」
「嘘なんかつくな」
「嘘じゃないです!本当です!」
「もういい」
長い口論の後、彼は顔を背けてしまった。
「…本当に今日の高宮さんはおかしいです。…夕霧さんと何かあったんですか?」
俺の質問に答える様子はない。
「…何か…言われたんですか?」
俺は思い出した。この前昼食をとっていた時に、彼女が高宮さんの事が嫌いだと言っていたことを。
高宮さんは俺を抱き締める腕の力を強め、ゆっくりと口を開いた。
「……もう、佐々木には近寄るなって」
泣きそうな声だ。
「…佐々木を奪うなって…」
彼は俺の肩に顔を埋めた。
「…まさか、夕霧さんがそんな事……」
「なんか、俺の事毛嫌いしてきて…仕事が捗らなくて…」
うわぁ……、高宮さんが弱ってる…
こんな大事な時にこんなことを思うなんて、俺は最低な人間だ。
「奪うなっていう言葉を聞いて、思ったんだ。…佐々木と矢野は付き合っている、もしくは過去がある関係なんじゃないかって…」
涙を啜る音がする。
「……俺には高宮さんしかいないのに?」
俺は緩められた彼の腕に自分の腕を絡める。
彼が微笑むのを背中で感じる。
……可愛い
暫くの沈黙の時間が続き、
「…よしっ、メシ作るか!」
彼は笑顔で台所へ立っていった。
*†*
「…それにしても、なんで佐々木は俺が良かったんだ?」
食事中、高宮さんが不意に問いかける。
「…えっ、なんでって…」
急な質問に戸惑う俺。
彼は夕飯のオムライスを口に運びながら、その言葉以外の言葉を発しようとはしない。
「……憧れ…だったんです。ずっと…」
俺の発言に高宮さんの動きが止まる。
「勿論今もずっと憧れています。仕事が出来るし、上司からも部下からも信頼されているし、性格がとても良いし…」
「………」
「この人みたいになりたいなって思って…。それでずっと高宮さんの事を見てたんです。そしたら、それが知らない内に恋に変わっていて…」
「………」
高宮さんは無言のままだ。
…俺、何かまずいこと言ったのかな?
困惑の表情を浮かべる俺を見て、彼は少し微笑んだ。
それと同時に一気に安堵の表情を浮かべる俺。
彼は頷き、
「憧れからの好きとか、少女マンガみたいだな」
はにかんでみせた。
「………!!」
その笑顔は反則だ。俺にとって、その笑顔は凶器のようなものなのだ。
…まぶしい
彼はこんなにも近くにいる。なのに何処か遠い気がしてならないのだ。
身体の距離は近くても、心の距離は遠いのか…?
いや、そんな筈はない。
だって、現にこうやって、高宮さんは俺のためにご飯を作ってくれているではないか。
…待てよ、俺のためじゃないかもしれない。
彼は自分が食べるためにただ普通に何も考えず料理をしたのかもしれない。
……やはり、心の距離は遠いのか…
「…佐々木?」
名前を呼ばれて我に返る。
彼は俺の顔を覗き込むようにして、
「どうした?顔、真っ青だぞ。…やっぱり具合悪いのか?」
心配そうな表情をして問いかけてきた。
…やっぱり、優しい……
「いぇ、大丈夫です。心配しないでください」
俺は無理矢理笑顔をつくり、彼に言葉を返す。
彼は少し黙って俺の顔を見ていたが、やがて
「そうか。なら良い。…風邪とかだったらどうしようかと思った」
少し崩したような笑顔を向けてきた。
……あぁ、俺はなんて性格が悪いんだろう。
高宮さんはこんなにも俺のために尽くしてくれているのに…
少しでも彼を疑った俺の情けなさといったら…
俺はとてつもなく後悔をしていた。
*†*
朝が来た。
久しぶりの休日だ。
高宮さんは早くから起きていて、ずっと任された書類と向き合っている。
…相変わらず真面目だなぁ
彼の邪魔はしてはいけない。
俺はこっそりベッドから降り、朝食の準備に取り掛かった。
…とはいっても俺は料理なんか出来ない。買っておいたパンや牛乳、ベーコンなどを盛り付けるだけの料理だ。
物音一つ立てずに朝食を運ぶことは難しい。
食器の触れあう音を聞き、高宮さんは振り返った。
「…朝食か。悪いな、用意させて」
「全然問題ないですよ。こんなものしか用意できないですし…」
俺はテーブルの上に食事を置くと、高宮さんのパソコンデスクに近寄った。
「あぁ、悪い。仕事が終わらないんだ。もうそろそろ片付けないとノルマを達成できない」
彼は寝不足気味なのか、目頭を手で押さえながら言った。
「本当に凄い量ですよね…。俺も手伝いますから!」
「それは悪いよ。実際にお前にはもう手伝ってもらっちゃったんだし…」
彼のプライドが許さないということなのだろうか。
高宮さんは一度、大きく伸びをして、
「よしっ、じゃああと少しやったらメシ食うか!」
自分に言い聞かせるように言ったのであった。
これも全て、高宮さんが凄い証拠。
仲間から信頼されているからこそ、この仕事の量なのだ。
俺は改めて彼に惚れ直した。