003 隠れ里
コメットは警戒は緩めず、引き絞った弦を緩めた。矢は番えたままだ。獣の前に一輪の花が出現していた。どうやら先程コメットが狙ったのとは別の個体らしい。花弁の色合いが微妙に異なる。様な気がしないでもない。まぁ、獣の後ろに隠れるようにもう一輪花が咲いているので、完全に別の個体であるのだが。見た目の相違を良く良く探せば、そこに違いがある様な気もする。というわけだ。コメットにとってそれくらいの違いしかないので、一瞬、瞬間移動でもしたのかと思った。
―あ、でも、今までいなかったのにいるんだから、やっぱり瞬間移動したことになる。のかな?
張り詰めた空気の中で、割とどうでも良い事を考えているコメットの神経は図太いのか、それともただの現実逃避か。
花にしか見えないソレが、根にしか見えない二本の足の様なそれでしっかりと大地を踏み締め、両手のように二枚の葉の様なものを広げ、大型の獣を守る様にこちらを牽制しているのだ。推測は立っていたが、だからといって理解できる光景ではない。
花弁が揺れたかと思うと、その花が消え、代わりに淡い光を纏った蝶のような姿が空中に現れた。
「お願い。これ以上、この子を傷付けないで!」
口ではお願いと言いながら、キッとコメットを睨み付け、両の手足を一杯に広げ、一人の、人と言うには小さすぎるそれが現れた。
獣の横をボウっとした光が擦り抜ける。
「ちょっと! 姿見せたらダメじゃない!」
もう一匹? 一体? 一人? が現れ、先に姿を現せた者を窘める。
どうやら、この者たちは姿を見せてはいけなかったらしい。後から現れた者も思いっきり姿を見せてしまっているのだが、それにも気付かぬほど動揺しているということだろう。
コメットをマルっと無視した遣り取りが繰り広げられる。
「だって! このままじゃこの子が!」
「それは…予想外に相手がしぶとかったけど…」
「アルルは良いの? この子が死んじゃっても!」
「良い訳無いじゃない! だけど、それとこれとは別問題!」
「…あのぉ?」
このままでは話が進まないと、コメットは恐る恐る声を掛けた。
「キャッ!」
「あっ…」
二人は忘れてた! と、顔にありありと書いて声の主、コメットの方へ振り向く。
どうやら、これ以上の戦闘は必要無いらしいとコメットは判断し、番えていた矢を外し弓矢を片付けると、両手を広げて敵意が無い事を示す。
「どうする…?」
「やっぱ、ヤッちゃう…?」
その二人はぼそぼそと物騒な相談をしていたりする。しかし、まるで殺気が感じられないので、照れ隠しと言おうか、そういう類のアレだと思われる。つい先刻まで口論していたはずだが、仲の良い事である。
「僕は、コメット。君たちは?」
とりあえず、話しのきっかけにと、コメットは笑顔で自己紹介をした。
バツの悪い二人はどう答えたものかと逡巡し、結果として沈黙を返す。コメットも先を急かさず、場を二人にとって気まずい沈黙が支配する。いくらかの時が過ぎ、アルルと呼ばれた少女が、沈黙を破る。
「あのぉ…見なかったこ「できないよ」…ですよねぇ」
無かったことにしたかったらしい。が、いっそ清々しい笑顔で、コメットにバッサリと両断される。くい気味で。アルルは落胆を隠そうともせず、「はぁぁぁぁぁぁぁぁ」盛大なため息を吐いた。
コメットの笑顔が若干、怖い。半ば強制的に命の遣り取りを強いられたのだから、それも仕方がないと言えた。
「まずは、ごめんなさい。わたしはアルル。こっちは…」
アルルは目線で、もう一人の方を指す。
「…………クルル」
クルルと名乗った少女は、ものすごく嫌そうに、仕方なさそうに唇を尖らせそっぽを向いてぼそりと言った。
アルルとクルル。見た目ではほぼ、見分けがつかない。花の見分けがつかないのと同じだろう。よく観察すれば、纏った服や、髪や、目の色、髪型なんかが若干違うと言われれば違うかな?と思う程度である。それはそうと、アルルとクルルが現れ、獣は明らかに敵意を散らした。まるで犬のおすわりのように後ろ足の間に前足を揃え、その体躯に似合わず「ちょこん」と座っている。鼻面をクルルに撫でられ顔を下げ、目を細めて実に気持ち良さそうだ。クルルが撫でる度に、獣の周囲を淡い光が包んでは消える。そんな獣の様子を眺めながら、コメットは怪訝な顔をした。
―ケガは?確かに矢は、刺さったよね…?
獣の脇腹から、抜かれた矢が地面に突き刺さっていて、どくどくと流れていた血も止まっている。周囲に出来た血溜りも砂に浸み込む水のように跡形もなく消えていた。迷いの森の正体と思しき存在は、コメットにとってはあり得ない、奇跡のオンパレードを披露している。彼らにとっては普通のコトなのだろか。隠そうともしない。
実の所、自分たちのためにペットが傷付けられ動転し、剰え姿を見せてしまったものだから、開き直りも手伝って、里の掟をマルっと無視してペットの命を優先させているだけなのだが。
そんな事情はお構いなしにこれほど近くに奇跡がある事が、コメットは嬉しかった。この光景を求めていたのだと、ハッキリと認識した。しかし、だからと言って命を危険に晒した事を無しに出来る神経はしていない。
「で、どうして僕は、襲われたのかな?」
これほどの光景を見せられれば、もう、獣と彼らの関係は疑いようがない。コメットは様々な疑問を呑み込んで、最も気になっている事を聞いた。しかし、それは彼らが最も聞いて欲しくない事でもあった。
その理由は「命を奪ってでも、隠れ続けなければいけなかったんです」という、身勝手なものだ。これでは、余りに非人道的である。ペットの命は失いたくないと姿を見せたのだから、救いようがない。それに、この部外者に事情を説明すれば、里の者みんなに迷惑が掛かると思うと、それはそれで答えられない。
また、場を沈黙が支配する。
沈黙などお構いなしに、獣を撫で続けるクルル。アルルは必死にこの場を切り抜けられる方法を模索する。
一方その頃、里では第二回臨時緊急会議の真っ只中だった。彼らは前回とは違った意味で喧喧諤諤と議論を交わした。前回の議題は【バレずに彼を我らの里から遠ざけよう!】だったが、今回は【バレた…彼をどう誤魔化そう…】だ。この期に及んで往生際が悪かった。幸い、彼に姿を見せたのはアルルとクルルだけだ。二人を売って知らんぷりすれば、この窮地を切り抜けられるかもしれない。そんな結論に落ち着こうとしていた。
どうやら、この里の住人は隠れ続けて早、幾歳。いつしか“隠れること”に拘るあまり、“隠れる理由”を見失いつつあり、外道な思考回路が出来上がってしまったようだ。
『あ、あー。アルル。聞こえるか?』
里の長老がアルルに念話を飛ばす。
どうでも良いが、彼らは不思議な力を使う。世界に溢れる様々なエネルギーを変換し、様々に結果を書き換えるのだ。念話もその一種で、思念を波に変換し、空気中を飛ばす。それを特定の相手の脳に音として届けるのである。それら不思議な力が、彼らが隠れて暮らすようになった理由の一端でもあるのだが、それはまた別の話。
『長老?』
アルルは長老から届いた念話に内心で、助かったと思いながら返事をした。長老にこの場を任せれば、きっとうまくいく。根拠はないが、長老とはそういう存在だ。里の者みんなの父であり、母である。少なくてもわたし達に悪いようにはしないだろう。
『すまんが、適当に誤魔化して追い払ってくれんか?』
次に発せられた長老の言葉に、アルルのそんな思いは無残に砕かれる。この期に及んでまだ隠れようとする隠れ里の総意を伝えられ、自分たち種族の業の深さを思い知った。その言葉に含まれた自分たちへの扱いも分かってしまった。
正直に言って、自分は反対だったのだ。迷い込んだだけの若者の命を奪うこと。その手段にゴルゴアのグルックを使うこと。こんなことになるのなら最初からもっと平和的な解決を試みれば良かった。アルルは後悔したが、遅かった。里は、わたし達を見放した。そんなに隠れ続けたいのならずっと隠れていれば良い。アルルは気持ちを固めると、目に力を込めコメットに向き直った。
アルルの纏う雰囲気が変わり、コメットは少し身構えた。次の瞬間、
ガバッ!
勢い良く頭を下げると、一息に言う。
「本当にごめんなさい! こんなことしておいて何だけど、許して欲しいとかじゃないんだけど、やっぱりこのまま何も言わずに森を出て行って欲しい」
コメットはその言葉の意味を考える。が、考えた所で答えなんぞ出る気がしない。
「えっと…大丈夫?」
コメットの目には、アルルが泣いているように映った。
「もし、これ以上奥へ向かうというのなら、わたしはあなたを倒しすしかない」
言葉とは裏腹にぽつりと呟く少女。小さな体を小刻みに震わせ、断罪を待つ罪人のような風情で物騒なことを呟いた少女。そんな少女の傍らでもう一人の少女、クルルは、グルックを撫でる手を止め、息を潜めアルルを見つめる。
里の決定は聞いていた。自分たちを切り捨てるような決定を。そんな里の決定は到底納得できるものではない。しかし、アルルはそんな里をこの期に及んで守ろうとしているように見える。その真意を測りかねて、ただ、見つめることしかできない。
コメットも同様だ。何だか、自分の預かり知らぬ所で、一人の少女が己の命を掛けている。それも自分の行動如何で決まるらしい。正直に言って、重い。自分の好奇心が一人の命を奪うと言うなら、そんな好奇心は捨てねばなるまい。重い雰囲気を少しでも和らげようと、ふう。ひとつ息を吐くと、コメットは無理やりにっこり笑った。
「ねぇ、ああ、うん。だったらさ、一緒に行かない?」
唐突なコメットの提案に、毒気を抜かれた二人の少女と一頭の獣はキョトンと顔を見合わせた。